おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
HP作成がぽしゃった話し。まあ、いくつか理解できたこと――自分の仕事の進め方、今後について、気持ちと理解のあり方など――があったし、言いたいだけは言ってきたので、もういいやっと思えるようになった。
ホントにまあ、みんながみんなちんたらしているのでそれでいいと思ってしまうけれども、そんな中で、ええっと驚いてしまうくらいに厳しく生きている人もいて、刺激になる。 世の中、ひとりひとりが、ちんたら丼に入っている米粒みたいな状態(笑)で、自分がオカシイと分からなくなっているような気がする。しばらく、いつもと違う――たとえば、武道とか伝統芸能とか、真剣な世界に身をおくと、いかに普段の自分が、どーでもいいか、何事をもどうでもいいとしてちんたらしているか、もしくは、傍若無人に振る舞っているのか、が分かる。 骨の髄までちんたら度(?)が染みついてしまった人には、真剣な場に出会うこともないだろうけど……真剣じゃないから悪いのかということではなくて、そのように生きていたらどうなるのか分かったら、それはまずいと思うんじゃないかと。 たとえば、59円ハンバーガーとかさぁ。テレビでオヤジたちが、「いやあ、助かりますよぉ。もぐもぐ。美味しいですよねぇ。はぐはぐ。ぶははははっ!」とか笑ってたけど……本当にいいのか? 59円で牛の肉が食えるわけがない。何の肉か知らないが、それに化学調味料たっぷりのソースをかけて喜んで食べている。なんでもいいから、腹がいっぱいになればいい、食事の後片づけもいらず、食器は使い捨てで安くて便利――いっけんそれの何がいけないのか、と思うかもしれないが、そのようなものに囲まれていると、仕事も遊びも、また人間関係すら簡単(薄っぺらく)て、後々面倒のないような、使い捨て出来る程度のものしか築けなくなってくる。普段からそういうこと(簡単便利な…)しかしていないのだから、それ以外のことを出来るはずも、成せるはずもないのだ。 こじつけだろうか? しかし、小さいうちから、お金さえ出せば安くて簡単便利に食い物が出てきて、食器など使い捨てが当たり前としてきた子どもと、親と一緒に時間をかけて食事を作り、後かたづけをし、高級な割れものの食器を扱って育ってきた子どもと、どちらが人を大切に扱えるようになると思うか? 少し想像力があれば分かるはずだ。 食事など腹がいっぱいになりさえすればなんでもいい、どーでもいい、という「ちんたらさ」が与える、人への影響とは大きいのだ。そんなことを言い出したら、生活できなくなる……というくらいに日本人は「やばく」なっている。 簡単で、便利で、安ければいいというものではない。これは食に関することだが、他のことでも、既成概念――大仰かもしれないが、こうあるもの、これがいいもの、という世の中の洗脳によって一番大事なものを見逃している気がしてならない。
おおみち礼治
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