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おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
仕事仕事仕事。
優越感と劣等感。 こうであらねばならぬ、という固定観念。たまたま、その条件に沿うことができた者、努力して手に入れることができた者には優越感となり、そいつはたいていイヤな奴になる(笑)。条件に添えなかった者、どうあがいても沿えぬ者、弱き者には劣等感となり、最悪ひきこもる。 引きこもりの場合は、家族における母親の機能不全――受け入れてもらえなかったものの怒りと哀しみ、いらだちといったことが最初で、劣等感は周辺なんだろうけど……まあ、いい加減なことを書くのはやめよう。 なんにせよ、根っこは同じだ。 そんなものはとっとと捨てて自由自在に生きてもらいたいものである。 人間は不完全である、とするとつねに補わなくてはならぬという考えにとらわれ神経症的に悩み続けることになる。それに、完全とはどういうことなのか分からないので、永遠に不完全なままだ。 人間はそのままで完全である。 そのままの自分をそれでよいのだと受け入れるのが最初。補うという考えはある意味、傲慢ですらある。補ったつもりのものは鎧みたいなもので邪魔だ。努力するのなら、むしろ、そうやって補ってきてしまったよけいな固定概念を捨てて素っ裸になりたい。それが自然ではないか。 輝いていくると言うのは、100%自分を発揮することらしいですぜ。鎧などつけていたら重くて発揮できるものも発揮できない。しかし、いいのかな。100%発揮してしまったら、ものすごいことになりそうなんですけど(爆)。 いままで、わがままでうるさくて強引で下品で息の臭そうなオヤジが、突然、おとなしくなってしまうことがある。看護婦などは「素直になったじゃん。おほほほほほ」などと言うのだが、気がつかないのかね。 こうなると、その人は、ほぼ半年以内に死ぬ。冗談ではない。 どんなに元気がなくなっても、生きているうちが花であって――生きているだけでいいのであって、死んではおしまいだ。だが、紹介しようにも、どうしたらいいのかわからなくて困ってしまう。たまたま紹介できて、本人が「分かった」といってもやらない以上それは「知った」だけであって分かったわけではないので――人為的にはどうにもならないということがある。その人に「分かるとき」が訪れるまでは、そっとしておくしかないかもしれない。
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