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おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
先月からお金を使いすぎている。あまりそういう意識はないのだが、財布にお金が入っていないからそういうことなんだろう。
昨日のテレビ番組。ミステリー療法だっけ。 要するに余計と不足のバイブレーションを整える方法だと思った。十字式はカイロの独自進化系という感じ。引っこ抜くというのが面白かった。 いいかげんになさい、といさめられる政治家はいないだろう。余計な後方支援もうまくない。誰に言われなくとも自ら難民救済に絞って――なんなら一手に引き受けて黙って活動するのがいちばんのような気がする。 いまは力があるから、いかに強引で納得いかないことを押しつけられても黙って従うしかない。しかしそれで意に添って動かせた、と思うのは早計で、なんのストレスもなく調和して動いているわけではないのだから、必ずいつか無理が出る。 力に任せてその無理を通してきたものの力が低下したときに、見捨てられるか、それともしょーがない坊主だなと助けてもらって、やっと自分が今まで人に何をしてきたのか理解するのだろうか。強者は、強いということは同時に鈍感である、ということに配慮した方がいい。謙虚に弱さを知っているものに学ぶ姿勢があればいいのだが……いまは多分、自分の思うとおりになれば他のことはどうでもいいのだろうけれども、重要なことを重要と思えぬそういう鈍感さは自らの首を絞めかねない。 世の中に病気も貧困も大事な人を亡くす哀しみもなにもなかったら(それこそ天国と思うのかもしれないが)、たちまち力比べの殺し合いの支配する退廃した世界になるのではないか。たとえば、病気の苦しさを知っているから、地球の裏側の見知らぬ人にも、病気で苦しんでいる人がいるのだからと優しくできるということがある。ずっと健康で腹が痛くなったこともない、風邪を引いたこともない、そんな人間がトップになったとき役に立たぬ弱者がどういう扱いを受けるか。 強くなりたいのは誰もそうで何も間違っていないけれども、だから弱さはいけないとする頭の悪さというか単純さは違う。
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