最近、幾度となく祖父母と暮らした古い家が夢に出てくる。 でも、そこに居るのは今の自分だったりする。 20年も前に立て替えられた古い家を 今になって訪れるのは何の意味を含んでいるんだろう?
目覚めても記憶している夢が続く。 その日の重要な考えや情報は 夜眠っている間に脳で整理されるというから 夢もそれに関連しているのかな。
夢ノート、しばらく取ってないから 枕元に置いて寝るとしようか。
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無財の七施
【眼 施-げ ん せ-】穏やかなまなざしで接する 【和顔施-わげんせ-】柔和な笑顔で接する 【言辞施-げんじせ-】声に出し感謝の気持ちを伝える 【身 施-し ん せ-】礼儀正しき振る舞いで奉仕する 【心 施-し ん せ-】心丸く感謝の心で接する 【床坐施-しょうざせ-】分け隔てなく親切にする 【房舎施-ぼうじゃせ-】心を込めたもてなしを行う
【為せば成る】…為すように成る、為すようにしか成らん。 為すは「因」成るは「果」 物事為すは己なり。結果の根源も己なり。
【縁ありて花ひらき、恩ありて実を結ぶ】
今日は午前中名古屋へ。 高速を運転する時、いまだ微妙に緊張する(笑) 毎回電車で行っているんだけど、 今日は家を出るのがちと遅かった。 しかし、車は早いね。 いつもなら現地に着くまでに1時間半。 今日は高速使ったから45分だった。 帰りはのんびりと、した道で来たから1時間15分かかったけど。 無事に往復出来て良かったわ^^
今日行った先で碧峰さんという住職が書かれた小冊子を頂いた。 そこに記されていた言葉が『無財の七施』 ほほぅ♪と思ったのでちょっくら覚書き^^
一夜漬けタイプの私が コツコツ学ぶハズもなく(笑)
もうじきカリキュラムも終わりを迎えるというのに 頭にはあまりインプット出来てない。
ん〜(^-^; 感覚でつかむ実践可動型。 教科書から学ぶのは苦手だぁ(@_@)
試験は年が明けてからかな。 筆記試験と実践。 脳みそ薄い私に果たして合格の道はあるか!?
でもコレ使いこなせると 本当にすごく強いなぁ。 楽しいし、役立つし、整うし。 活かし方は使い手次第。
それなら絶対有効活用してみせるわ! 試験、張り切っていこぉー!!
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何だかね、最近(ってホントここ数ヶ月なんだけど)
「おやおや?」って思うんだ。
ピンチをね「チャンス」だって置き換えたり
苦しいときに「ぜんぜん平気です」って笑顔でいたり
違和感を感じているのに周囲に合わせて繕ってたり
重ね着して重ね着して押しつぶされそうになってる心しまいこんで
人から見た自分を重く背負い込んで、呼吸も浅くなって
段々抱えてる事だけに必死になりすぎて、痛みさえ麻痺してる
そんな人がいっぱいいるのかも。
私も苦しかった。
苦しいときには周囲を見る余裕さえなかった。
誰より笑顔で誰より明るく誰より活発に「空元気」だった自分。
10年以上演じてたな、必死で。
それがやっと…ほんの数ヶ月前に、解決に結びついた。
自分の居場所に戻って来られたのは
その無理を全部脱ぎ捨てることが出来たからだ。
その痛みを全部吐き出すことが出来たからだ。
その重さを全部降ろすことが出来たからだ。
引きずってでも独りで抱えて生きてやろうと思っていたソレを
一旦降ろすことが出来たのは、サポートしてくれる存在があったから。
降ろして整理して見直したら、不必要な荷物まで
必死に抱えてきたことに気付くことが出来たんだ。
苦しかったことを、辛かった思いを、
「私は大丈夫、私なら頑張れる」そうやって虚勢張って覆い隠しながら
踏ん張っていた自分。
そこから脱した瞬間の心の軽さ。
もう自分を誤魔化さなくていい安堵。
深く吸い込んだ息が全身にいきわたる心地よさ。
今の私はありのまま。素直でいられることがとっても有難い。
だからこれからの私は、辛い重いと積み重なってく「苦」を
踏ん張って抱えたまま重い足取りで歩くより
無理をしないで一旦横に置いてその場その場で対処策を練るさ。
難しいものは難しい、無理なものは無理。
投げやりになるんじゃなく、諦めるんじゃなく、
周囲を見渡せば使える道具が見つかるかもしれないし
ヒントが手に入るかもしれないし
手伝って欲しいと頼める誰かがいるかもしれない。
そう、だから最近思うんだ。
「今の私、自分に素直かな、周囲に正直かな」
自問自答している自分に気がつく。
おやおや?
ようやく本当の自分と対話するだけの余裕が持てるようになったんだな、私
って。
この心、この軽さのままでいこう。
うん、そうしよう…って。
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