カルテ。

2006年06月27日(火) あるメンタル系サイトで見たもの<原文ママ・伏字あり>

■自己紹介■

<ここに写真があった…顔出ししなくてもいいのに…>
怒っているように見えるかも?
本当は弱虫でダメダメ人間。
とっても寂しがりや・・・なのに
孤独が好きだったりする。
なぜ裸なのかは謎。


■HN ○○ 通称「ネット侍」
■性別 ♂(オス)
■血液 A型みたいです。
■特徴 身長が162cmと低い(ToT)
■性格 優しい・そして自分にも優しい(あほ)
■特技 考えて悩むこと・そして自爆する!!
■住所 大阪のどこか
■趣味 掃除・洗濯・パソいぢり♪
■年齢 1976年2月1日生まれ
■星座 みずがめ座
■職歴 江戸前寿司職人・看護師
臨床心理士(○○<ここは秘密>心理研究所内)





■病気のこと■

当人は、うつ病とパニック障害をもってます。
もう数年と長いこと病気と付き合ってます。
ということで、結構いいかげんな生活してます。
しかも薬物の後遺症で左足が麻痺してます。

●うつ病とPD(パニック障害)●

一般的にうつ病とは”心の風邪”と言われています。
やる気がなくなり、ひどく落ち込み、不安が強く、
最悪の場合、自殺したりします。
PDは身体的な障害であり、突然息苦しくなり、
動悸、眩暈、貧血症状がでます。
密閉された空間(逃げられない場所)がにがてです。

・・・おまけ・・・

○○心理学院にて臨床心理学を学んだのだが
カウンセリング診断意見の食い違いにより院長
と喧嘩になってしまい卒業間際に自己中退した
自分に正直に生きるこれが○○のもっとうです

■パニック発作との出会い■

ここは・・・?
僕は東京のとある駅のホームに座り込んでいた。
頭がフラフラする・・・息苦しい・・・眩暈がする・・・
立てない。動けない。あせりがどんどん近寄ってくる。
そうだ。今日は劇団の照明の手伝いにきていたんだ。

数年前から時々動悸がするようになったっけ・・・
でも・・・今回はマジでやばい!
僕は近くにいた駅員を呼びとめ、しばしベットで休ませて
もらうことにした。

部屋は薄暗く動悸はひどくなるばかり。
呼吸も過呼吸になっている。冷や汗が止まらない。
・・もうダメかもしれない・・
そう思った。今までがむしゃらに働いていた。
朝から夜まで働き続けた。そう・・夢を叶えるために。

救急車がやってきて病院に運ばれた。
あいにくバイトの医者しかおらず、一通りの検査をしたのだが
これもいつもと同じ答え「どこにも異常は診られません」だ。
発作はだいぶマシになっていた。そして帰宅する様言われた。

外に出るとまったく知らない場所・・・そう、救急車で来たから。
とりあえず駅までの道を聞いて駅へ向かった。
やっと駅を見つけ、切符を買い階段を登っていく。
・・・ん?・・・く・くるしい・・・
発作はまたやってきた。ふらつきながら病院に戻った。

暗いロビー。誰もいない。どうすればいいか解らず
ソファーに座り、じっとしていた。
しばらく時間が経ったのだろうか?
エレベーターが開き、さっきの医者が出てきた。
事情を話し、僕はとりあえず入院させてもらうことにした。

翌日、また検査をしてもらったのだが・・・異常なし。
発作はおさまり、ふらつきは残るもののどうにか生きていた。
そして退院が決まり、医者が口にした言葉とは・・・

「一度、精神科に診てもらったほうがいいね」


■うつ病と人生の転換■


1週間悩んでいた・・・「精神科か・・・」
皮肉にも臨床心理士を目指して、学院に通っていた時期もあった。
ゆえに「まさか自分が精神病とは・・・」なんて思いたくもなかった。
しかし鬱の症状は次第に頭角を現してきた。
体が重く動けない。トイレに行くのも這いつくばって行くほどだ。
食欲もなくなり、何を食べても味すら感じない。
まるで粘土を食べているようだった。そして決心した。

心療内科にいこう!

重い足を引きずりながら、心療内科に着いた。
そしてパニック発作を我慢しながら診察を受けた。
そして私は「うつ病」という病気ということを認知せざるを得なくなった。
きつく重たいレッテルを貼られた気持ちだった。




■回復への兆し■


薬を飲み始めてから色々な症状もでてきた。
睡眠導入剤も坑鬱剤も坑不安剤も日に日に増えていった。
仕事をバイトに切り替え最低限の生活能力は維持していた。
しかし、発作は時となく突然現れるし鬱の波もひどくなっていった。
ともなって体重がどんどん増加し、1年間で20kgも増えた。

なるべく運動もした。薬による体重の増加は免れない。
不安感で眠れない夜が続いた。
夢が壊れていく・・・悔しくて悔しくてしょうがなかった。
ただ毎日思っていた事・・・「いつになったら治るんだろう?」


■リストカットと死への憧れ■


症状は重くなるばかり・・・気がつくと4年経っていた。
体系は見るも見かねるほど変わり果て、性格さえも変わっていた。
とうとう働くことにも困難を要し、実家に帰ることになったが、
それが私自身の根本的な心意的欠落を知ることになる。

アダルトチルドレン。つまり大人になりきれていない子供。
私は自分自身を振り返り、見直し、改善することに必死だった。
鬱の症状も発作も少しずつ良くなっていった。
薬も徐々に減っていった。

しかし、時折変な行動をとるようになった。
幻覚、幻聴に悩まされた。頭の中に数人の人格が存在していた。
その頃からリストカットが病みつきになった。
切るというよりぶつける感じで、愛用はカッターナイフだった。

「死ぬ」ということを考え出したのもそれくらいの時期だった。
ODも日に日にひどくなり生活は荒れ果てていた。
そんな中、大阪へ出て行くはめになる。
原因は父親との喧嘩だった。



■自殺未遂■



上京してからすぐにバイトを始めたが、パニック発作で
すぐに辞めてしまった。調子がよくなると面接を受け、
アルバイトをするが、また発作で辞めてしまうことになる。
主治医から生活保護を受けるように言われ、納得して
保護を受けるようになった。

毎日が不安で一杯だった。そしてついに力尽きた。
服毒自殺を計ったのだ。
しかし未遂に終わった。珍しく遊びに来た兄が発見して
救急病院に連れて行ってくれたのだった。
もちろん私は当時の記憶はない。


■そして・・・■

2日間昏睡状態が続いた。目がさめたときには
喉からチューブが出ており人工呼吸機が動いていた。
体中からいろいろな管が取り入れられていた。
・・・ICU・・・
肝臓も内臓もやられてしまい、左足は原因不明の
腫れに覆われ、いたるところに水泡ができ、
髪の毛にはかなりの白髪が生えていた。

入院生活は毎日が苦痛だった。左足は麻痺して
突き刺すような痛みがやってくる。
内臓は奇跡的に回復し、退院することになったが、
左足の原因はわからないままだった。

現在病院も変え、リハビリに通い、少しずつ
足も動くようになってきた。痛みは気まぐれで
鬱も相変わらずだ。記憶も時々飛んでいる。

でも・・・

私は生きているただそれだけなのだ。



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と、まあこんな自己紹介をみたのですよ。
2chに晒されたらしく、廃墟状態サイトですがね…。

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昨日は考え事が多すぎて、悔しくて、
脳が全回転しまくって一睡もできませんでした。
自分に残されている課題が大杉。
お昼過ぎたら、地元の心配事相談窓口に相談する予定。
父上、母上、私の3人で家族会議も開く予定です。

焦りだけが先行して空回りしている自分がいる。
もっと効率的に動け、俺!

あ、昨日の日記ですが…俺も反省。
てか…疲れちゃいました。


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がーな