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2008年12月18日(木) |
じ〜ちゃん自慢たいか〜い |
うちの爺さまの自慢ですみません。 うちの爺さまはもうこの世のお方ではございませんが(笑) すんばらしいカチカチ頭で、私が18歳の時にはもう「縁切った!」というほどの徹底した「我こそは!」という家のおさめようをする方でした。(爆)
どこが自慢やねん、と言われるかもしれません。 さて〜♪
うちの爺さまは神道の神主をやってる人でした。 朝の6時、夕方6時には、必ず家族で(ただし長男/息子は除く)神を奉る祝詞をあげ、家中(これがまた広い)の神棚に蝋燭をたてていちいち祝詞をあげて拍手をうって来い、と、こどもの頃に私もやらされたものでした。
人呼んで、「6時だよ、全員集合!」
この爺さまと縁を切ったのは、私があまりな男尊女卑に疑問を持ったからで…。 唯物論を中学に入ると同時くらいに知り、そちらにのめりこんだからなのですが。
一度、このジーサンを完全に自分の中から消し去り、「おじーちゃん死んだよ」というニュースを聞いたときにも、、 「へー。…で。なんで私にそんなこといちいち知らせに来るの??????」 くらいにしか感じないくらいでした。
が。とある出来事をきっかけに。 こどもの頃の知恵、神道という宗教ではない人としての「道」の手法にすごーく助けられたという事実があって、ちょっとだけ爺さんに感謝できました。 ^^;
それから。 爺さんが宮司をしていた神社(今は息子が跡をついでいないので宮司なし)に行ってみたり…。 こどもの頃教えられた祝詞は覚えているもので。巫女舞をさせられたりしたのも思い出し、そういえば…。 爺さんの祝詞はすごかったな。 と、こどもの頃にあれだけの祝詞を聞けたことを幸せだと、今は感じているくらいです。
爺さんは、琵琶・謡(うたい)もこなす人で、しかも神主は20歳の時からはじめてそりゃまーぁ年季の入った、まさに謡うような祝詞をあげる人でした。
色々な場面、テレビや街の祭りなどで色々な宮司さんの祝詞を聞きますが。 「ん…。これ、祝詞?」と首をかしげるような物凄い声の持ち主でした。 先日。18才の時、共産党に入党して以来まったく会おうともしなかった爺さんの墓に行って、大見栄を切って、さて帰ろうか、、と思ったそのとき・・・
「あら、お孫さんですか」
と、爺さんのやっていた神社の氏子さんから声をかけられました。
「残念ですね。あれだけの素晴らしい祝詞をあげてくださる方はもうおいでになりません。生前はお世話になりました。云々」 とご挨拶させていただきました。 まあ、仕事はきちんとこなす人(なにしろカチカチ頭で完ぺき主義でつからw)でしたし。 20歳くらいの時から80歳超えるまで、神主として60年以上の年季の入りようだったんだからそりゃそうだろうな。
やっぱりそうだったか。 爺さんの声ってやっぱり凄かったんだよなあ。 私の耳に狂いはなかった・・(笑)と再確認。
ですが。声は波動(エネルギー)です。例え、能や狂言などで謡曲をできるプロ方が祝詞をあげようと、爺さんのようにはいかないでしょう。 また、素人で声は鍛えていなくても素晴らしい波動を持った祝詞もどこかで聞くことができるかもしれません。 両方をあわせ持っていたのが爺さんの祝詞だったのだと私は感じています。
爺さんやー。
ちょいと黄泉がえりして祝詞だけあげてくんねーか。
(* ̄ノ ̄)/Ωチーン (* ̄- ̄)人 i~ 合掌
ではない。。。。
拝礼!
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