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Das Versprechen


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2008年03月22日(土) 性別観

私の思考が、左よりであることは、もうこの日記を続けてお読みになってくださっている方には、容易に想像がつくでしょう。

男ってなに?
女ってなに?

人にレッテルを貼るのが、私は大嫌いな人間です。

「ああ、○○さんて、女だったのね」

ヤフーチャットで、私がよくかけられる言葉である。

実は私がチャットで使っている名前だけでは、性別がわからない。
ヤフーのプロフィールを見てはじめて、私がS女である、と知った方々が、よく言われる言葉だが…。

私は、女であるという意識を持ってはいない。

私は、私という個性を持った人間である。

という観念で、生活しているし、現在の私のこのアイデンティティを持って、それを大切にしようとしている。

私には、「女」と、声をかけられた途端、気分が悪くなって、チャットから落ちる癖がある(苦笑)

私を女であると、誰が決めたのか?

私は生物学的にも純粋なメスではない。

性を区別する判断基準は、どこにあるのか?

私は、問いたい。

理想社会を作りたい。
この地球を、一個人が尊重される理想社会のために、活動もしてきた人間として。

男女を区別するならば、年齢で人を区別するならば、能力で人を区別するならば、国籍で人を区別するならば、民族で区別するならば…。

人間は、人間でありながら、人間として扱われていない、と私は考える。

つまり、数字(プレートナンバー)を割り振られ、管理される、車体のようなものではないか、と。

一個一個の車体にも個性がある。
車を好きな人にはわかるだろう。

同じメーカー・車種・色・グレードであっても…。

車というものは、どこかに傷がついていたりするものであり、走行距離が違っていたり、持ち主の運転技術で、どこかしらに癖がつくもの。持ち主の育て方によって、燃費が悪くなったり、性能が落ちることもあれば、どこか壊れていることもある。
製造段階で、欠陥のある車もあるだろう。

人間を車と同じに扱うのか?
(戸籍上で)女として区分されていても、一個一個の個体に、個性がある。
(ナンバープレートで)区別されていても、一個一個の車体に、個性があらわれてくる。






男女を区別するならば、年齢で人を区別するならば、能力で人を区別するならば、国籍で人を区別するならば、民族で区別するならば…。

その分類基準から、はみ出した人間は、どこへ行けばいいのか、問いたい。

行き場を求め、苦しむに違いない。
苦しむだけ苦しめられて、一生を終えさせられる人間がこの地球上に、現在64億以上…。

なぜじぶんが今苦しいのか、私はこうして時々考える。
なぜ満たされないのか。

無理をして、人間を型にはめ、一体何が生まれるというのか。
私の頭の中には、戦時中の全体主義のようなものしか浮かんで来ない。



折角授かった個人の能力を発揮できないまま、抑圧され、人が一生を終える、
ということは、この社会全体にとっても、不利益なことでしかないと私は考える。



某SMサイトのエッセイを読んで、今日、感じたことです。

●NGO news 世界人口白書、両性の平等を強調 貧困削減へ投資訴え




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