新・よりぬきオゲ井さん
クズんなってGO!

2002年02月05日(火) 他人の褌で日記

漫画を読む日本の若者の読解力が、世界的に秀でているとのデータが出てるらしいと
ワンピ22巻の表紙カバーの折り返しのところで尾田栄一郎氏が述べておりますが、
それでフト思い出したのが先日唐沢俊一氏の日記にあったこんな記述。


『サンダ対ガイラ』で、ガイラが女を食うシーン、日本版ではそのあとペッとガイラ
が吐き出すのは被害者が持っていた花束であるが、海外版では衣服の切れ端になって
いる。アメリカのバカ観客には、花束で“食われた”ことを表す、などという関節表
現が通じないんだそうである。“女が花束になった、と思っちゃう”。



ふうむ、なるほど。
ええと、ワタクシ自慢じゃありませんが外国語の理解力は限り無くゼロに近いと言うかむしろマイナスなくらいです。
そんな私なのですが、常々、なんかもしかして日本語の表現力の幅広さってマジスゴクない?(語尾上がりで)
と感じておりましたのですが、ああ、そういう文化の差って、こういう風に容赦なく積み重なり紛れもないものに発展して行くのだなあと、
ああ、アタシニポン人でヨカタナァ、オタクで良かったなあ(それは間違い)とおもったにょ。
そして更に唐沢氏の日記によると


一昨日の日記に書いた、
『サンダ対ガイラ』の花束は、ホキ出されたのではなく、地面に投げ捨てられた花束
で女性の死を暗示する映像テクニックだとのこと。うーむ、それじゃなおのこと、ア
メ公には理解できまい(て言うか、カンちがいしていた私もアメ公なみ)



なんですって。
あ、いやだからって私はべつにメリケン人アホーとか言いたいのではなくて。決してなくて。
(だってホラ人口も圧倒的に多いんだし比率的に考えたらどこも一緒)
あちらさんはあちらさんで、映画やアメプロなど大変素晴らしい文化を生み出してらっしゃるのでありますからして。
やっぱかなわねえよなあ、とおもうことといったら山のごとし。ええもう、いろんな意味で。

でもニポン人のアメプロの楽しみ方て本場の人達にくらべたら微妙に一回り経ているよね?

で、

実はここからが本題でして。

なにが本題かと言うと、今週のジャンピのワンピ。
やー、もー、良いね!オダエー良いね!
この、間というか、余韻というか。さわやかに風が吹き抜けてゆくような演出というか。
またこれが戦いとかの場面になると更にスピード感とかが加わってたまんねェんでゲスよ。ウへヘ。
でもこれがアニメになると、なぜかガカーリする確率が高いのよねえ。
それは一概にアニメスタッフの力量の問題なのかというと、どうなのかナアとも思うので、
一回オダエにアニメの演出脚本やって欲しいナリ。

んで、ペルが目出度く生きていたわけですけど、この多くを語らぬ演出つうのがね!
良い子のみんなにはぜひ、この辺とかで読解力をスクスク育んで欲しいと思います。
(あと、ヒカ碁もその辺スゴク好き。先週号の天井だらけの1Pの切なさが毛唐にわかるか!?)
でもホント、ワンピって、こんな腐り果てた煩悩マミーレのおばちゃんが、キャラ萌えなしで(ホントだよっ)
夢!冒険!仲間!イイ!!ってワーキャー騒ぎ立ててるくらいなんだから、
良い子のみんなのピュアーなハートには、きっとその五万倍くらいダイレクトに伝わってるハズだよネ?

そういえば前にTVで、素人の家族が災害時のサバイバル生活体験、てのやってて、
避難時にそれぞれ自分が一番必要大事だと思うものを持ち出すんだけど、そこん家の小学生男子が
ワンピ全巻持ち出してて、しかもその後火を起こす為に容赦なくボーボー燃やされちゃって、
さすがにあれは大人ゴコロにも、ひでえ事するナァとおもったですよ。
だって、大人買いできる私らに比べたら小学生にとっての漫画本てメチャメチャ宝物だよねえ。
まあ、TV番組の中の話なんですけどね。でもね。

あと、大人の視点で語らせてもらえれば、
スモたしは、ほんとうにコトの後みたいだよネェ、パンナさん。とか、
つか、ケムリンカッコイイな、オイ。とか、
最後のコマのゾロがカワイイ☆とか、
あとチョッパも。とか、

そんな感じで次週はワンピもなければハンタもないのか。(決めつけ)


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