日記
日記です。なんかあれば書こうと思いますです…。

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2007年03月18日(日) さらに本を買う


最近昼夜逆転しつつあるから少し戻さないといけない。Webのリニュ作業はあとはほとんど作業するだけのところまでいった。

SPI非言語なら80%とれるようになった。問題にもよるけど…orzどういう分野なのかわかれば聞き方には戸惑わなくなった。

最近「若者が社会的弱者に転落する」を読んだ。

先の「就職氷河期世代が辛酸をなめつづける」「若者はなぜ3年でやめるのか - 年功序列が奪う日本の未来」と並んでなかなかの良書。

この本は先の2冊に比べれば,少し大人よりの表現でかいてあるので40〜50の方でも読めると思う。先の2冊は若い人むけにかかれているから,大人が読んだら発狂するかもしれないね…。

つまり,この本はそうではなく40〜50の方がそうか,若い奴も大変なんだなということをとらえる意味ではいい本。だから若い人が読んでも刺激はあまりなかったかな。ただ,この本は諸外国との比較が売りになっていて,日本の若者に限定していないのがまたいいところだと思う。

若者が学校を卒業しても就業しないで家庭に依存する現象というのは,別に日本に限った話ではなく,西欧諸国でもみられる現象だったらしい。(西欧諸国ではそのとき「若者の危機」として社会構造全体がクローズアップされたのに対し,日本ではただの若者バッシングしかおきないのが,また日本人ってなんていうか…ということらしい)

その原因は,アダルト世代とヤング世代間での格差がひどく開いたから。「若者がなぜ3年でやめるのか」の言葉をかりれば既得権益ということになるのだが,とにもかくにもアダルト世代が金をもち,ヤング世代が金をもっていないことが若者の危機ということになっている。

つまり,親が金をもっているかどうかが,若者の人生を決定づけるということを述べている。つまり,親が金をもっていなければ,子は誰でも自立を求めて必死にならざるをえないのだが,そうではない状況があるから,子はどうしてもなにかと親を頼らざるをえなくなるし,また,子だけでなく社会全体が,いい年した成人に対しても元保護者の継続的な保護を求める場面が多くなっているということを指摘しているみたい。

逆をいえば,親に金がなければ子は当然そのような環境におかれないし,それが若者のキャリアプランにもあらわれて,いまや若者は社会的弱者以外の何者でもないということを述べているわけだ。

とってもはっきりいえば,まず無駄な既得権益をすべて社会に返還することが,社会の将来性にとって必要になる。その上で,返還された資源を使い競争などから優秀な若い人間を台頭させることによって,社会の将来性が確実になり,世代交代がすすむことになるということをいっているみたい。他の本と違ってここまではっきりは述べてないけどね。

あとは若者の価値観にも若干ふれている。若者は父を会社の奴隷,専業主婦をダサいと考えているなんていうのは,そう思っているような思っていないような…という気もしなくもない。というのは,普通若い人はバイトを経験するわけだが,アルバイトにも奴隷とよばれている世界があって,家庭教師のト●イやマ●ドナルドはかなり奴隷じみていたりする。家庭教師のやつは高額なテキストを販売させるところはほとんど奴隷みたいな待遇だ。

つまり,自分の世界も父の世界も雇用主は同じなんだから,会社にも似たようなものがあることは理解できる。

ただし,会社奴隷について思うのは,働いているほうが洗脳されているのか,それを普通のことだと考えていることだ。それがバイト奴隷との決定的な違いだ。バイト奴隷と同じように,自分が勝手に忙しくしているだけならかまわないのだが(レベル1),これを他人におしつけられたらたまったものじゃない(レベル2)。しかし,会社奴隷はそれが当たり前だと思っているから,他人にまでそれを求める。それはちょっと困るよというわけである。

自分の父がそういうレベル2の会社奴隷だとさすがにどうかと思うことはありえる。レベル1だったら理解できるが。

専業主婦がダサいかどうかは女じゃないからわかんね。

さらにこの本,若者の就業だけではなく今後の生活。結婚や子育てについても若者の危機を訴えている。

今の社会,まともな社会人になるにはそもそも大学でてないとどうにもならないことは自明である。若者であればあるほどその現実を厳しく認識している。高専や短大,専門学校は蚊帳の外におかれているからだ。能力的にはあまりかわりがないとしても。高卒や中卒なんてほぼありえない。なにより自分達がそういう時代をいきてきているんだからこの価値観はそうぬぐえるものでもない。

しかしその一方で,子供をそのような道にすすませるために必要な金の多さも一方で自覚している。子供をいっぱしの社会人に育てようと思ったら,もはや子供を生み,マナーをしつければよいという時代ではないのである。

子供を何百万円もはたいて塾通いさせ受験戦争にさらし,合格校を獲得させ,さらに学校に金を貢がなければいけない。もちろん,子供だってそんな環境で勉強したいと思えるわけがないのも理解できるから,遊びたい気持ちもよく理解できる。

はたして子育てってなに?

アダルト世代のように,高卒でもそれなりの就職ができそれなりの人生が送れるような恵まれた環境はもはや今ない。子育てとは教育ではなく,子供のための投資である。

そのため,必然的にまた子供により安定した環境を提供するために,自分の親を使うことも考えはじめる。

欧米でも,若い人はそれぞれ考え,それなりに答えをだしていった。アメリカでは,優秀な人間が起業をして,既得権益から利益をすいあげて世代交代するようにしていった。

日本では最近そのような時代になった。今の若い人はかつてないほどつらい時代にさらされている。日本の若い人はこのような状況にどのような答えを見出すのだろうか。

ただ,ひとつだけいえるのは,若者バッシングしているアダルトチルドレンは,木をみて森がみえないということで,視野が狭く,このような問題に有効な解決策の1つも提案できないことは確実である。

ではでは。

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