エアーポケット
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2005年05月05日(木) |
めぐり逢えることのよろこびを |
3連休というのはすぐ終わる。もう終わる・・・。疲れ取れてないし・・・。あぁええかw
前回の日記で、フットサルをした話を書きました。今日はその後の昼食会にて、とあるイタリアンレストランにて行いましたが、話の内容はどうでもいいんだけど、そこでふっと耳を傾けざるを得なかった曲が流れきました。ジョシュグローバンの歌です。その曲が脚光を浴びたのはもう3年も前のことで、たまたま僕が最近僕が彼のCDを購入したのもあって、話の内容なんかそっちのけで聞いた振りして、その曲に魅了されてしまいました。 「うわ、こんなとこでめぐり逢えましたね。」って感じでした。この感情は恋に近いものがある。
運命は自分で掴めとよく僕の友人たちはいいます。もともと運命っていうのはあまり信じてはいなんだけど、「めぐり逢わせ」とか、「最初から決まっていた」みたいな感じのものは信じている。 音楽や映画や本なんていうのはその最たるもので、それを聴いた、観た、読んだ時っていうのが大事なんだ。「今、この瞬間にこの曲を聴けて良かった。」「この感情でこの映画を観れたから感動が増した。」っていう具合でめぐり逢わせひとつで受ける感情もかなり違ってくる。 当たり前のことだけど、人の言う感動が必ずしも自分の言う感情と同じにならない。でも同じになる瞬間っていうのはきっとあって、それはそこを通ってめぐり逢った人たちしかわからないものでね。 ふっと開いたページに涙することもあるし、100%成功すると信じて飛び込んでも、ひどいこけ方するときもある。要はタイミングなのかもしれない。 でも、タイミングを過信してはいけない。「タイミングを待つ」っていうのはナンセンスでね、待ってるという行為でもうタイミングは失ってると思うんだ。何気なく選択したこと、満を持して選択したこと。両の違いは明らかだけど、手に入るものが同じなら、どっちがいいだろ?やっぱり僕は後者の気持ちで臨みたいけど、そこに潜むタイミングを大切にしたいし、そのめぐり合せに感謝できるなら、どっちでもいいかもしれない。重要なのは自分が何を選んで何を手にしたか、そしてこれからどの景色で微笑むことができるのか。
1曲とのめぐりあいでここまで書けたら上等だろう?w
あの店、選曲は良かったが、生ハムリゾット・・・イマイチでしたw
Today's Favolite Song
ASKA 『僕はすっかり』
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