| 2006年08月02日(水):道標 |
夢を見た。 小さなコーヒーがいる。 誰かに質問されてる。 「コーヒーちゃん、大きくなったらなにになりたいの?」 コーヒーは絵を描きながら笑顔で答える。 『まんが家!』 コーヒーが、どんどん成長していく。 笑いながら、絵を描きながら、大きくなっていく。 同じ質問が何度も繰り返される。 コーヒーはその度同じ答えを返す。 何度目かの質問を受けた時。 コーヒーは黙り込んだ。 「なにになりたい?」 『コーヒーは…コーヒーは』 そこでコーヒーの成長が止まった。 コーヒーはセーラー服を着ていた。 コーヒーが絵を描く手を止めた時、目が醒めた。
……コーヒーの精神年齢は、14歳で止まっている。 夢もそれを証明した。
なりたいものになるために、なにが必要なのか。 あの頃、それをおぼろげながらにでも知ることができたら、コーヒーは夢に向けて頑張ったことだろう。 高校受験の時、コーヒーはもう既に見失っていたのだ。 自分の未来を。 自分自身を。 なぜ勉強しなくてはいけなかったのか? コーヒーの疑問がずっと解けることはなかった。 その理由が解ったのは、社会人を何年も経験してからだった。
親が敷いたレールの上を歩くことが幸せにつながるかといえば、決してそんなことはない。 しかし、ずっと放置されていても、子供には何の未来像も見えてこないだろう。 親の存在は重要なのだ。
賢くおとなしいが何を考えているかわからない子ほど、危険だ。 人生を見失っている。 |
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