ヤグネットの毎日
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2003年06月21日(土) ようやく散髪

 午前中、ようやく散髪にいくことができた。僕の髪はちょっと固めでストレート。何もしないとボサボサ頭になる。府会議員選挙の候補になるのをきっかけに、おもいきってパーマをあてた。今度も、あらためてパーマをあてなおした。なじみのお店。奥さんから、「じゃこ」を炊いたものをいただいた。ダイエット中の僕にとっては、タイムリーな一品。ありがたくいただいた。
 午後からは、会議の準備と会議。夕方ごろになって、嫁さんから電話で「急きょ、会議が入ったので保育園に迎えにいけなくなった。いってほしい」とのこと。
 さぁ、こういう予定外のお迎えのときがいちばん焦る。なんとか車をとばして、ギリギリセーフだった。
 「ギリギリ」とは、午後6時をすぎると、有料の「延長保育」となるからだ。間に合ったときには、なんとなくうれしくなってしまう。不謹慎だろうか?(苦笑)

 夕食は、「ホットドックパーティ」をした。夕食にパンなどふつう食べないのだが、昨日息子が、母親にねだって、「ホットドック」にして食べたいと、それ用のパンを多めに買うはめになった。季節柄、パンを長い時間置いておくわけにはいかないし、今晩の食事のメニューが自動的に決まったわけだ。
 といっても、ウインナーとキャベツ、スライスハム、ゆで玉子とマヨネーズを混ぜたもの、これらを適当にホッピングするシンプルなもの。
 それでも、お口のまわりにケチャップをつけたりして頬張る息子は満足げだった。

 内橋克人さんの『もうひとつの日本は可能だ』(光文社)を読みはじめた。帯びにある言葉が、どうしようもなく僕の心をひきつけた。

 「呼吸する生き物としての人間という原点にもどらないかぎり、人々が望む経済もないでしょう。私たちはいま、もうひとつ別の方向にこそ、『未来への曙光』をみることができるはずです」 

 昨日の日記に書いたことだが、アメリカとイギリスが「大量破壊兵器の保有」を口実にイラク戦争をはじめたが、いまだに大量破壊兵器がみつからないことから、ヨーロッパはもちろんアメリカ国内からも、非難の声があがりはじめている。「大量破壊兵器など最初からなかったとしたら、何のための戦争だったのか?」と。

 内橋さんの著書の巻頭の「読者へ」のなかには、きわめて簡潔にこの問いに対する著者なりの回答が下されている。

 「アメリカ型資本主義の精神」の汎世界化、その尖兵としての「自由」、二つをセットにして初めて切り拓くことができるフロンティアこそ、世界市場化である、という思想が流れている。 
 
 ときに強力な暴力的措置を講じてでも、「世界の市場化=グローバリゼーション」を実現していこうという考え。これを、「ネオ・コン」=「ネオ・コンサーバティブ(新保守派)というそうだが、こうした流れをたちきっていくためにも、「人間復興の経済」こそが必要だ。
 
 丹念に読み込みたいと心から思える一冊である。


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