ヤグネットの毎日
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2003年06月17日(火) 踏切りの故障

 息子を保育園に送るのに、朝からバトルをくりひろげた。休み明け、そして朝から京都市内に出勤しなければならない状況で、どうしても「早く、早く!」を連発してしまう。これまで朝みていたアニメを、録画だけにして家をでたので、「これみたいよ!」とごねだした。しまいには、「お父ちゃんじゃなくて、お母ちゃんといきたいよ」と言い出す始末。
 「時間がないの!いいかげんにしろ!そんなに行くのが嫌ならずっと車の中にいれば!」と「切れて」しまった僕。とたんに、後悔の気持が湧いてくる。「ごめんね。でも、お父ちゃんに協力してね。」と伝えて、ようやく園の中へ。
 5歳だから、もう親の生活の仕方が変わったことなどは、きちんと伝えていかなければいけないし、一定は話しているつもりだが、自分の気持をコントロールするのに時間がかかるのだろう。
 夕方、家に帰るとたくさんの「お絵書き」した紙をもちかえった。一枚一枚を自慢げに説明する息子。その中に、「これはね、お父ちゃん、これはお母ちゃん」と親の姿を書き留めているものがあった。
 いろいろとつらくあたってしまうときもあるけれど、息子のなかにはちゃんと自分を支えてくれる親の存在がつよく刻まれているんだな、とうれしくなると同時に、自分の感情や都合だけでしかりとばす自分を恥じた。もっと、子育てに責任感をもたねば。



 ところで、夕方家に帰る途中で、とんでもない「事件」に遭遇した。
 もう、家と目と鼻の先にJRの踏切がある。遮断機がおりたままになっていたので、電車が通過するものとしばらく待っていたが、いっこうに電車がこない。あまりに長い時間開かないので、「もしや?」と思って見上げると、「故障」マークが点滅している。僕は、あわてて踏切りに明記されていたJRの駅に電話した。午後5時30分のことだ。(携帯電話に履歴とともに時間が刻まれているので正確)
 
 「踏切りの故障です。早くなおしていただかないと、車の渋滞など大混乱します。」僕は、故障の事実とまわりの様子を伝えた。
 すると、JRの担当者は、「すぐ調べます」といって、管理システムかなにかで調べたのだろう。「やはり故障のようです、対処します」と告げた。

 この時間帯は、勤め帰りの車などが頻繁にとおる。旧道から団地の中に入ってくる道路でようやく離合できるくらいの細い道だから、知らずに入ってくるとUターンできなくなる。しかも、しまったままの踏切りを通行人やバイクが突っ切って、万が一電車に轢かれたりしたら、大変なことだ。僕は、城陽警察署にも電話して、交通整理の対応を要望した。城陽警察の対応は、「わかりました。宇治警察署に連絡して、すぐに対処します」というものだった。

 そうこうしているうちに、車やバイクが旧道からどんどん入ってくる。
 僕は、とっさに鞄の中にあるちらしの裏側に「踏切り故障中」と大きく書いて、車のドライバーにみせながら誘導することを思いついた。一市民がこうした誘導をするのは、いかがなものか、と思ったけれど、これをしなければおそらく渋滞に加え、復旧のメドもわからないドライバーにとっては、イライラがつのり、ちょっとしたパニックがおきると判断したからだ。
 何十台という車が旧道から踏切りがある方向へ右折しようとする。その一台一台に「踏切り故障中」の「プラカード」をみせながら、迂回を誘導した。これが約20分〜30分も続いた。

 ようやく、JRの担当者たちがサイレンをならしながら到着したのが、午後6時すぎだった。この時点では、まだ交通整理の警察の姿を僕は発見できていなかった。僕がもう一度、城陽警察に電話したのが、午後6時10分。
 なんとか誘導をしているけれど、限界がある。実際、あやうく「お釜をほる」ところだった車も何台かあった。
 
 踏切りのほうへいったん様子をみにいくと、ひとり警官がたっている。
 へとへとになっていた僕は、思わず、「こんなところに立っていても仕方ないでしょ?一人じゃ少なすぎますよ。交通整理にならないでしょ。旧道の入り口にたたなければ、意味ありませんよ!」と叫んでしまった。
 その警官は、いろいろ弁明していたが省略する。弁明にもなっていないからだ。

 ようやく、踏切りの故障がなおって、渋滞も解消したのは、故障の通報をしてから、実に1時間近くたってからのことだった。

 この「故障事故」は、いくつもの問題点を投げかけていると思う。なにしろ、夕方5時すぎという、帰宅者がもっとも多くなる時間帯の故障だけに、踏み切りを渡ろうとする人間と車の安全確保を第一義的に考えるべきなのだ。であるならば、道路の形状、地理的な問題を考えれば、一刻を争って「交通整理」をはじめるのが対策の第一だ。
 結局、僕が交通整理をしたところには、JRも警察もたたなかった。これは、どういうことだろうか?

 また、この踏切りはちょうど、宇治市と城陽市との境にある。道路半分から見事にわかれているのだ。警察に通報して、場所を知らせても、「ほら、○○でんきさんの前にある踏切りですよ」といっても、電話に出たものがピンとこない。行政界にある付近については、道路管理、消防などに加え、こうした緊急の事態についても、どう対応するのか、方針を明確にしておくべきなのだ。
 とくに城陽市は、東西交通の便が悪いこと、南北にJRと近鉄が通っていることから、「踏切りのおおい街」である。しかも、それを横切る道路はいずれも幅員の狭いものがほとんどだ。今回のような事故が起きた場合に、ゆきづまった車を逃がすためのスペース等もほとんどない。
 すくなくとも、万が一事故が起きた時には、個々の踏切りごとに、どういう対処をするのか、JR、警察、行政といった関係機関でマニュアルなどを確認しておくことが必要ではないのか?

 さらに、今回は携帯電話で「故障の第一報」をしたけれど、もしあそこで誰も電話をもっていなかったら、どうなっていただろう?
 「非常のときは、このボタンを」とあるが、もっと駅なり管理センターにダイレクトでつながるようなシステムをつくるべきだろう。

 大事にいたらくて本当によかった。市民の安全を守るというのは、こうした一見小さな事故のようにみえることに、どれだけ真剣に機敏に対応するかにかかっている。そのことを考えさせられた出来事だった。
 
 


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