今更20世紀のお正月。

いやいや、今年も早く日が過ぎていきます。
もう松の内もあけてしまいました。

夫の実家は古いおうちなので、お正月をきちんとされていますが
私の実家も昔は古かった(当たり前ですね)

祖母は1月6日の松の内の間は外出してはいけなくて、私たちがデパートとかに買い物に行く時に誘っても出れなかった。祖母の誕生日は1月6日なんですが、お誕生日なのになぁってずっと子供心に思っていました。
大晦日は朝からみんなで掃除して、夕方に買出しに行き、チョコレートとクッキーを買ってきて、レコード大賞と紅白歌合戦を家族全員で揃ってみるような家でした。階段の裏のひんやりとした空間におせち料理が作っておいてあって、私の大好きな数の子の松前漬けのような我が家独特のもの(たぶん数の子、するめ、こんぶをオダシに漬けておくのです)をつまみ食いしてみたり、栗きんとんを食べてみたりしていました。こっそりね。

そして「ゆく年来る年」を見ながら年越し蕎麦を食べて、祖父母は寝てしまい、それからゆっくりと民放の深夜番組を見ていたなぁ。
そういえば、皆さんはご存じないかもしれないですが
昔はNHKで「ゆく年来る年」をしていて、民放は全局同じ番組をしていたんですよ。民放の「ゆく年くる年」をね。毎年持ち回りで各局が制作していた。うちの父親は仕事柄、NHKの除夜の鐘がちゃんと鳴っているかが気になるらしくて、いつも楽しそうに見ていました。

そしてお正月、朝一階に下りていくと、祖父母は着物を着ていましたね。お正月だから。そしてお重に入ったおせち料理と、お屠蘇。お屠蘇をなんだか三々九度みたいにして、いただいてから、お年玉をもらって、おせちとお雑煮を食べていたな。
今年、家に帰ってから、実家のお雑煮を思い出しながら作ってみたのですが、たぶん、澄まし汁に、かまぼこと三つ葉と焼餅と玉子が入った気がします。そうそう、お節には何故か、蜜柑のゼリーが入っていた。金柑を煮たものとか。

こういうお節を教えてもらうこともなく、母が亡くなってしまったり、祖母も料理をしなくなってしまったから。写真にも残っていないし。記憶の彼方に押しやられているような気がします。
2004年01月07日(水)

たからもも / 薫

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