一ヶ月ほど前、 訳あって電話機を購入したわけ。
とは言っても 最近はほとんど使うこともなく 誰にも番号は教えていないので 電話がかかってくることなどない。
ところが昨日、 突然、電話が鳴り響いた。 誰かと思い、出てみたところ
<あ。ヨシムネ?>
とオバちゃんの声で尋ねられる。 この時点で私は なんだ。間違い電話か。と悟り
「いえ。違います。」
と言って会話を終了させようとしたのだが なぜかオバちゃんは
<え?ヨシムネでしょ?>
と言って食い下がる。 彼女的には、私の返事の内容などどうでもよく なぜか私がヨシムネであると信じきっている様子。 否定が足りなかったのかと思い 「いや。だから違いますって。」 と、私がヨシムネではないことを再度強く宣言。 これで納得してもらえるだろう。と思っていると
<じゃ、誰?>
と聞き返された。 あまりに意外な反応だったのでしばし思考停止。 え?誰ってなんだ。 なんでそんなこと知りたいんだ。 つーかオマエが誰だよ。
普通、このあたりで 番号掛け間違えた事に気が付くと思うのだが 彼女は自分の番号セレクトに 絶対の自信があるようだ。
とりあえず私は
「えーと。ヨシムネではないことは確かですね。」
と、私がヨシムネではない。ということを 遠まわしに3回目の宣言。 自分がヨシムネではない。という周知の事実を 一日にこんなに何度も宣言するのは生まれて初めてである。
ところが彼女はまだ納得せず 言うに事欠いて
<そうなの?>
と私に問うてきた。 これは。 これは私の根本を揺るがす質問である。 これまで「ヨシムネではない男」として 28年間生きてきた私のアイデンティティを疑う質問。
そうなの? 果たしてあなたは本当にヨシムネではないの? それは主観なの? それとも客観? ヨシムネとはなんなの? そしてあなたはなに? ヨシムネとあなたの違いはなんなの?
彼女はこう問いかけているのだ。 実に哲学的である。 深い。とても奥深い。 よくよく考えてみれば 私は自分がヨシムネではないと思って生きていたが 実際はヨシムネなのかもしれない。 なぜなら、確かに私がヨシムネではない という証明はされていない。 ていうかしてない。必要なかったし。 でも本当に私はヨシムネではないのか?
私の名前はヨシムネではない。 それは確かだ。 それは主観ではなく客観的事実である。 しかし実はヨシムネというものは名前ではなくて なにかのコードネームとか 足の人差し指が親指より長い人の総称とか メイド属性の人間のこととか そういうものなのかもしれない。 だとしたら。 私はヨシムネなのかも! そうかもしれない。 そうだったのか! 私はヨシムネだったのか!
私は戦慄に体が震えた。 目の覚める思いだった。 これまでの「ヨシムネではない男」としての人生は 幻だったのだ。 私はヨシムネだったのだ!
ようやく彼女の言わんとすることが理解できた。 彼女は私の正体を見抜いていたのだ。 それがわかった今、 彼女に言う言葉はただ一つである。 様々な思いの去来する中 私は彼女に、ゆっくりとこう言った。
オバちゃん。 電話番号間違えてるよ。
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