天下無敵な過ごし方
ああ、今日も今日だねぇ。
ここんとこの円高のおかげで薔薇が安いのはありがたい
2002年12月18日(水) 存分にマゲ 更にマゲ

老若男女にファンが多い 池波正太郎の「鬼平犯科帳」
確か、数年前の“理想の上司”に 堂々1位に輝いたことを記憶しているのだが。

鬼平 こと 長谷川平蔵宜以(はせがわへいぞうのぶため)は、実在の人物。が、それを池波正太郎は、松本白鸚(まつもとはくおう 先代・幸四郎)を人物的なモデルにして、そのドラマ化では、モデル自身が主人公を演じたという話は 余りにも有名。そして、平蔵の長男辰蔵を息子である、後の四代目・鬼平の中村吉右衛門が演じたのもの有名な話。

今、平日のCSでは 初代の鬼平犯科帳が楽しめるのだが、今日の話は(小説の)平蔵の人となりの深さと云うか、鬼平の醍醐味が味わえる 秀逸の作品だった。

「泥鰌の和助始末」というタイトルのこの話。
腕はいいが流れ大工の和助は、盗賊の一味だった。足を洗い、自分の本当の姿を知らないが、昔から知り合いの大工に身をよせ、江戸に身を落ち着けようと決心する。
 その大工には 磯太郎という 紙問屋の大店に奉公する息子がいるのだが、実は故あって、和助がその友人夫婦に預けた息子だった。順調に見えた磯太郎の奉公も、実は代が代わってからお店で孤立し苛めにあい、挙げ句の果てに濡れ衣を着せられて、首を括って死んでしまう。和助は、全てを知り、名乗ることがなかった磯太郎のために、一度は足を洗った盗人たちの仲間入りをし、昔仕掛けた細工を頼りに、その大店から8000両の金子と、裏でしていた高利貸しの証文をまんまと盗み出す。あとちょっとのところで、鬼平達・盗賊改方の御用となるのだが、和助は、堀に盗み出した8000両と共に、磯太郎をいじめ抜いた若旦那の前で、証文を破り捨ててしまう。
 お縄になり、遠島を申し渡された和助を平蔵が小天馬町から呼び出す。これから和助が行く三宅島は暖かく、柘植の木が生えていると云う。そこで、このような箱を作って、罪を償いながら余生を過ごして欲しいと、細工箱を手渡す。一瞥しただけで、訳なく箱を開ける和助。平蔵も試してみるも、なかなか開けることが出来ない。「これ、ここをこうして」と和助が導き、平蔵もそれに素直に習って箱を開けることが出来た。庭先に武家・罪人の隔てなく、一つの箱を真ん中に笑っている二人。庭先には梅の蕾が膨らみ始め、江戸も春の気配を感じつつあった。
なんて感じの話である。

和助のあだ討ちを 気持ちの上では許して認めている平蔵。それを存分に感じている和助。
なんと なんと。

和助は、江戸を斬るでも同心として活躍した大坂志郎が演じていて、職人気質と仕掛け盗みのプライドを合わせ持つ 一本気な老盗を見事に演じている。


のんでいた日本酒が 一段と旨く感じた。

やっぱり これだわさ。



正月、親子二代の鬼平が存分に放映される。
お年玉のような企画。
どれだけ見られるか 今から楽しみである。

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昨晩に引き続き 鬼平ネタ

吉右衛門版 鬼平犯科帳 第九シーズンの第一話『大川の隠居』を
御存知の方、あれは あたくしから見れは とことん駄作。
忘れてしまいなさい。原作を読んだ人なら 忘れてしまいたい程の作品であると思うのだが。
例え 大滝秀治が出ていても。
(この話のエンディングは、前での『泥鰌の輪助始末』と一緒である)
脚本を書いた人は、原作の『大川の隠居』を知っているのか?
制作側は、池波正太郎の遺言を守ったと言えるのか?
と 問いたい作品である。

引き続き、出てくるのは、真っ当な(というのも変だが)お盗め(おつとめ)だけをして、足を洗い生きている 老盗が主役。
この老盗、小僧の時の生業の船頭をして糊口をしのんでいるのだが、その腕は、平蔵に「嵐がきてもびくともしない」と言わせるほどの腕前。大盗賊の右腕として、盗人世界では その名を轟かせた人物。
名前を友五郎(船頭としての名を 友蔵)という。
江戸にいる盗人たちが、鬼平を恐がってばかりいるので、盗賊改方の屋敷に忍び込み、まんまと平蔵の寝間から、亡父の形見の銀ギセルを盗み出すのである。その後の探索で、その船頭は、密偵の一人・伊佐次の盗人時代の恩人と分かるのだが、煙管一本でも盗みは盗み。が、平蔵は同心達には隠し、伊佐次と二人だけの内緒事でコトを進める。老盗のプライドを上手くくすぐり・・・・・あとは 是非原作を読んでもらいたい。

決して 酔いが回って 面倒になったとか、ストーリーをきちんと伝えられないからと云う訳ではなく。
晴天を見上げるかのような 清々しいエンディングが待っているからである。
この話、原作では、「密偵達の宴」と共に、捕物噺ではなく、盗人噺では人気が高い作品で、その後、友五郎(友蔵)は、船頭を続けながら、平蔵に役立つ情報を提供するようになるのである。

完膚なきまでの勧善懲悪ではない 鬼平犯科帳は、
「人は悪いことをしながら いいことをして、
いいことをしながら 悪いことをする生き物」という、
池波小説のテーマを、所謂『善』の立場から描いた エンターテイメント小説だと思う。
(その対極にあるのが、『仕掛人・藤枝梅安』だと 思う。ただ、どちらも、食に関しては 空腹時に読むのは遠慮された方がいい)

その中途半端さ加減が 今の時代にあっていると思う。
だから、30年前のドラマでも、共感が呼べるのだ。


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明日は、ドキッ!女だけの忘年会 である。

女だけだから たけぞ氏は 留守番。

ツマ思いのたけぞだから、きっと代打をしてくれるに違いない。

しなかった時のコトを いろいろ想像してみて、
した方がイイに違いないと 思うはずである。

ぬひひ



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