ここんとこの円高のおかげで薔薇が安いのはありがたい
もしかして、前にも書いたかも知れない。 でも “夏が来れば思い出す”ではないが。
あたしが 髷と知り合ったのは 幼少の頃、 その時 祖母と仲良くTVで見ていたのが始まり。
が、ここまでカラダに浸透し、活字にまで及んだのは、 18才になったばかりの高校三年生の夏休みのコトだった。
普段一緒に遊んでいた友達は、 大概が大学の受験勉強のために、 家庭教師についてもらったり、 予備校へ行ったり、 塾の夏期講習へ行ったり、 或いは、 バイトに勤しんだり、 部活の後輩指導に熱心だったりで、 タダでさえ短い夏休みに 目一杯予定を入れていたらしいので、 あたしとちょいと遊ぼうなんて さらさらそんな気は起きなかったらしい。
もとい。
もともと 長期休みになったら、 あんまりコンタクトをとらなかったのだ。 電話が面倒だから。
宿題をきちんとやるたちでもなく、 その頃は、受験をするつもりもなかったので、 ましてや バイトなんて ぜんぜん 考えも行動も起こさなかったから、自時間が たくさんあった。
たくさんあったところで、 遊ぶ金はない訳だから、家でひたすら だらだらしている。 だらだらにも 若いカラダには限度があるらしく、 家の中を ふらふら浮遊した。 家の外へ出るのが 面倒だったからである。
そんな毎日を繰り返していた ある日。 何百回もその前を通った 父親の本棚の中から 一冊だけ。 多分、寝苦しい夜に 母親が読んだと思われる 文庫本が、 テーブルの上に置いてあった。 なにげに手にとると 短編で 裏表紙に書かれている紹介文も面白そうだ。 今まで読んだことのないジャンルだったから、 最初の一行だけ読んでみた。
すーっと その文に引き込まれ、そのまま ずーっと読んでいた。 そして、次の日には 読み終え、 何かに取り付かれたように、朝から夜まで、そのシリーズを読み、 その時発行している十数冊を 読破したのだった。
宿題も勉強も何もせずに 一心不乱で、 時には 暑い縁側で。 時には 風通しのいい座敷きで。 時には 昼寝がてら ソファーに寝転がって。
そして 最後の夏休みが終った。
あたしの最後の夏休みを 最初の髷狂いにした本、 それが 池波正太郎の「鬼平犯科帳」だったのである。 最初に手に取ったのが 多分第7巻。 その時には 16巻まで発刊されていた気がする。
その後、取りあえず、父親の本棚にある池波正太郎の本を 片っ端から読み、 喋る時も 江戸言葉を好んで使い、 その秋の定期テストでは、 古典でたまたま江戸時代の文学が出てきたので、 思いがけずイイ点数を取った。
未だに 蝉の声が聞こえはじめるこの頃になると、 あの日の午後の薄暗い部屋で 1冊の本を手に取った時の場面を ありありと思い出す。 鈍く でも ココロのずん底まで差した光のような そんな出会いだった。
あの夏の日から 十年ちょい。 また 蝉が 鳴き始めた。
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