天下無敵な過ごし方
ああ、今日も今日だねぇ。
ここんとこの円高のおかげで薔薇が安いのはありがたい
2001年12月24日(月) 1年前

に 入る前に、
この日記も 1000 目前!
1000を取った方、或いは 物好きな方、
あたくしが 今日 内職を棚に置いてまでも作ってた
「2001年度版 クリスマスカード」をプレゼントさせていただきますので、
宜しかったら メール下さい。


で、去年のクリスマスのこと。
仕事の帰りにちょいと飲んで、自転車で帰る途中、
20m先で おばあさんがスッ転んだ。
駆け寄ってみると、無事ではあったが、
兎に角、酔って帰るには早いにしても、
おばあさんが 一人で歩いているには 遅い時間。
一緒に駆け寄った 女性もいたのだが、
痩せている老婆一人を起こすのは大丈夫みたいだ と言って帰ってもらった。
起き上がるのを手伝って、そのまま近所まで 付合うことに決めた。
自分の街だから、たいていの地理は頭に入ってるし、
カートを引っ張って歩いている おばあさんをそのままにしておくほど
冷血漢ではなかったらしい。

自転車を取りあえず閉まった店の駐輪場に置いておいて、
おばあさんとカートを押しつつ 歩き始めた。
「家はどこですか?」
「近所に目印になるようなものは?」
の問いに
「?」
「坂を上がったところに お寺」等と
どう聞いても この近所ではなさげな答え。
しかも、おばあさんの言う通りに歩いているのに
「ここがどこかわからない」との答え。
おばあさんの手は 氷のように冷たい。
これは 数時間、さまよい歩いたに違い無い。
ふと、祖母が 痴呆症になった時、迷子になって警察官や御近所とは言えない人に連れて来てもらったことを思い出す。
「家の電話番号か、知り合いの電話番号を知っていますか?」との問いに、
家の番号なら知っているというので、
携帯で言った通りの番号を掛ける。
「わたしはおきといいます。おたくのおばあさまが 転んでしまって、
しかも道に迷っているようなので、おたくの住所を教えて下さい。御近所までお送りします」というと、
なんと、あたしの電話の前に、どんなに探しても見つからないので
警察に電話をして“捜索願い”をだしたらしい。
住所を聞くと、あたしの足で歩いても30分以上は離れてる。
これからタクシーで 迎えに来てくれるで
同じ沿線でもないのだが、駅名を言って、その前でまっているコトを告げて切る。
そこまで歩くのに さらに10分ほど掛かった。
駅前について、ずーっとおばあさんと世間話をしながら、
冷たくなった手を擦って暖めていた。
亡くなった祖母にしてあげられなかったことを思い出しつつ。

待つこと 数十分、タクシーが停まって、
礼儀正しそうな壮年の男性と上品そうな女性が
慌ただしく降りた。
「お母さん!」
と、男性が おばあさんのそばに駆け寄り、女性もそれに続く。
聞くところによると、夕方から帰ってこないことに気がつき、
近所中を捜しまわり、電話をすること4時間、
警察に捜索願いを出した直後の無事の連絡だったとのこと。
転んだ時に腰を打ったらしいことと、寒さで手がとても冷たいから、
きっと体も凍えているだろうことを伝えた。
どうしても、名前と住所を というので、断わったのだが、
「大事な母を助けてもらった」というコトバと
そのままだまっていると、いつまでたってもタクシーが発車しなさそうだったので、
名前と住所を書いた。
美味しいお菓子がいいなぁなんて こそくな考えを浮かべつつ。

おばあさんは いつまでも手を振ってくれた。


数日後、お礼状とともに商品券が届いた。
お礼状は、おばあさん、その息子さん、そのお嫁さんと、
直筆で とても丁寧なものだった。
が、
それはとても嬉しいのだが、お礼として頂いたその額に驚いてお礼の電話を掛けた。
奥さんが出た。
おばあさんは 風邪を引くことなく、腰の痛みも今は治って元気。
手をずーっと暖めてくれたことが とても嬉しかった、
お礼としては、全然不十分である とのこと。
あたし的には とてつもなく十分だったので、
お礼を言って 電話を切った。



これが 去年のクリスマスの出来事。
その時着てたのは 真っ赤なコート。
これって 関係ある?






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