2005年10月21日(金) |
サラリーマンは楽か?という疑問から流れ出したもの A Sentence Without A Unity |
サラリーマンになりたいと思う人はどれくらいいるのだろう。 しかし、一般的にはあまりサラリーマンに憧れる人はいないだろう。 ということは、皆、人がやっていないような希少で狭き門な仕事に就きたいのだろう。 それはごく自然な願望だ。 ただ、お金を稼ぐことは簡単ではないし、社会人の経験がなければより難しいだろう。
よく、<夢を追いかける>というような表現がなされることをしている人がいるが、それはそれでいいことだと思う。 しかし、お金を稼ぐ必要がある人ならば、働きながらでも(アルバイトではなくて)夢は追えるのではないか、という考え方もできる。 だからとりあえず自分に向いていそうな仕事につくことがそういう人には必要なのだろう。 もちろん仕事をしながらでは追えない夢もあるだろう。 もちろん稼ぐ必要がないほど手元にお金があるのなら夢を追えるだろうし、稼ぐ必要がある人でも、それほどの夢なら生活レベルを顧みずに追いかける価値がその人にとってはあるだろう。
そう考えると、ニートがなんだ、ということだ。 そんなに大そうな問題だろうか。 働かないのも人の勝手である。 「働け働け」とばかり連呼する人は、ストーカーに似ている。 何故働かないといけないのか? そんなことは子供にだってわかる。 問題なのは、大人が子供に対し、大人になったら働かなければいけないのだという刷り込みをしていることにある。
子供には一般的に社会人の経験がない。 というか経験し辛い環境にある。(できるなら幼い頃から経験してもマイナスにはならないと思う) そんな彼らに必要なのは、大人がなぜ大人になるのかを大人が伝える、ことだ。 簡単に言えば<大人の醍醐味>である。 それは言葉で伝えるものとは限らない。 姿勢でほとんど伝わるだろう。
子供は世間を進んでいく運転者としては初心者である。 ガソリンだけは充分にあり、車は最新式である。 しかし、使い方はわからないはずだ。 必要な運転方法を教えてもらったら、あとは見よう見まねで運転するしかない。 一方大人の車は改造車であることがほとんどだ。 それをみて子供がカッコイイと思う。 僕もあんな風にしたい。 これをこうすればこうなるんだ。 ならこうしたらもっといいのではないか。 そうやって試行錯誤している子供や人間をみるのは割りと面白いのではないか。 また新車であれば傷がつかないようにと神経を使うが、自然に使い込んだ車なら、多少の外から受ける傷にもへっちゃらになる。 時が経てば解決する問題もあるということを教えるのも、効果的なことだろう。 だから、僕も運転の仕方を教わり、また教えたいと思う。
仕事の話に戻る。 税金を払わないといけないから働く、という面もある。 しかし、税金も今ほど必要か。 みなが利用するものをつくるために国がその分を徴収するのは結構。 しかし、そうでないものもある。 極端に言えば、図書館があり体育館がある。 無料だから気軽に使えるという状況がある。 しかし、頻繁に使用する人が多いとは言えない。 むしろ有料にする(ある程度低料金で)ことにより、その分税金は減り、行きたい人は払ってでも行く。 その方がメリハリがあるというか、そういうところに行かない人が、戻ってくる税金を有効に自由に使えるのではないか? 兼ね合いが難しいとは思う。
まだ仕事の話に戻りきっていない。 今の時代は飽和した仕事も多々ある。 それらをギュッとしぼり、より多くの職業が誕生する。 それがこの世の中を面白くする。 そしてより適した仕事に皆が就ける。 その分ストレスも減る。 そういう方向へ行けばいい。
そもそも仕事をすることは人生の目的ではない。(稀に渾然一体となっている人もいるが、それはそれでいい) なら仕事など職種だのなんだのにこだわらなくてもいいではないか。 それならとりあえずサラリーマンでいいではないか。 なにしろ楽だ。(楽だからこそ精神的に大変、というのはある。それはつまらないからだ) 自分で起業するより遥かに。 楽な分、趣味に没頭できる。 仕事に必要なのは客観性をもつこと。 仕事をするのは生きるため。(多くの人が) 仕事がいかに自分の核となるものではないかがおわかりだろうか。
あなたは何で生きてるの? 生きたいから? 違うでしょ。 生きて何かがしたいからでしょ? 違う? もし仕事の中でしかできないことがしたいのならそれはそれでいいのだけれど。
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