「12月24日」 冬の景色は美しい。 そんなイメージがある。 特に雪化粧が施された景色は、滅多に雪の降らない場所に住む私には神秘的なまでに美しいと感じる。 しかし地面の土やコンクリート、花や木々、その他あらゆる物が白い雪に包まれている状態が美しいのなら、包まれているそれらの本来の美しさは見えない。 白一色という統一性が雪景色の美をつくりだしているのならば、包まれている一つ一つのものの美は目立つはずがない。 それが、冬という季節の責任だ。 それならば、北海道や北陸の寒さを、常夏の国に、反対に常夏の国の暖かさを北海道や北陸にもっていってみればどうか? きっと、今まで寒かった北海道などでは常夏の暑さに我慢できず、パンツまでも脱いでしまうという騒ぎが起こり、常夏の国ではあまりの寒さにエスキモー人もビックリの厚着を装うだろう。 それではいいことなしだ。
雪景色のように包まれている美と言えば、何でも布で覆われているものの絵を描いている画家がいる。 確かにそれらの絵には不思議な美しさがある。 しかし、その画家が例えば銀行強盗を描くならば、初めからすっぽりと布に覆われているからそのまま描くだけで楽である。 しかし、美人画の美人が布に包まれている様子を描くとどうか? 美しさが台無しといえる。 しかし、タイトルが<美人の包まれ>であったら、<この包まれている人はどんな美人なのだろう?>と観る人の中で理想の美人が描かれるという意味では美人画であると言える。 あと、富士山が茶色い布に包まれているものを描けば、それは<よく見た富士山だ>などと皮肉を言う人がいるかもしれない。 それほど間近でみる富士山は汚れているらしい。
「12月25日」 雪景色の始まりは、雪が舞い下りてきた時である。 雪が舞い下り始めると、外にいる人は同時に空の方を見上げるものである。 しかし、客観的にそんな様子を冷静に眺めていると、なんだか怖い気もするのは私だけだろうか。 ある一定のエリア内にいる複数の人間が同時に同じ動きをする恐怖。 そんなものを感じる人も、きっとこれを読んでいる人の中にいるだろう。 そういうものの恐怖として、朝のラッシュ時に駅に向かう同じ方向へ向かう集団なんかも怖いと常々思っていた。 今日の早朝、私はそんな様子をあるデパートの屋上から眺めているのだと想像しながら、同時にその駅に向かう集団の中に溶け込んでいた。 客観的に自分が溶け込んだ集団を観察したかったからだ。 すると、私も含めた同じ方向へ向かう人々がある時、デパートの屋上にいる想像の中の私の方を向いた。 それおはほとんど同時であった。 その瞬間想像の中の私はギクリとした。 しかしそれも当然のことであった。 想像の中の私の方へ、轟音を放ちながら、何故か布に包まれた飛行機が突っ込んでこようとしていたからだ。
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