「午後2時16分(前編)」 えー、『スタンド・バイ・ミー』については、後編の方でご紹介したいと思います。 まぁですね、今日の今の天気ってのが、珍しく心地よくていいですね。 秋の日の晴れの暖かい時が、一番いいっすねぇ。 お風呂はぬるま湯が一番鬱陶しいですよね。 だからって、冷水に入るのも、アツアツのお湯に入るのも嫌っすね。 この後次第にぬるくなっていくのだろうが、今のところ熱い、っていうのが一番いいっすね。 でも、その時丁度良い湯加減でも、この後冷めるだろうそのお湯の事を思うと、何だか儚い気がしますね。 このエイチツーオーの一群は、温かい時にだけお風呂のお湯として認められ、そうでない時は認められないのだな、と思うと儚いですね。 まぁ、冷めたら洗濯に使用する水として利用されたり、何かと省エネの時代には、エイチツーオーも活躍するから、そう儚くもないのかもしれませんね。 しかし、本当はお風呂のお湯として一生を終えたかったエイチツーオーもいるかもしれません。 その事を思うと、やはり儚い気もします。
「午前0時28分(後編)」 金曜日、『スタンド・バイ・ミー』を劇場へ観に行きました。 もちろんリバイバルです。 500円で観られるのもあって、一度ビデオで観たにもかかわらず行きました。
やはり、映画館で観るのは違いますね。 緊張感がいいです。 ビデオで観た時よりも印象が良かったのに驚きました。 単に家では集中して観ていなかったのかも。
例えば少年四人組が橋の上のレールにいる時に、汽車が迫ってくるというスペクタクルシーンがあります。 ちなみに橋の上のレールなので、少年らは橋を渡り切らないと脇に逃げることができません。 そんな一連のシーンの一つに、汽車の正面をバックに、少年らが必死になって手前に走ってくるのを正面から捉えたカットがありますが、それの臨場感は映画館でしか味わえないでしょう。
この話は、確実に青春映画としてカテゴライズされるだろう類のものです。 ニュースで行方不明だと伝えられるある少年の死体をとある場所で見た、という話を聞きつけた、もうすぐ中学生になる少年四人組みのロードムービー。 個性に満ちたこの少年ら一人一人が良かったですが、特に故リバー・フェニックス演じるリーダー格の少年の、リーダーらしからぬ弱音を吐くシーンが良かったです。
彼の父親は町で評判の悪い酒飲みで、彼自身も学校の先生たちに目をつけられているという境遇にいました。 父親が悪いから、という風に自分も人から見られることを絶えず意識させられてきた彼は、森の中での死体探しの冒険の中で迎えたある晩、友人の一人にこう言いました。 『誰も僕を知らないところへ行きたい』
青春映画とは何なのか? いい青春映画は観客に何をもたらすのか? それは一言に要約するのは難しいが、強いて言えば単なる<甘酸っぱい良き思い出>なんていうもんでなく、もっとシビアな<人生の欠片>であろうと思います。
そんなシビアな面だけでなく、森の中での眠れぬ夜に身を寄せ合う四人の姿は心地よい温もりを感じさせてくれるし、その一人が退屈凌ぎに語る創作物語は聞き手の三人が面白いというように僕も面白かったです。
その創作物語は、日頃デブデブと言われ淡々と屈辱に耐える男の子が、ブルーベリーパイの早食い競争で、事前に油をグビグビと飲み、その腹で競争に参加し、吐きそうになるまで食べ続け、実際に前年度チャンピオン吐き散らすというものでした。 それを見た周辺の人間が互いに向かって吐き、結局観覧者を含む会場全員(デブの男の子を除く)がそこら中に吐きまくり、彼の皆に対する復讐は成し遂げられる。 実に彼はそれを成し遂げた時、満足げでした。 そんな一連のイメージシーンの中で、一個所最高に面白かったのがあります。 そのイメージシーン中、語り手の少年がナレーションになっているが、彼(語り手)が<双子がお互いに>と言った時に、二人の男の子が向かい合っていて、お互いに吐き合っているシーンが、一瞬映るのです。 何故か、それが最高に笑えました。
他にも面白いシーンはいくつかあり、さっき橋の上のレール上を逃げるシーンのことを言ったが、なんとか全員が逃げ切れた後に、誰かが<これで次の汽車までは安心だ>と言ってみせるというジョークも、好きでした。 まさに、緊張のシーンの後のジョークは生きる、というのの好例でありましょう。
名作と聞くと、時代遅れのイメージがあるが、そんなことはないと思います。 そう思わせないのが名作だ、と個人的には思うのです。 公開されてから何年も経っている作品でも知名度がある、というのは、並大抵のことではないのではないでしょうか。 今公開されている映画の中で、どれほどがこの先十年後二十年後まで残っていくでしょうか? そう思うと、余計『スタンド・・・』の凄さを感じられずにはいられません。
―END―
|