| 2003年03月18日(火) |
CHICAGOまで運転 |
「CHICAGO」 もうすぐ『シカゴ』という映画が公開される。 アカデミー賞でも何部門かにノミネートされており、何かと話題なものである。 この映画はミュージカルらしい。
ミュージカル映画といえば『雨に唄えば』。 これはなかなかの見物だった。 家でビデオで観たが、映画というよりも舞台を眺める感覚だった。 とにかく唄い踊るシーンが圧巻であった。 これでもかの連続。 人がこんなにも意味のないこと(基本的に生きるために必要不可欠でない活動のこと。食べたり飲んだり寝たり、今でいうなら仕事もそうだが・・・というもの以外の活動のこと)に熱心になっている姿が微笑ましい、と思った。 ただし、(僕なりの映画の理想像である)映画としてはイマイチであった。 これは舞台で見たほが圧倒的に感動できる類のものではないか?
話は『シカゴ』に戻る。 この映画はスターを夢見る女達とマスコミを操作して名声を上げようとする男の物語であるらしい。 つまり、この映画のキーポイントはマスコミの存在といえるだろう。 今の時代、マスコミに利用される人達の方が多い。 それの逆を行くこの映画、なかなか面白そうだ。(僕はこれの舞台版があることさえ最近まで知らなかった。) 逆に、そう、世間を操りかねないものを、逆に利用しようとする気持ち、これは大切なのかもしれない。
ところで劇中ではマスコミの前で演技をし、それを利用する男リチャード・ギア。 彼は惜しくも(?)男優賞にノミネートされなかったらしい。
また、映画という某体もマスコミの一種であろう。
【マス コミュニケーション】新聞、雑誌、テレビ・ラジオ・などを使って大衆に伝達すること。マスコミ。
彼(リチャード)は映画という某体を使ったマスコミ(大衆に伝達すること)には成功したのだろうか?
劇中でのリチャードは演技していること(マスコミを利用していること)が世間にバレてしまったらマズい立場に立たされるだろう。(社会的抹殺を食らうという意味で) 反対に劇場でスクリーンに映し出されているリチャードが、つまり俳優として劇の役を演じることは世間に許されている。(社会的抹殺は少なくとも食らわない)
こう考えると、合法的に名声を上げている現実のリチャードは賢いと言える。 しかし、今回に限っていうなら、彼は劇中では名声を得ることは出来たとしても、アカデミー賞にノミネートされなかったということで現実に名声を得ることは出来なかったのである。
「車の運転」 車は走行中、大抵は前を見て運転しなければいけない。 何が起るかわからないからである。 前車との充分車間を空けているつもりでも、油断は出来ない。 ただし、左折時はサイドミラーでバイクに注意をしなければならないように、たまに周りに注意することもある。
人が人生という名の運転をしていると言うのなら、走行中意味もなく後ろを向いているのは危険なのだろう。 しかし、そんな事をしている人間にはきっと注目が集まる。 『なんであいつは後ろを向いているのだろう?』と。
人が何のために運転しているのかはワカラナイが、たまに走行中に前を向いているのに飽きた人間は、たまに意味もなく首をグルッと180度回転させるのだろう。 案外、ずっと前を向き、たまにミラーで周りを確認する人間は、首を180度回転させる人間を羨ましく思っているのかもしれない。 『俺もやってみようかな』
―END―
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