イブの流した涙
▼▼▼今回の一言▼▼▼
財布の中身(レシートとかカードの類ではない)がみるみる減っていく

○そのうちに、2003年12月27日(土)「注文をとらない料理店」を完成させる予定

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↑というページができました
感想専門の日記です

▼▼▼森博嗣▼▼▼
☆「大学の話をしましょうか」が中央公論新社から発行!
☆「τになるまで待って」が講談社ノベルスより発行!
Gシリーズ第3弾
☆「朽ちる散る落ちる」が講談社文庫から発行!
Vシリーズ第9話
☆「森博嗣の浮遊研究室5 望郷編」がメディアファクトリーから発行!
完結編だそうです
☆「ダウン・ツ・ヘヴン」が中央公論新社より発行!
スカイ・クロラシリーズ第3作
文庫になったらよもうおかな(「ナ・バ・テア」も未読)
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◎オススメは「MATEKI−魔的−」(詩集、PHPより発行)です
というより僕が好きなだけ

宝生出演の舞台観ました!(7/26)
詳しいことは月曜の日記にて
・・・と思ったけど
やっぱり水曜の日記分に書きます
と言ってて、未だに書いていない
そのうち書きます
それにしても、もうすぐ一週間経つのか
・・・もうすぐ三週間か
・・・もうすぐ四週間か
・・・一ヶ月越えたな
・・・それどころか二ヶ月経ったな
・・・もうすぐで三ヶ月だよ
・・・経ったな、三ヶ月
そして四ヶ月が過ぎ・・・
半年が過ぎ・・・
七ヶ月が過ぎ・・・
そして八ヶ月(一年の2/3)が過ぎ・・・
驚いたことに十ヶ月が過ぎ・・・
もうとっくに一年経ち・・・
一年と二ヶ月が経ち・・・
二年と二ヶ月が経ち…

2001年06月12日(火) 一丁の銃を武器に

小学校で八人の生徒が殺されるという事件がおこった。
なんとも無惨な事件が起ってしまった。
こういう事件をニュースで聞く度に、世の中が黒くよどんでいるようなイメージを頭に浮かべてしまう。
包丁を手に持った犯人、逃げ惑う子供たち。
そこには恐怖を奏でる子供たちの叫び声がこだまする。
今という時代が不景気な故の犯罪なのか?
いや、時代のせいだとうそぶくのは良くない。
よく考えてみれば、その時代その時代にとっての凶悪な事件が
いつの時代にだって起っているのであろうから。

子供は大人の姿を見て育つと言う。
今の彼らはこんな時代を教訓にして進むのか?
それともそれに毒されたまま新しい時代を迎えるのか?
いや、毒されたままではそれを迎えることはできないだろう…
こんな犯罪を、大人達の犯罪を目にしながら育つ今の子供たちは、
何を想いながらこの先を行くのだろうか?

人は犯罪を起こそうと思えば、ある程度どんな犯罪でも為し得る事ができるだろう。
誰だって、今回のような事件を起こす事が出来てしまう。
でも、今回の犯人以外の人は、今回の事件を引き起こさなかった。
そして理由がどうであれ、大多数の人が今回のような犯罪を起こさずに一生を過ごす。
僕たちは人を殺すということに対して嫌悪感を抱く。少なくともそう思う人が多い。
人を殺した人であろうとも、好きでそれをしたわけではない場合が多いと思う。
それでも人殺しは起きてしまう。
だからといって、しょうがないでは済まされない事である。
「誰かに殺されてしまう!」
僕はそんな状況に見舞われたら、きっとそれを拒む。
それにはきっと明確な理由なんてないのだろうと個人的には思う。
本能的に、これと言って論理的な理由も言えないまま、
僕は人に殺される事を拒だろう。特に動機のない人殺しに対しては。

子供にこんな質問をされたとしよう。
「どうして人を殺してはいけないの?」
これに対して論理的な説明をすることは難しい。
<人を殺してはいけない>ということは、理屈ではないからだ。
だからそれを子供に説明するにはどうしたらいいのか?
それを感じ取らせるためにはどうしたらいいのか?

そもそも、なんで僕は人を殺すことに、罪を犯すことに嫌悪感を持つのだろう?
そう思う事に対しては僕は何の答えも見出せない。
だけど、こうは思う。
「喜びを感じていたい。」
強引な理由かもしれないけど。
人殺しをするより、日々を笑って過ごしていたい。
悲しい時を生きるよりは、楽しい時を生きていたい。
その時その時を楽しみながら、この人生をまっとうしたい。
そう思えているからこそ、人は簡単に人を殺さないのではないか?
楽しい時に人殺しを考える人がいるだろうか?
この世の全てが面白いと思えたなら、それはしめたものだ。
そんなにすばらしい事はない。
でもそういうわけにもいかない。
辛い時だって、悲しい時だってある。
それでも、その先に少しでも希望が持てたとしたら、
それを手に入れようとして、すべては向こう側の楽しい何かを見つける為に、
僕らはその先を進んでいけるのではないか?
途中で休憩したって、時には道に迷ったて、
自分の信じる場所に向かっていけるのではないか?

この先、どんな辛い事があろうとも、それは何かの為なんだと、
そう思えたなら、僕らは一気に宙へと舞い上がれるかもしれないし、
そんな夢を糧にしながら、本当に宙へと舞い上がっていけるかもしれない。
そんな気持ちでいたいから、
自分の信じる方向へと向かって歩いていきたい。それが若気の至りと言われようが。
まるでロード・ムービーの主人公のように、
自分でしか知れ得ないようなものを求めながら。
そうしていたら、ずっと笑っていられるかもしれない。
素直に笑っていられるのかもしれない。
少なくともそう信じながら、
僕は自分なりのまっすぐを見続けていたい。
ボクは一丁の銃を武器に、
明日に向かって撃っていく。
銃口はいつだって自分なりの前に向けながら。

こんなとりとめのない事を想いながら、今日という日が過ぎていく・・・

<一丁の銃を武器に>の巻−END−

ついしんのランチ
○オクラのゴマ和え(160円)
○トム・ヤン・クン(168円)
○持参のオニギリ3つ

[ぢぇんのコメント]
俺は…衝動的な感情によって人を殺したいと思う事もある…
罪は…咎められる事がないならばいくらでも犯してしまうだろう。
人間の嗜好の問題・・・そんな理由によって殺されたらたまったもんじゃないが、
それぞれに違う嗜好を持っている。
ある人は音楽を聴くことで、ある人は誰かと楽しく話していることで、
ある人はゲームをすることで、ある人は煙草を吸うことで・・・
人を殺す快感に目覚めた人間というのは、そういったどんな楽しみも感じる事が出来ない結果
向かう方向を間違えてしまった人間なのではないだろうか・・・
あるいは、それこそが人間の正しい道なのかもしれないが・・・


 < シーラカンス  everyday history  光の射す方へ >


ダーZ [MAIL]

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