日々是修行也
BBS









登場する人物・団体・店名等はすべて架空のもので、仮に存在していたとしても単なる偶然です。 また、暴力・犯罪・性的描写も個人の思い込みによる勝手な想像です。

2014年09月02日(火) ** 貴重な体験談

以下コピペだけど・・・ ハプニングバーで逮捕された方(女性)の体験談


その時は、突然やってきました。いつものように、顔なじみの人達と、いつものように遊んでいたら、誰かが言った、「警察」という言葉とともに、フラッシュの光に包まれ、あっという間にフロアが明るくなり、たくさんの警察官がなだれこんできました。

それは、身づくろいをする時間も、ほとんどないようなほんの、数十秒間の出来事だったように思います

呆然とする私達に、警察官は、「動かないで。○月○日○時○分、公然わいせつ罪で、あなた方を現行犯逮捕します」と告げました。

頭が真っ白になって、現状を受けとめられないままでいる私には、お構いなしに、慌しく警察の捜査は進んでいきます。

ほぼ、その時の着衣の状態で、一人一人写真を撮られ(全裸に近い人はバスタオル等でカバーするように指示されました)。それぞれに、警察官がつき、それからの行動を監視、指示され、客も店の従業員も、私達が逮捕された、その瞬間に居た場所へ留められていて、まるで、時を止められたような空間の中を、私は、警察官と共にロッカーに荷物と着替えを取りに行きました。

フロアに戻り、着替えが終わると、携帯電話は押収されました。警察官二人に、両脇を固められた状態で店の外へ連れだされ、待機していたパトカーに警察官二人と乗りこみます。

逮捕されはしましたが、手錠をかけられることはなく、私の姿を、あまり人目にさらさないようにとの配慮も感じられました。ですが、店の外は、普段から人通りも少ないところでしたし、野次馬もいなく、幸いでした。

パトカーの中で、警察官と少し話しはしましたけれど、私の頭の中は、これからのことを思うと、整理がつかないままでしたし、ずいぶんと、適当な返答をしていました。


ハプニングバー、カップル喫茶、パーティ等の摘発が相次ぐ中、ネットなどでも、再々取り上げられていた、「危機管理」。ハプニングバーでの違法な部分は知ってはいたけれど、自分の中では納得がいかないままでした。その危険性も知ってはいたけれど、やはり、どこか他人事だったように思います。


警察に着き、取調室に入って間もなく、腰紐を付けられました。そして、どの時点だったのかは、覚えていないのですが、すぐ外すけどね、と告げられて、手錠もかけられました。

そして、手錠と腰紐をつけられた状態で写真を撮られました。写真撮影の後、手錠は、すぐ外してもらえましたが、腰紐は、ずっとつけらたままでしたし、その腰紐も座っている椅子に固定されていました。

取調べの間に、トイレ等で移動する時は、いつも、その腰紐をつけたままで、当然、いつも、その腰紐の先は警察官が握っていました。

取調べは、罪状の説明から始まり、現住所、本籍地、家族構成、出生地、学歴、職歴、両親の名前、実家・婚家の住所と家族構成、夫の職業と勤務先、夫の年収、夫・私の貯蓄額、等を聞かれます。黙秘権の説明も最初になされていたので、言いたくないことは、答えませんでした。

それから、ハプニングバーをどのようにして知ったのか、行くようになった動機、最初に行った日はいつ頃か、行った回数、店までの交通手段、いつもどのようなことをしていたのか、逮捕された日の入店時間からフロアに入るまでの経緯、フロアに入ってからの状況、逮捕された時の状況、店の従業員の写真を見せられ、その確認、従業員は、どのような接客をしていたのか等、店のことも色々と聞かれます。

取調べの途中で、身元引受人の連絡先を教えてくださいと言われました。夫には知らせたくないと言いましたら、知人、友人、誰でもいいからと言われ、仕方なく実の姉の連絡先を教えました。

取調べも終盤頃に、私と一緒に遊んでいた方達の供述内容と、私の供述内容を照らし合わせての、逮捕時の状況の細かな部分の再確認が行われ、最後に、警察官による供述調書の読み聞かせがあり、その後、もう一度、私自身で調書を読み直しさせられました。読み聞かせの時も、読み直しの時も、訂正すべき箇所は、訂正してもらい、調書一枚一枚に署名と指印をさせられました。



ハプニングバーの摘発の危険性は知っていましたので、万が一のことを考えて、もし、警察に連れて行かれた時は、身元引受人は比較的、近辺に住んでいた姉に頼もうと思っていました。

ただ、釈放された後に、弁護士へ相談に行った時、身元引受人のことを尋ねましたら、本当は、身元引受人なんていらないんですけどね、警察は、必ず、そう言うのですよね、と言われました。

法律的には、弁護士の言う通りなのかもしれませんが、実際は、身元引受人がいないと、帰してもらえないような感じがします。

ある意味、これも警察の意図というか、逮捕されると、こういうことになるんだぞ、という今後への戒めのような、そういうものなのかもしれません。

ですが、弁護士への相談は、私の不安な気持ちを消してくれました。初めての逮捕で、わからないことばかりでしたので、ネットでいろいろ調べる毎日でしたが、いろんな情報を得ることはできても、反って混乱していましたので、弁護士からの回答は、とても安心できるものでした。


その日の取り調べは、5〜6時間に及び、終わる頃には、私には、もう、ほとんど思考能力はありませんでした。とにかく疲れ果てていました。

そして、私は、留置所の、ある一室に連れていかれ、そこで、留置所の警察官が、私の所持品の一品一品を私への確認をとりながら、事細かに記録をするという作業があり、これが結構時間をとります。

それが終わると、所持品と共に、身につけているものは、下着も全部、警察で保管され、私は、警察で用意された下着と衣服に着替えさせられました。

着替えさせられるまでに、留置所における規則書のようなものを読むように渡されましたが、ほとんど、頭には入ってきませんでした。

それが終わると、ようやく留置所の中に連れていかれ、自分で布団を運ばされて、留置所の部屋に連れていかれました。

留置所の消灯時間を過ぎていたので、全ての行動を静かに行うように言われました。部屋には、2人が就寝されていました。私は、布団を敷いて、やっと眠れると、ぐったり布団に横たわりましたが、結局、朝まで、ほとんど眠れません。いつ家に帰れるのだろうか、そのことばかりが頭にあります。

次の日、同室の方との会話や、留置所での一日のスケジュールをこなしていく中で次第に、私は、もしかしたら、今日も釈放されないのかもしれないと不安になっていきました。

逮捕されたことが、家族、知人、友人に知れることになるかもしれないと、そのようになった時のことを考えて、いろんなことの覚悟をしだします。

ただ、どうしても、本日中に連絡をとっておかないといけない重要な用事があり、それだけは、どうにかしたかったので、とても困り果てました。

それで、部屋の方に相談すると、ある弁護士の方を教えて頂き、警察官に、法律事務所と弁護士の名前を告げて、来て頂きたいと要求すると、すぐに、連絡をとってくださり、本日の夕方までには来てくださるということで、ようやく少しホッとしました。

昼食後に、また、取調べで、取調室へ連れて行かれました。昨日の取り調べの補充みたいなものでしたが、主に、店のことを聞かれたように思います。

取調べが終わると、別の部屋へ移動させられ、そこで、写真撮影と指紋採取をされました。

そして、また、留置所の部屋に戻されました。留置所では、本を読んだりしていましたが、ちっとも入ってこず、心も身体も置き場のない感じで、途方に暮れるというか、今までに味わったことのない孤独感というか、圧倒的な力の前に何もできない無力感というようなものを感じておりました。

でも、同室の方とのコミュニケーションも、だいぶとれてきて、どうにか、置き場のない自分をまぎらわせていた頃に、警察官から呼ばれ部屋を出ると、最初に連れてこられた留置所の一室に連れていかれ、釈放ですので、着替えるようにと言われました。

保管されていた、所持品の一品一品の返却確認をしながら着替えましたが、釈放される安堵感と一刻も早くこの場を出たいとの思いで、ものすごい速さで着替えたように思います。

釈放されたのは、16時頃だったと思います。留置所から出て、身元引受人である姉と義兄が迎えに来てくれていました。

警察を出たのは、17時ぐらいだったと思います。逮捕されてから、27時間近く経っていました。


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


初めての無断外泊と27時間近くも連絡がとれないままでしたので、私を心配した夫は、警察に捜索願を出していましたし、私の携帯電話の開示を求めに、電話会社にも行っていました。

ただ、私の携帯電話の契約者は、私、本人だったため、開示は拒否されていました。

帰宅後、夫に、無断外泊と連絡がとれなかった理由を作り話で、説明しなければならなかったわけですが、携帯電話の開示がなされていなかったことは、救いでした。

夫が、私の作り話をどこまで信用したのかはわかりませんが、私のただならぬ雰囲気を察したのか? 私の作り話を追求することもありませんでしたし、それからも、逮捕されるまでと、なんら変わらぬ家庭生活を送っています。

捜索願のほうは、釈放された翌日の朝、夫が取り下げに出向いたのですが、警察からは、特に、私の逮捕のことは知らされてなく、安心しました。

逮捕された警察署と同じ警察署では、ありませんでしたが、同地域でありましたし、少し不安でした。


釈放後の警察での取調べは、数日内に一回と数週間後に一回の計二回でした。取調べは、それぞれ、3〜4時間だったと思います。

もう、ほとんど内容は覚えてないのですが、二回目の呼び出しの時は、私の供述内容の訂正のためだったと記憶しています。

私は、ハプニングバーへ行った回数を、適当に、しかも、少なめに言っていたのですが、実際に行った回数との開きがありすぎたので、その訂正のためでした。

でも、単にそれだけではなく、今までの供述調書を検察に提出するためのまとめだったようにも思います。

後は、検察からの連絡を待つように言われ、ようやく警察での取り調べは終了しました。


検察からの連絡がきたのは、逮捕されてから10ヶ月後ぐらいのこと。担当検察官からの直接の電話でした。

検察官の指定する日と私の都合を調整し、日時を決めて頂きました。検察での取り調べに不安はありましたが、逮捕された時とは違って、ある程度、頭の整理もできていましたし、何よりも、逮捕されてから、あまりにも時間が経ちすぎていましたので、忘れていることも多く、検察官の質問に対して、「覚えていません」で、済むことも少なくありません。警察での取調べに比べると、そういう意味では楽です。

検察では、警察での供述調書を元に、検察官が、その内容を私に確認しながら、新たに供述調書を作成するという感じでした。

ただ、警察では、私の供述したことを書いていくという感じでしたが、検察では、検察官の頭の中には、もう、ある程度の調書の筋書きが出来上がっていて、できるだけ、その筋書きに私の供述内容をはめ込んでいくようなそのような印象を受けました。

ちょっとした検察官の言葉の選び方に、私は、検察官の意向らしきものを感じることもあり、言葉使いに、しっくりいかない場合は、そのように伝えて訂正してもらったりもしました。

検察での取り調べは、一日で終わる予定でしたが、検察官の予想より時間がかかったようで、急遽、翌日に、また、2〜3時間の取り調べに行くことになり、検察での取り調べは、二日間にわたりました。

そして、今回の事件の審議を終えたら、また、検察からの連絡が入るということでした。10日後ぐらいに、検察からの連絡が入り、また日時を調整して検察に行きました。

その時は、略式裁判になるがそれでいいのかどうかの確認と、略式裁判の諸々の説明等、数十分で終わったと思います。

裁判所からの連絡は、二週間後ぐらいと告げられましたが、略式命令書が届いたのは、一ヶ月後ぐらいでした。

逮捕されてから、ちょうど一年ぐらいが経った頃でした。罰金を納付して、一年がかりで、ようやく全てが終わりました。



ハプニングバーで逮捕されて、私は、一年間、重い荷物を背負ったような状況のまま過ごしていました。

ハプニングバーの違法の部分を納得できていなかった、私は、逮捕された時には、できるだけ、お店にも迷惑をかけたくない、自分に関わったあらゆる人達にも迷惑をかけたくない、そういう思いがありました。

ゆえに、警察での取調べの時は、頭の整理がつかずに苦しかったです。全てを話すわけにもいかないが、知らないですまない部分も多く、何を、どのように繋げて、どこまで話して、どこを話さないようにするのか、自分の中で、一つのストーリーを作り上げるのに、必死でした。

多少の嘘もついたけど、嘘つきの自分が苦しかったし、犯罪者になった自分も苦しかったです。


釈放されてからの数週間は、食事の味もせず、よく眠れず、何をするにも、どこか上の空で集中できません。どこからか、逮捕されたことが洩れるのではないかと、いつも、ドキドキしていて、誰かに、胸のうちを吐き出したい気持ちでいっぱいでした。幸い、聞いてくださる方がおりましたので、少しずつ、吐き出すことで、楽になったように思います。

その後、数か月間も、抜け殻のように、ただ、自分のやるべきことだけを、淡々とこなしていたように思います。

逮捕時に、携帯電話を押収されて、メールとかも読まれていましたので、もしかしたら、私の携帯の情報を全部、警察は握っているのではないかと思うと不安でたまりませんでした。

今、思うと、そこまで、警察がするわけもないのでしょうが、その時は、そういう心理状態になっていましたし、しばらくは、電話もメールも、遊び仲間には怖くてできませんでした。


逮捕後、半年もすると、だいぶ、私も落ち着いてきて逮捕前のような日常を取り戻したようでした。


処罰については、弁護士への相談とネットで逮捕された人の判例などを読んだりして罰金刑になるのだろうとは思ってはいましたが、検察で、略式裁判になると告げられるまでは、楽観視はできませんでした。


今回、私が、この件について書いてみようと思ったのは、ハプニングバーを愛する人達に安全に遊んで欲しいという思いと、摘発は回避して欲しいという思いと、ハプニングバーで遊んでいる限りは、いつ、私のようなことになるかもしれない、それは、誰にでも、突然やってくる、という警鐘になればと思ったからです。


摘発のその日は、普段と決定的な違いがありました。それは、お店の入っているビルのエレベーターが、よく見える場所に、近くの飲食店の店員の格好をした二人の男性が、あたかも休憩をしているかのようにいた事です。

その時は、エレベーターに乗り込む私を、じっと見ている、その男性二人の視線が、なんだか、恥ずかしく感じたのですが、よくよく考えると、数年間、そのハプニングバーに通っていたのに飲食店の店員を見たことなんて一度もありませんでしたし、エレベーターの方を、じっと見ている人も、見たこともありませんでした。

私の考えでは、それが店員を装った捜査員だったのではないかと思うのですが、あくまでも、推測なので定かではありません。

ですが、お店へ繋がる入り口周辺の、普段の人の流れと様子は、よく把握しておいたほうがいいと思いますし、店への入り口、通路、エレベーターを監視しているような人がいないかは、毎回、チェックしておいたほうがいいのではないかと思います。

そのビルの入居テナントの状況によっては、ハプニングバーへ入った人数の確認も難しい場合もあるのかはしれませんが、とにかく、人が数名入ったことを確認できないと、摘発もできませんので。

それと、その日は、いつもより新規単独男性が多かったようにも思います。私が入店した後に、すぐ二人の新規男性客が入店してきました。

後に、一人は、捜査員だったと確認できましたが、もう一人はわからないままです。


警察の内偵は、摘発の3ヶ月ぐらい前から入っていたようです。これは、取調べの時に警察官から聞いたことですし、実際、ある客は、その時期に、まったく遊ぼうとしない新規カップルに妙に違和感を覚え、警察の内偵ではないかと思っていたそうです。

それに、イベント時は、危ないのかもしれません。摘発される前の月の、大きなイベントには、内偵が入っていたと、警察官が、はっきりとそう言っていましたし、摘発された日も、イベント日でした。


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