日々是修行也
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登場する人物・団体・店名等はすべて架空のもので、仮に存在していたとしても単なる偶然です。 また、暴力・犯罪・性的描写も個人の思い込みによる勝手な想像です。

2009年03月30日(月) こんなの書いてて頭の中は大丈夫なのか?

久々に気分が悪くなる文章を読んだ・・・(笑

http://news.livedoor.com/article/detail/4109939/

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4月1日からJR東日本が、首都圏の駅の全面禁煙を開始している。これまで、ホーム端にあった喫煙所が撤去され、 特定の喫煙ルームでしかタバコを吸うことができなくなっている。私自身はタバコを吸わないので、なんら不便はな いのだが、ホーム端に喫煙所があることによる不快を感じたこともない。

JR東日本のPRによれば、喫煙所の煙がホームの客に漂ったり、車内に流れたりということを問題視しているらしいが、そんなに嫌ならホーム端に行かなければいいだけのことだろう。駅の構造上、通らざるをえない場合もある
かもしれないが、そんな一瞬のことを排除しようとするのは、あまりに嫌煙側にのみ都合のいい言い分のように思える。それに、煙が問題なのであれば、各駅に喫煙ルームを設置すればいいのである。ホームの全面禁煙はいいが、駅全体でタバコを吸えないというのは問題である。私としては分煙徹底の視点で、公共交通機関には喫煙ルームの 設置を義務づけるべきだと考えている。

と、そんなことを考えつつ、喫煙ルームについて検索をしていたのだが、世の中の嫌煙家の要求は、分煙要求をとうの昔に通り越していたらしい。今や彼らの主張は「喫煙ルームの設置自体が許せない」というところにまで、行き着いている。例えば、路上喫煙禁止区域を設定した市町村が、喫煙ルームを設置するということに対して、「その費用を誰が負担するのか」と言うのである。もちろん、それは税金に決まっているのだけれども、彼らは「喫煙という個人の趣味を税金で負担するべきではない」のだという。

もし、そうした理屈が通じるのならば、私は児童公園や市立の保育園や幼稚園、小中学校の全面閉鎖を求めたい。
なぜなら、子供を持たない私が、子育てという個人の趣味を、税金を通して負担してやる理由はないからだ。子育てというのは、個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為であるのだから、当然負担も受益者負担
であるべきだ。そう主張したい。私には「個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為」と「個人が自らの幸福を追求するためにタバコを吸う行為」に、大きな違いがあるとはまったく思えない。「子供を育てる行為は、子供を育てない人に迷惑をかけていない」と思うかもしれないが、家族を守ることが絶対善であるという社会通念によって、単身者がいかに不利益を受けているかを考えれば、煙なんかよりもはるかに迷惑な存在なのである。

それでも私が、学校の全面閉鎖などを求めないのは、たとえ迷惑であっても、それを互いに我慢していくことによって、始めてみんなが幸せな社会が実現すると考えているからである。それが誰もが自分にとって不愉快なことを声高に主張し始めてしまったら、社会は成り立たないだろう。

「子供がうるさいから公園を撤去しろ!」などという主張が通ってしまうような社会を、私は許容したくはない。タバコもそれと同じである。人は誰しも、他人に何らかの迷惑をかけながら生きている。人権を主張することも大切だけれども、だからこそまずは他人の権利を認めることから始めてみてはどうだろうか?
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顔写真もあった・・・(~_~;)




話の展開というか、喩えが的ハズレなことこの上ない。

わざと書いてるのかな!? そうだとしたらスゴイ才能だ。(笑


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