2004年01月08日(木) そこで中居くんの眉間の皺ですよ
野村芳太郎ファンの井ノ本です。 これ言うと引くひと結構いるんだけど何でかなあ
(今日は「砂の器」原作/映画のネタばれがあります。未見でネタばれを見たくない方はスルーしてください)
で、「砂の器」ですよ。 原作はちょっとトンデモなミステリーですよ(好きだけど)。 映画は感涙ですよ。 丹波哲郎ですよ。 加藤嘉ですよ。 「そ、そんな人、知らねえ!」はいくらあざとい演出だと頭で思ってはいても涙3デシリットル。
それがTブーSでドラマ化。 主演、マー坊。
なんかなあ・・・・
第三話までは見たんですけどどうしたらいいのかしら。 もうなんつうかなあ。 マー坊がピース@模倣犯にしか見えないんですがどうしたらいいんでしょう。 最終回でマー坊ロケットやっちゃうんだろうかとか思ってしまうんですがどうしたらいいんでしょう。 マー坊が天才ピアニストの役なんですけどどうしたらいいんでしょう。 思い出のピアニカを吹くシーンでわたしも吹いてしまったんですがどうしたらいいんでしょう。 (ちなみに原作・映画では作曲家)
見てるとこういろいろ配慮してやってるんだろうなあと思わせるところがあって困ってしまいます。 マー坊のシリアス演技の引き出しがいっこしかない(マー坊を演じてるときはいきいきしてたなあ…)のは木村拓哉略してキム様と同じだからこの際不問。 つかそれはまあ込みこみのパックツアーとおなじなので。 マー坊自身はけっこうがんばってるとは思います。 それを補って余りあるしょもなさがなあ。 とってつけたような新キャラ(松雪さん)のうすっぺらい設定とかに激しくうんざり。 女性ファンをあてこんでマー坊と松雪さんのラブロマンスを盛り込んでるんだろーなあとか。 マー坊ファンのためにピアニストマー坊を出してるだろうなーとか。 マー坊ふんする和賀の殺人の動機をドラマではやたら「宿命」「宿命」言ってるのがまたやなかんじで。 最近のテレビなんてそんなもんだとは思うんですがなんつうかあのー 肝心のストーリーをないがしろにされたらどうしようという不安がすごい出てくるんですが。
原作と映画では和賀の父親がハンセン病であるということが動機にかかわってきます。 原作の時代背景ではハンセン病患者へのものすごい(というか非人道的な)差別があったからこそ和賀はその過去をひたすら隠すし、 過去を知っている三木を殺してしまうわけです。 もちろん殺人の動機なんてなんであれ正当化はされませんが、 なんというか、そういう事情があるがゆえにやりきれなさが漂う話になっているわけです。 映画なんかはもっとすごい。 原作では死んでいる和賀の父が映画では生きていて、三木はどうしても和賀を父に会わせようとする。 刑事が和賀の父を探し出して現在の和賀の写真を見せて問い詰めるんだけど、 父は泣きながら「こんな人は知らない、知らない」という。 そういう、なんていうか、誰も悪くないのに不幸になってしまう人の話になってたと思うわけです。
でもドラマではハンセン病のエピソードを削るという。 今のテレビではそういうテーマを扱えないんでしょう、それはわかる。 うーん、でも、じゃあそれで和賀が殺人までしなければならなくなるような「宿命」って何?というか。 そこに説得力があるかどうかがドラマ版の成功の鍵だと思いますが、 今の感じだとあまり期待できないような気がしてしまう。 (もちろん成功してくれればうれしいとは思っていますけども) マー坊にどこまで汚れ役をさせられるかって兼ね合いがありそうに見えて。 悲劇のヒーローヒロインみたいにはしないでほしいなーと。 つか、だったら「砂の器」じゃなくていいんですよ。 フツーにオリジナル脚本でいいでしょ。 話題性はあるかもしんないけど、へたに原作の内容を殺ぐのであればやらんほうがましだと思うので、 ドラマ版にはやるならちゃんとやってね、と思うしだいです。
一番勘弁してほしいのは実は和賀の父は犯罪者で…ってやつ。 まんま「訪問者」(萩尾望都)ですからね… オマージュをぱくってどないすんねん (「訪問者」は「砂の器」を見て考えついたそうです)
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マー坊版「砂の器」公式ウェブ http://www.tbs.co.jp/utsuwa/
ハンセン病国賠弁護団のウェブ http://www.hansenkokubai.com/ |
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