2003年11月26日(水) 尾崎豊では「街路樹」がいちばんすきなのですが
それは少数意見なのか?井ノ本です。
つうか尾崎信者はいまでもいるのでしょーか。 岡村靖幸こと岡村ちゃんの新作をいつまでも待ちわびるひととおなじくらいはいるのでしょーか。 岡村靖幸と石野卓球改め岡村と石野のアルバムがとうとう出るというニュースに日舞のような踊りを踊ったのはわたしだけでしょうか いやない 踊りに優劣はないのです お前の村の踊りを踊れ! なにを訴えたいのかわたしは
とりたてて信者ではありませんが尾崎豊のうたはけっこうすきです。 でも十五のナントカ(夜くらい言え)とか十七歳のカントカ(地図くらい言え)はそんなでもないです。 薫ちゃん@「薫の秘話」by松田洋子いわく「しょせん中流育ちのガキの思春期を食い物にした猿芝居(でしたっけ)」 まあこれはあえてうがちすぎた言い方をしてるんでしょうけどもわからんでもないです。 普遍的ですけど賞味期限がありますからねえ思春期って。 過ぎてしまえばこっぱずかしいもので。 そういえば「卒業」って歌もありましたがこのうたはいまどきの中高生に通用するんだろうか。 「高校教師」上戸彩バージョンでは藤木直人が夜の校舎窓ガラス壊してまわってましたが。 教師がかよ!
ええと話がとんですみません。 尾崎豊ってまじめなひとだったんだろうなあと思います。 なんつーか正義とはなにか社会とは何か生きる意味とはなにかとか考えるほうのまじめ。 まじめもいろいろありますからね。 おいといて。 そのまじめさがまあ青臭さであり同時に持ち味だったんでしょうけども、 まじめなひとってこわれやすいですからねえ。 勝手な憶測ですが表現とは何かとか考えすぎちゃったんじゃないでしょうか。 10代の教祖みたいにされちゃって煮詰まってアメリカにいっちゃって(どうでもいいですが吉田栄作が皿洗ってたかどうかはナンシー関が鬼籍に入ったとしても一生気にし続けるひとはたくさんいると思います)。 で、アメリカからかえってきて出したのが「街路樹」。 これがねーわたしはすきなんですよねえ。 なんか混乱してて混沌としてていいのです。 聞いてて楽しかないですがなんというか「ああこのひとは悩んでたり混乱してたりしたんだろうなあ」というのがそのまま出ていると思います。 1曲目の「核〜CORE〜」なんかいきなり「なーにかーはなしをしーようーなんだかーわからないーけどー」です。 こっちもわからないよ!とツッコむ隙のないなんつうかほんとにせっぱつまったかんじ。 しかもこの曲10分近くあるし。 ほんとつらかったんだろうなあたいへんだったんだろうなあ、と。
煮詰まってるのをそのまんま出すってけっこう度胸がいったんじゃないかと思います。 そのままっていうのは難しいと思うんですよね。 衒いとか恥ずかしさとかあると思うし。 お世辞にもかっこうよかないし、できがいいわけではないし。 でもそれを出すっていうのが、こう、まじめさのあらわれというか。 本人の置かれた状況は知りませんが、とにかくそのときの気持ちは明らかに出ているなあというのはわかります。 そんなのがわかるようなものには実はなかなかお目にかかれない。 そういう意味でなんというかいちばん「街路樹」はいいと思うし好きだったりします。
曲としてのできって考えればあんま評価高くはないだろうなあとは思いますが、 これ信者としてはどうなんでしょうねえ。 曲への思いいれじゃないのかなあ? 本人への思い入れなのかなあ? 身の回りにいないからわかんないんですけど。
ちなみにタイトル曲の「街路樹」はふつうにいい曲です。 そういう曲もあるからこそいいアルバムなのかなとも思いますが。 |
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