矛盾スルニモ程ガアル
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2004年07月28日(水) それは、優しさか否か。

こんばんは、ぼむです。

本日は引き続き「彼が甘い(涙)」とというお話をば。



彼がとても優しい人だと私は繰り返し(うざい程)申しておりますし、事実多分そうなのだと、思うのです、が。



実は付き合う前の会話で、一つだけ、引っかかったことがありました。




それは、卒業式にサークルで貰ったお花をどうしたかという話題で。



彼が、

「花を貰うのは嬉しいけど、3日で枯れてしまった」

と言ったので、私が、

「あ、水の中につけてはさみでちょっと茎を切ってあげれば、またお水を吸うようになるよ」

と水切りのことを教えたんですね。


そしたら彼、


「それは知ってるんだけど、可哀想で出来なかったんだよね。何だか痛そうで」



とのたまわれた訳です。





「んまー。何て優しい人。花が痛いとか思うだなんて」と思う一方で、




何言ってんのこの人




と、私が思ったのは事実です…。





だって、何ていうか3日で枯らす方がよっぽど可哀想じゃないですか。



目先のことに囚われて、そもそもの大切にしなきゃいけないものを失っては意味無いですよ。



少々花に痛い思いをさせても、また元気に水を吸うようになって、咲ける限り咲いた方が、花にとっても幸せじゃないかって私は思うのですが…。



そういう一見思いやってるようで実はそうじゃないんじゃない? みたいな優しさの使い方は、私、あまり好きではありません。




それならいっそ「水を替えるのを忘れて枯れた」とかの方が…うーん…それはそれで微妙ですが…ともかく、優しいのはいいのですが、それで本質を見失われては困るのですよ。




就職のことにしたって、「こうなればいいな」っていう希望を言うのはいいのですが、そうでなかった時のことも冷静に考えて、どうしたらいいかを考えていって欲しいのです。


っていうかですね、私が「Aになるんじゃない?」って聞いた時に、「いや、けどBになるんじゃないかなあ」って、何の根拠もなく言うのをやめてくれればそれでいいのですけれど。


Aというケースも想定して、その上で「今はBになる可能性のほうが高い」と判断して「Bじゃないか」って言うならいいのですが、Aというケースを「そうなるかも知れない」って受けとめずに、「Bじゃない?」って希望的観測で言うのが気になるのです。
冷静に分析した判断ではなく、心が拒否している故の希望だというのが、何となく分かるのですよ。


確かにBになるかも知れない。だけどAになるかも知れないという可能性は変わらずにあるんだから、「Bになる可能性もある」とか言ってAのケースを考えずに放棄するのはやめて、両方の可能性を受けとめて欲しいのです。


その上で、希望として「Bならいいなあ」っていうのなら全然歓迎なのですが。






まあ、この就職のこと(彼と遠恋になるかも知れない、そうなった時私はどうしたらいいか)について母親に相談した所、







そんなの決まってから考えなさい








との有難いお言葉を頂いたので、「確かにそうだなー」と思うことにして、今はあまり考えないことに致します。






…さすが、我が母…。(ほんと凄いよ…)


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