しもさんの「コラムニストを目指して」

2007年02月09日(金) 予算審議をしない野党は「これでいいのか」

柳沢厚生労働大臣の「産む機械」発言で、野党が予算審議の拒否をし、
結局、野党欠席のまま委員会を通過した補正予算。
本当に、これでよかったのだろうか、と疑問が残る。
今度は「健全」発言……とまたしばらくは、国会が空転するのだろうか。
今国会が始まる前、野党は「徹底的に予算審議で戦います」と
断言していたような記憶があるが、私の間違いだろうか。
それはそれ、これはこれ、と最重要課題と懸案問題を区別しないと、
大切な補正予算が、
与党の思うままになることをだれも気がつかなかったわけではあるまい。
もちろん厚生労働大臣の発言を肯定するわけではないが、
彼なりに、開き直って言い訳をするわけでもなく、
何度も何度も謝っているにもかかわらず、断固として許さない野党をみると、
巷で問題にされている「いじめ」となんら変わらない図式が見え隠れする。
あまりいき過ぎた追及は、国民感情を逆なでするのではないかとも思える。
ここらで「まぁまぁ」とお互いの肩を叩き、
「ここはこの辺で」とリーダーシップを発揮し、仲裁できる政治家の出現を、
私は望みたい。
今、一番大切なことは、重箱の隅をつっつくのではなく、
なにが今、国民に求められているか、を大所高所から判断することである。
野党議員が「木を見て森を見ず」にならないことを切に願いたい。

http://www.janjan.jp/government/0702/0702069593/1.php



2006年12月29日(金) 温泉くらいは地方に任せて〜東京の温泉ブームに一言

最近、温泉ブームとかで東京には、足湯をはじめ、
多くのSPAがオープンしている。
今まで、地方の専売特許だったはずの「温泉」。
確かに、都民にとっては会社帰りに温泉があった方が便利だろう。
しかし、すべてを東京都内で解決してしまうことに、私は危機感を覚える。
伊豆のある温泉街では、大きなホテル・旅館が、泊まったお客の要望に応じて
館内にラーメン屋からカラオケまで整備したところ、
観光客は外出することがなくなり、
温泉街全体がさびれてしまい、観光客が減少したという話を思い出した。
その解決策に採用されたことは、浴衣に下駄のスタイルで、
カランコロン鳴らしながら「外湯」を目指して、
外へ出てもらう仕掛けだったと言う。
今回の「東京温泉ラッシュ」という動きを、
私の住む「伊豆」という地方から見た時に、
東京だけの発展を考えるのではなく、
日本全国の活性化を視野に入れて開発を進めて欲しい、
と思うのは私だけではないだろう。
今の掘削技術をすれば、
「温泉」を整備することは簡単なことかもしれない。
しかし「東京」という地域がひとり勝ちをするのではなく、
自然を活かした「温泉」などは、地方に任せるくらいの太っ腹を期待したい。
もちろん、地方も「おもてなしの心」に、磨きをかける必要があるが……。

http://www.janjan.jp/living/0612/0611184942/1.php



2006年12月17日(日) 「義務」とは、人として行うべき道

「義務」とは、人として行うべき道―来年に向けて、
手帳のメモ整理をしていたら、ひょっこり出てきたフレーズである。
日本国民の義務と言えば「勤労」「納税」「教育」であるが、
最近では、働かない若者が増えてきたし、
税金の滞納額が驚くほどの数字を示している。
さらに、子どもをしっかり「教育」できない親も増えている。
これは「仕方ないでしょ」では済まされないことだと思う。
だって「日本国民の義務」だから。
「義務」とは、人として行うべき道……に当てはめれば
「勤労」「納税」「教育」も、人として行うべき道なのである。
人として生まれ、人として生き、人として死んでいくのであれば、
最低限の義務は果たすべきであろう。
義務とは「しなければならない努め」という意味であるが、
無理矢理、誰かに押し付けられるものではなく、
人として率先して行うべきこと、と解釈して欲しい。
巷を賑わせている、いろいろな問題の解決は、
もしかしたら「義務」の再定義にあるかもしれない。

http://www.janjan.jp/living/0612/0612096184/1.php



2006年11月16日(木) 若いころ人に迷惑をかけた人」起用に疑問

毎晩のように、テレビでは「教育」をテーマにした番組が放送されている。
私が気になっているのは、番組の司会やゲストに、元暴走族とか、ツッパリ、ヤンキー経験者を起用することである。
若いころは、ちょっとくらい悪いことをしていてもいいんだ、大人になったら更生すればいい、というものではないのだから。「2度としてはいけないこと」と「1度でもしてはいけないこと」。この違いをハッキリさせるべきであろう。
他人に迷惑をかけて、それを自慢するなんてやっぱりおかしい、と感じているからだ。
夏の深夜、暴走族の爆音で寝られない経験だって、何度かある。「あの頃は若かったから……」で片付けてほしくないと思う。
確かに人生は1度で、反省しても戻れないかもしれない。が、若い頃の悪態を是とする風潮は認めたくないからだ。
確かに、番組を見れば、問題を起こす若い人たちの気持ちを理解できるかもしれない。しかし、そんな若者は、理屈っぽい教育論を交わす番組なんて見ないだろう。
ちょっと過激な意見かもしれないが、私はそう思う。見てほしい人たちが「見たい」と思うような番組作りを望みたい。

http://www.janjan.jp/media/0611/0611144694/1.php



2003年10月27日(月) 国体ホッケーの試合でも違いを実感

静岡国体のホッケー競技をカメラ片手に観戦していたけれど、
やはり男子・女子にはスピード・技術に大きな差を感じたなぁ。
体力の違い、いわば骨格、筋肉のつき方も違うのだろうけれど、
全体を見ながらプレーする能力は、男性の方が得意のようだ。
女子の場合、トップクラスのチームでさえ、
オープンスペースへ走りこむ光景がなかなか見られなかったし、
試合中の選手の動きも、
緩急を混ぜ、フェイントで相手を交わす動きなどが少なかったもの。
こんなスポーツをとっても、同じレベルで戦うのには無理があるよ。
だから、種目にも「男子・女子」と区別があるのだと思うんだよね。
何でもかんでも、出産以外は全て同等。
あとは、社会が生み出した性差(ジェンダー)だとする理論は、
この違いをどう説明するのだろうか。
男らしいプレー、女らしいプレーがあってもいいし、
ユニフォームだって、女子は女子らしいデザインで可愛かった(笑)。
そろそろ男女の違いを認めた上で、
お互いがどう思いやるか、という視点に切り替えていった方が
この意識啓発は進むと、私は考えているんだけれど・・。
長い歴史の中、生活様式にあわせて進化してきた脳や骨格。
狩猟に適した男性の進化、家事をするに適した女性の進化。
それは、同じ人間とはいえ、筋肉のつき方さえ違うんだよ。
スポーツで鍛えた彼ら、彼女らのプレーを見て、
そんなことを感じた取材であった。



2003年10月24日(金) ピンクは、女性を表現する色?

名古屋の地下鉄・東山線のホームで見つけたよ、女性専用の車両。
さらに、それを示す目印の表示板もね。
色は全て、ショッキングピンク。これには驚いた。(笑)
なんだか、街で見かける「ピンク看板」と変わらず、
けばけばしい色だったから、がっかりしちゃった。
女性と言っても、子供から高齢者までいる訳だし、
なにも超ド派手な色にしなくてもいいのに・・というのが私の感想かな。
サクラに代表される「ピンク」という色は、濃さにより
おしとやかに感じたり、派手に感じたりする変わった色だね。
好きな色は?の問いに「ピンク」と答える女性が多いけれど、
男性は、どんなピンク色なのか、尋ねたほうがいいかもしれないよ。
「控えめなピンク」を好きな女性と「派手なピンク」を好きな女性は
まるっきり性格が違うような気がするからさ。
だから地下鉄で見つけた、女性イコールピンク、という図式の表示は、
ジェンダー、なんて叫んでいる女性陣が、
よく目の色を変えて抗議しないものだなぁ、という視点で見つめていた。
私は、男性だけれど、桜のようなピンク(桜色というのかな?)は好き。
だけど、やはり恥ずかしくて、好きな色はピンク、って言えないなぁ。
(ショッキングピンクとは、やはり違うはずなのに・・)



2003年09月23日(火) 日蓮上人「夫婦の絆」

お彼岸の中日で、墓参りに行ってきた。
その境内に書かれていた、日蓮上人のお言葉だったと思う。
「にょにん(女人)は、をとこ(男)をたから(財)とし、
をとこ(男)は、にょにん(女人)をいのち(命)とす」
素敵な言葉だと私は思ってメモをしたけれど、どう?
出産以外は全て平等、と訴え続ける男女共同参画社会には、
お互いが支えあう夫婦関係は、理解できないだろうか?
何百年も前から続いてきた考え方、これは文化と言ってもいい。
そんな日本の文化を否定することが、男女共同参画社会だと言うのなら
私は、やっぱりこの考え方には賛成できないなぁ。
男は単純だから、財として扱われれば、悪い気はしないよ、
それを粗大ゴミ扱いするから、バカにされたと思い、
その感情のやり場がなく暴力に及ぶ(DV等)ケースだって考えられる。
勿論、暴力を肯定しているわけじゃないよ。
だけど、そんな男の感情を逆なでする言葉が氾濫していると思うな。
もう一度、日蓮上人の言葉を読み返してみようっと・・。



2003年09月22日(月) 『踊る大捜査線THE MOVIE 2』の女性管理職

映画を観てないので、なんとも言えないけれど・・
先日、友達と観てきたという友人の奥さんから感想を聴いたんだけれど。
そのひとつに・・
女性管理職がヒステリックになるシーンがあるらしい。
「あれじゃ、まるで女性は感情的になってダメっていってるみたい」と。
へぇ、そういう見方もあるんだなぁ・・と感心させられたよ。
たぶん、私が観たら、そんなシーンは気にならなかったんだろうな。
やはり、同じ性ではなければわからない感情なのかなぁ。
自分と同じ性が、バカにされている・・そういう感覚。
これも不思議だよね。
逆のパターンで、男性が役に立たないシーンがあっても、
全然気にならないと思うんだ。
あぁ、こういう男もいるんだよ・・程度の感想は持つかもね。
もし『踊る大捜査線THE MOVIE 2』を観た女性がいたら、
そのシーンについて、感想をお聞かせ下さい。
これは、社会が作り出した性差(ジェンダー)だと思うから。



2003年09月20日(土) 顧客層を明確にした店づくり

男女共同参画、男女平等を叫んでいるはずなのに、
世の中は、さらに男女を意識したビジネスが展開されている。
大型百貨店が、相次いで売り場の改装をしている記事を見つけた。
その手法は、ターゲットを特化し、個性を出すという。
「紳士」「女性」という区別だけでなく、もっと絞った改装。
ある百貨店は「こだわりを持つ30〜50代の男性」をターゲットにし
品揃えをした。
「20代の働く女性」を強烈に意識した店づくりをした百貨店は
オープン時に22〜27歳の男性社員12人が店頭で赤いバラを胸に、
女性客を出迎えたという。
どの店も、生き残りに必死なのである。
「男女を意識した店づくりは、社会が作り出した性差」と
言えるだろうか?
世の中は、ますます「性差」を意識した方向へ向かっている。
さらに、最近では、年代まで意識した方向へ。
やはり私の感覚では
「男性も女性も一緒に買える洋服売り場」の方が不自然。
もう一度「社会が作り出した性差(ジェンダー)」について
本当に、いけないことなのか・・考え直す時期に来ていると思う。
机上の政策論は、何も意味を持たないような気がしている。



2003年09月10日(水) 月と火星、どっちが男性?どっちが女性?

昨晩の「月と火星のランデブー」、とても魅惑的な光景。
大きさは、全然違うのに、お互いがとても輝いていた気がしない?。
ちょっと、こじつけになるかもしれないけれど、
「男女」の関係はこれかな?と、眺めていたんだ。
「男女共同参画」「男女平等」を叫ぶ方々は、
まず大きさが同じじゃないと納得しないかもしれないけれど。
なにも、大きく見える月が男性、小さく見える火星が女性・・
そんな定義をするつもりはないんだよね。
だけど、ついつい見た目の大きさだけで判断して、
「今の世の中、女性が月、男性が火星」とか
「どうして女性が、男性の傍でおとなしくしていなきゃいけないのよ」
そんなことを言い出すんだろうな・・と可笑しくなってきた。
実際は、火星の方が比較できないほど大きいんだよね。
地球からの距離が違うから、実際の大きさと違うんだよ・・と
気が付けば、笑みがこぼれてくる。
男女も、どちらが大きい・小さいなんて、関係ないでしょ?
まず、個として独立していて、その上でお互いが魅力的に見えるように
適当な距離を保つ。
こんな考えって、おかしいかな?


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