m a b u t a n o u r a - 空中音楽日誌 - 
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フリフリおれ的わたし的ベスト2009はこちらより


2016年08月19日(金) トーマの心臓、嵐、ナ・バ・テア、青い麦(本とか)

 夏ですね。旧盆も終わりました。毎年母方のお盆を手伝うのですが、数年前より仏壇を持っている叔母が認知症になっていて、じりじり進行していてやれることが少なくなっていくのでそれをフォローつつ、こうやって家を閉じていくのかなあ…と思ったりする。父方もやらなくなっていて、世間ではにぎやかな季節なのですが、うちは穏やかに過ごしている。いやオリンピックか。親はスポーツ好きなんで毎日夜更かししてるな。いいんじゃないですか。

 今年の夏は本をけっこう読んでいます。漫画も含め。映画はあんまり見てなくて、シン・ゴジラは一回行った。こちらはエヴァも見てないし特撮ファンでもないのでまたも純粋に見て楽しむだけで、ギャレゴジと同じくらい好きくらいな。終盤の無人電車爆破とかすげーと思ったけど、反面これ国策映画になっていく気がするという不安にもかられてあんまり手放しでおもしろいとは言いたくない感じ。いやおもしろかったけど、ギャレゴジとかその監督の前作のモンスターズもよかったし、韓国のグエムルもまだ大好きだよ。シン・ゴジラは音がサラウンドじゃないっていうのがおもしろいなと思ったけど、音楽が前面の遠い所から聞こえる感じで、超早口で詰め込んだセリフとか物音を音楽がじゃましないつくりになっていて、そこはうまいなあと思いました。

 本は、いろいろだけど夏は珍しく小説それもジュブナイル(死語?っていってもラノベではないしなあ)を読んでいる。夏だから海の話とか涼しそうなやつ、を選んだつもりだけど、どうかなあ。

トーマの心臓 / 萩尾望都→これは漫画。数年ぶりに読み返したけど、最後のユーリの告白の所が見事に記憶から抜け落ちていて、うわ〜〜そうだこんなんだった〜〜〜と打ちのめされていた。数年後またこういう感じで読み返すんだろうなあ。ということはたぶん私はユーリのことを受け入れられてないってことだよな。思想的には共感していてもおかしくないのだが、ユーリを陥れたやつの顔が気に食わない!(笑)たぶんそれに尽きるんだと思う。

 またこれは最近知ったことだけど、萩尾先生はこれを描く前にこういう寄宿舎を舞台にした映画を見ていて、これだったら私はこう書くわ!みたいにしてできた作品だったという。かたや竹宮恵子先生はあの風と木の詩を描いて(発表はトーマの方が先ですが)いる。それと比べると元々の映画はそんな哲学的でもない、甘酸っぱい学園ものみたいな感じだったけど(私の印象)これを見てああいうものが生まれてくるのかと思うと震えてしまいます。また脇役のオスカーのスピンオフ作品が今年出た雑誌の付録で手に入って、読めて嬉しかったです。

嵐 / ル・クレジオ→本屋で開いておもしろそうなので購入。舞台が韓国済州島の近くの小島で、韓国人の母とアフリカ系米軍人父(逃げる)との間に生まれた主人公の少女が出てくる。母は韓国本土で米軍の父と関係して主人公を産み、ソウルからその島に流れてきて海女になった。主人公の少女もしだいに学校行くのも嫌になってきて、お母さんと同じ仕事やるわって感じになっている。そこへ米国人の男が、恋人が入水したこの島を訪ねてきて、ベトナム戦争で暴力事件を傍観していた罪で服役(これ本当にあるのかな?)していた過去などを思い出したりする中で少女とも出会う。しばらく親交を深めていくが、まあなかなか難しいこともあって、彼らは島を離れることになる。

 海辺の情景の描写が美しいし、少女もおもしろい子なんだけど、やっぱりアフリカ系という設定がどうも浮いてしまうというか(それは私自身の偏見・差別的要素でしかないのだろうけど)、彼女の肌はかなり濃いということになっているのだが、話の展開上それは何も影響を及ぼさないんですよね。アジア世界(というか北東ってつけるか?沖縄も変わんないけどなたぶん)において黒い肌というのは強烈なスティグマになり得ると思うんだけど、作中ではその肌の色でいることがどういうことなのか、それは一切描かれません。なんだろー、元記者のおっさんが少女と会う時にいい匂いする(とは書かれてないけど・私の想像)くらいかなあ。どうしてもそこは気になった。

 作家のル・クレジオはベルベル系の奥さんだったり、アジア・アフリカの文化に共感を持っていてこういう作品も書かれているんだけど、う、うん…ていうしかないかなあ。フランスの方はあんまり気にしないんですかね。元記者も米国人なら、やっぱ少女とその男の間には一定の緊張感が生まれるのは自然だと思うので、その辺重視していないのは何ぞ、であんまりそういうのは考えず絵の美しさを想像してごらんみたいな作品なのかなあと思ってみる。あとこの本は中編が2つ入っていて、もうひとつのはこれから読む予定です。

ナ・バ・テア / 森博嗣→これも本屋でたまたま見つけて購入。文庫です。スカイクロラシリーズというもので5冊くらいあるのかな、全部読まないとわかんないみたいなんだけど、最初に買ったこれでほぼ満足している。最初に出たスカイクロラの脇に出ていた人物のスピンオフ+巻き戻しみたいな感じで、2番目に読むのが定石らしいけど本棚の端っこに置いてあったのでまずこれを読んだ。

 舞台は未来の日本ぽくて、戦争が娯楽化している。それ用につくられた人間を雇い、戦争(おもに戦闘機での戦い)をショー化して楽しむようになっている世界のようです。しかしこの方の文体がすっきりし過ぎてるのと登場人物の禁欲さで独特の透明感というのか、特に今作に出てくる草薙水素(攻殻機動隊のキャラと一字違い・オマージュがあるのかもしれないけど私はわからない)という女性が気難しいというか、余計なことはしない仕事はちゃんとやるみたいな、まーおもしろくはないけどすっきりしてて薄い感じがなんか心地良くて、欠片でしかないこの本が一番好きです。ほかの本も筋書きを確認しようと思って読むけどわかんないし(わざと主語をぜんぶ「僕」にして誰かわかりづらいようにしている)とにかく草薙さんにしか興味がないのでこれが読めただけでいいかなあって感じになっている。映画も別に見ようとは思ってはいない。あー攻殻機動隊は昔一回見たけど、関連性はない気がするけどなあ…うーん?

蒼い麦 / コレット→最初の方をめくって、情景描写がうまいなあ、海辺の風景がきれいだと思って買いました。初めからミドルティーンの男の子女の子が海老取りの網を持って出かけ、仲良く泳いだりしてる。夏のバカンスで毎年過ごしている別荘の海の生活。おお楽しいねーと読んでいくと道できれいなマダムに出会ったところから怪しくなり、うわーこれはきっとあれだーやっぱりそうかー的な展開になり、初めての冒険で憔悴する少年(て行っても16だからまあ大きい子ではあるよね)と幼なじみの一つ下の少女との距離の取り方が変わってくる様、最後の修羅場からまあそういう流れ来るかーそしてそういう落ちなのねーと目が点になるような、男だったらもっとこわく思うのかなこれは。わかんないけど。

 読み終わってから作者のコレットについて調べてひいいとなり(すごくおもしろい方です)、あと気になる所にふせん貼ってて、今回買ったのは手塚伸一訳なんだけど、調べている時に別の方の感想を書いたブログで、堀口大学の訳でこれ違う意味なってるな、と思う所があったのでさらにそれを調べたりしてました。

 ちなみにメモとしてのせとくと、

堀口訳:
「砂浜に肱をついて読んだり、または咎め立てを恐れるというよりはむしろ遠慮から、部屋にこもって彼が自由に読んでいる本の中のどの一冊も、こんなありふれた難破から人が死ぬような重大な結果が生れるとは教えていなかった。普通小説本は、肉体の恋愛に行きつくまでの準備に、百ページも、それ以上も費やすが、肉の行為そのものの記述となると、たった十五行で終っている。それにまた、フィリップは自分の記憶の中をいくら捜してみても、一人の若者が、彼の少年期と童貞を、たった一度の過失によって失ったままにしてしまう本は見いださなかった。むしろそれとは反対に、そのような若者は、必ず、いわば地震のような深い心の動揺によって、幾日も幾日も悩み続けるのが普通のようだった」(108〜109ページ)

手塚訳:
「砂浜で肱をついたり、叱られるのがこわくてというより恥ずかしさから、部屋にひきこもって気ままに読んだどんな本にも、こんなざらにあるあやまちで人間は破滅しなければならないとは、教えていなかった。どの小説も、肉体の愛に達するまでの準備には百ページあるいはそれ以上のページを費やすが、結末そのものは十五行ですましてしまう。フィリップは記憶の中に、一回の過失ぐらいでは、若者は少年期と純潔に別れを告げることができず、心の奥に地震のようにゆれるものがあっていつまでも悩み続ける、といった内容が書かれている本を探そうとしたが見つからなかった……」(130ページ)

 微妙な違いお分かりいただけるかわからないのですが、自分としては、フィリップは何度もマダムに逢いに通い(しかも夜中)、はまってるんだけどそれによって幼なじみの少女ヴァンカとどう付き合っていいわからなくなって困っている(いちおう本命はあくまでその子ではあるんだけど)状態で、ちょっと部屋に引きこもっていろいろ本を読んで答えを見つけようとしてるのがおもしろくて、そこで堀口訳の場合は、一度の過ちで少年期(と童貞)を失うという本は見つからない。だからみんなはずるずる悩んでるみたいなんだよね。と読める。手塚訳の場合はそこを大きく抱え込んで、一度の過ちで少年期(と純潔)を失うことはなく、(その主人公が)ずるずる悩んでいる、という本を読みたかった(自分が共感したい)がそういう本は見つからなかった。というふうに彼の思いを閉じ込める感じで描写している。

 私は手塚訳の方が好みでいいなあと思って読み終わったんだけど、ここの訳の仕方はどうなの?というのが不安であと2人の訳を見つけて比較しました。まさかの半々でしたが…これは時代の新しい方の訳がこっちだったので手塚訳に分があると思い、そっちで読むことにしました。こんなことして童貞論やらねばならないのかと焦りましたが、こっちの方でいいと思います…なんというか読んでるとせりふがATG映画みたいだなー(たぶんその時代に訳されてる)と思いながらも、口語として違和感が少ないのもこっちかなあ。

 あとは鹿島茂の解説で、フランスの恋愛のあり方を歴史的に説明してるのはとてもおもしろくて、もともとフランスにおける恋愛というものが非対称的な立場・年齢の違いで、一方が一方を手ほどきして大人の世界に引き入れるというのが伝統だったのが、コレットはこの作品で同年代・階級も同じくらいの男女の恋を描く(それも未成年の・ただこれは舞台劇のアイデアが先行していたようです)というのが新しいという解釈はおもしろかった。中に出てくるマダムは三十路過ぎで主人公の倍の歳なんだけど、それでも若いんですよね。作者は50歳の時に出版しているんで、それくらいの年齢にしてもおかしくないはずなんだけど、若い二人の女性を描きたかったのかなあ、それはそれでおもしろいなと思いました。



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