2019年04月17日(水) 似合う活字。
中島みゆき氏が好きである。
ご本人にお会いしたことは勿論ないのだが、お会いしたときのための「握手券」は持っている。1987年3月まで放送されていた「中島みゆきのオールナイトニッポン」の「家族の肖像」のコーナーに投稿して中島氏にご評価頂き、授かったものである。これは余談であり自慢である。
かように、私は1980年代から中島氏(の作品)が好きなのである。曲も好きなのだが、歌詞がたまらなく好きなのだ。既に何らかを書き表そうとしはじめていた1980年代初頭に私は中島氏と(一方的に)出会った。一度好きになると全作読みしてしまう傾向にある私は中島氏についても同じことをし、愕然としたのだ。
私がもやもやと胸のうちに持っていたものごとどもは悉く、既に中島氏が巧妙に言語化し、歌として発表してしまっていたのである。特に1983年3月、発表されたばかりの10枚めのアルバム「予感」に収録されている「ファイト!」を聴いたときのショックと言ったらなかった。
「闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう」
私が「君」として言いたかった、経験していながら巧く言い表せずにいたことが、端的にかつ平易な言葉で表されていたのだ。
言うまでもなく、こういった経験はこの例だけではない。10代の私が言おうとすることなど、中島氏がすべて歌詞のかたちで先に述べてしまっていた。私の10代など無意味である。
このような経緯もあり、私にとって「予感」というアルバムは大変印象深い作品である。発売日を待ってリリース直ぐに聴いたアルバムはこれだけだ。ほかの収録曲も耳に馴染みやすく残りやすく、いまだによく聴く。「夏土産」や「誰のせいでもない雨が」、「この世に二人だけ」などはいまだに諳じることができる。
「予感」ののちにアルバムというかたちを意識して聴くのは1986年の「36.5℃」で、これ以降は曲単位で聴くばかりとなってしまった。
「36.5℃」と言えば「あたいの夏休み」や「やまねこ」、「白鳥の歌が聴こえる」などが収録されているアルバムで甲斐よしひろプロデュース、「中島みゆき御乱心の時代」を飾る一作である。「あたいの夏休み」にステイーヴィー・ワンダーが参加してるなんて吃驚だ、とまたもや閑話失礼。
中島氏の歌詞が鋭く、やさしく、強靭であることは誰もがご存じであろう。喋りが愉快なことは、残念ながら「中島みゆきのオールナイトニッポン」が終了してしまったいま、ファン以外の人が知る機会はすっかりなくなってしまった。歌詞、話し言葉のほか、氏は文章もまた味わい深い。
ご著書も多く複数の出版社から出ているが、中島氏の文章の筆致や味には新潮文庫の活字がよく似合っている、と思う。私が好きな活字体でもある。