解散した後、門田(仮名)とファミレスに行った。
さっきまでの事をあーでもない、こーでもないと話していた。
すると、中井さんから電話が。
中井『どこにおるん?家にかけてもおらんけぇ』
私 『門田とファミレス』
そこでさっきの話の続きが。
中井『私の態度もいけんかったけどあなたの態度もいけんかったよ』
私 『あんな態度をずっととられたら話しに入れないじゃない?』
明らかに、アンちゃんは入れちゃら〜ん、な態度だったので。
だけど、卵が先か鶏が先か、の論争と一緒よね
私 『中っちゃんは☆くんがお気に入りなんよね』
中井『私はアンちゃんも好きなんよ。いつも門田の事文句言ってるのに
今日は仲良く話してたのが気にいらなかった』
私 『でも、私は今日。彼女のお陰で救われたよ(気をつかって
話し掛けてくれたので)』
内心、飲み会の時は楽しくしたいじゃないの、いくら日頃不満があっても。
中井『☆くんが買いに行こうって言ったのをすぐに言ってくれなかったのも
腹がたった』
私 『深い意味はないんだって。忙しかったし』
水曜に☆くんに言われて中井さんには金曜に言ったんだけど
それがそんなにいけなかったの???
なんだかイライラして私は中井さんに言った。
『お互いいい年なんじゃけぇ、子どもじゃけぇ感情を抑えれんっていっても
抑えようや。私はあんな態度をとられて本当にショックだったよ。今度
私にあんな態度をとるときは縁を切る覚悟でしてね』
それからぎこちない私たちだった。
頑張って挨拶もするけれど、まぁ 時間が解決するかな・・・?なんて思った。
私も どこかに行ったらお土産を買ってきたり
向うも休憩に会えば堅い顔して『アンちゃん』って呼んで
お菓子を分けてくれたりして・・・。
だけど、友好的な関係は二度と戻る事はなかった。
カラオケなんてとても歌う気分じゃない。
だから、中井さんに言った。
『どうしてそんな態度をとるの?』
私が発言したとき、ケンカになると思ったのか他の人が止めた。
『私は中井さんとこれからもわだかまりなく付き合いたいから聞きたいの』
中井さんは『なんで遅れてきたん?時間は決まっとるのに』
私 『××の辺りが渋滞だったんよ』
中井『夕方なんじゃけぇ混むのわかっとるじゃろ!早めに向うを出るべきじゃない
ん?』
私 『何回も謝ったじゃない。開き直る訳じゃないけど謝ってダメなら
土下座すればいいん?遅れたことに対してそんなに言われても困るよ。』
中井『そういう訳じゃないけど』
私 『前に☆くんが飲み会を忘れて1時間遅れたけどあの時だって
誰も怒ったりしてなかったじゃない。仕方ないねぇって笑ってたじゃ』
他の人が、『アンさんは何回も電話してきてたじゃない。』と言った。
皆もそうそう、と同意。
観念したのか?中井さんは言った。
『ヤキモチだった。』
『私は子どもじゃけぇ感情を抑える事ができんの!!』
皆は、ビックリしていろいろ言ってた。
皆の前で目標を達成したらピアスを買う、って決めた事だし
二人でコソコソしてた訳じゃないのに そんなんでヤキモチやくのはおかしいよ〜
って。
だけど、皆さん 『でも中井さんも可愛いとこあるねぇ〜』
『あんな中井さん初めて見た』
『今度、☆さんにどこか連れて行ってもらいんさい』なんて言ってたけれど
私から見たら冗談じゃないわぃ!って思った。
楽しみにしてた飲み会が中井さんの態度で空気がおかしくて
50過ぎて、15以上も年の離れた私に
『私は子どもじゃけぇ感情が抑えれん』なんて言うなよっ!と思った。
どんなにモンペが似合う風貌でも、いくつになっても
女は女なんだな、と つくづく思った。
中井さんは☆くんに恋してるとかじゃなくて
独占欲?に近い物があるんだと思う。
そこで、一旦は丸く収まったかの様に見えた私たち・・・
続く
二ヶ月の間になんと!私は約9キロのダイエットに成功した!
周りの人がビックリしてたけど、実は自分自身がビックリした。
頑張れば痩せるんだなぁ・・・って。
今まで、頑張って手に入れた物ってなかったから・・・。
私が甘え上手なのか、周りが甘いのか、欲しいものは楽して手に入ったから。
だから☆くんからのご褒美のピアスは嬉しかった・・・が・・・
そこからが私の暗い生活の始まりだったよ(T_T)
買い物に行く朝、中井さんと電話で話してたら
中井さん『アンちゃん、いくら痩せたけーて物を買ってもらうのはどうかと思う
よ』
アン『え?でも飲み会の時に皆の前で決めたんじゃん。頑張った2ヵ月後に言うの
って私困るよ。それも買いに行く当日に』
中井『今からやっぱりええよ、って断りんさいや』
私 『そんな事言えんよ(プチッ)』
断る理由ないし、断る気もなかった。
なぁぁぁんで、今更、そんな事を言うのかさっぱり訳わかんない。
(ダイエットしたら何か買う、ってのは飲み会の時に周りが盛り上がって決めた
事。それを☆くんも乗りでOKした事でした。)
その時、中井さんは私に『じゃぁ、アンちゃんがタバコ止めれたら
私は次の飲み会の支払い、皆の分を全部奢ってあげる』と提案しました。
皆の声援を受け、二つの目標
◎ 二ヶ月で7キロ痩せる (特典 ☆くんからピアス)
◎ 禁煙 (中井さんから皆の飲み代おごり)
・・・・が、禁煙は2週間でダウンしました。
頭がクラクラしちゃって。テヘ
なおも、詰問が続きます。
中井『え?携帯の番号教えタン?聞いタン?教えタン?』
私 『時間とか決めるのにわからんけ〜聞いたんじゃろ・・・』
中井『・・・・・・・・』
中井『家まで迎えに来るって?それ おかしいんじゃないん?』
私 『何も考えてないんだと思うよ。それに○○の駐車場に結局したし』
中井『アンちゃん、次は禁煙したらアレ買って、とか言いんさんなよ』
私 『(プチッ)言わんて!!』
中井『何か言いそうじゃけぇ』
☆くんと飲み会の日に待ち合わせして市内でお買い物
ピアスを選ぶのに悩んで悩んでいろんなとこを歩き回って
それから、ちょいブラブラして・・・
帰る頃に私のブーツのかかとがブラブラ・・・。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。
☆くんにボンド買ってきてもらったりして、
なんだかんだで市内を出るのが遅くなった私たち。
途中で工事で大渋滞にはまったのもあって飲み会は先に中井さん達には
行っててもらうことに。
それもいけなかった(T_T)
中井さんはとっても不機嫌で。
自分が☆くんを迎えに行く予定だったから。
会場に着くまでに何度も電話を入れた。
電話の中井さんは明らかに不機嫌で。
会場に着いて皆に遅刻を詫び、気をとりなおして乾杯!・・・だけど
中井さんの私に対する態度の冷たい事冷たい事(汗
それでも、最初は頑張って笑ってたりしてたんだけど
私をコノ輪の中に入れてやらないっ!!って雰囲気がアリアリで。
いたたまれなくなった。
それまで、この会社で中井さんに一番可愛がられてたのを自認してたし
大好きな存在だったから、私に対してそんな態度をとるのが信じられなかった。
段々 私も不機嫌になり 最後にはそっぽを向いていた。
周りの皆が気を遣ってしまう、と思ってもどうしても
あの雰囲気に入って行く気になれなかった。
目の前に座ってた人が
『今日は2次会は止めようや』
うなづく私
長い長い飲み会も終わり、会計をしようと皆から集金していたら
中井さんか 低〜い声で
『2次会予約しとるんじゃろ。行くんじゃろ』
私『ウ・・ ウン(・_・)』
ため息をつきながら2次会の予約しているカラオケボックスに。
☆くんは中井さんの車に乗って移動してたんだけど
2次会に行く途中で車から降りたらしい。
眠くなったから、と。
この重い雰囲気がしんどかったんだろうな、と思った。
今まで途中で帰るなんてことなかったのに。
とても申し訳なくて、☆くんに電話した。
『今日はありがとうございます。ホントごめんなさい。
私も途中から態度に出てしまってすいません』って。
続く
| 2004年01月11日(日) |
久しぶりだにゃ・・・。 |
明けましておめでとうございます。
今頃・・・オソッ
先日、念願のエンピツの振込みもえーやっとできて
さて、ボチボチ再開してみようかな、と思いました。
この約半年の間にいろんなことがありました。
ホント人の明日はわからない、って言うけどまさしくまさしく。
1カ月後も同じ生活してるんだよねぇ・・・なんて思えないっすよ。
大阪の義姉が脳梗塞で倒れたので
一時期はてんやわんやでした。
今は、お陰様で回復の一途についてる様なので安心してます。
麻痺は何年か残るらしいですが、本人かなりしっかりしてるので
がんばってくれるでしょう。
やっと書く気になったので・・・
昨年、いつものメンバーで9月26日に飲み会を開きました。
会社の仲良しメンバーなんだけど。
おばちゃんばっかで、その中でアンがまだ一番若いのだ。
そこには、いつも☆くんという社員(独身)がいて。
☆くんは中井さん(仮名)のお気に入りで。
何かの話でダイエットの話になって
『7キロ痩せたら何か買ってあげる』っていうんで
『じゃぁ・・・ピアス!!』
期限は2カ月後の飲み会まで。
☆くんは『痩せても痩せんでも買うたるで。ただし、9号の服を着て買い物に行こ
うな』
『9号がピチピチパンパンでも?』なんて話で盛り上がって。
だけど、痩せないで買ってもらう訳にもいかないから
今までにないくらいかなり本気で頑張った。
あ・・・なんか久しぶりに書いて何か疲れちゃった。
又書こ。
今日は・・・年末だというのに 門田と☆くんと焼肉を食べに行った。
でも・・・門田の無神経な発言に顔で笑って心で怒ってた。 どうして言うんだろう。 私には理解できない。
嫌いになりそう・・・。
父と離婚した母親は大阪の兄ちゃんちにいる。 私が4歳の時に大阪に2番目の兄と私を連れて行った。 そして数ヵ月後、私だけ山口に置いてきた。 子どもだったから詳しい事はわからなかったけど 翌日目が覚めたときの事だけは今でも覚えてる。
大きな紙袋をひこずって泣きながら 『お母ちゃ〜ん』って言いながら坂道を上がった。
大人には大人の事情があったのかもしれない。 子どもを持って初めて母親の気持ちがわかると言うけれど 子どもを持って益々母親の気持ちがわからなかった。 私ならどんなに苦労しても、ご飯に塩だけでも子どもを育てる。
ずっと会わなかったらイメージダウンにならなかったかもね。 私が23歳の頃、幼児の時以来 初めて母に会った。 実はその時まで両親は離婚してなかったのだ。 その時、すったもんだがあって・・・。 『母親として幻滅させないでほしい』と言った。
望んでもいないものはいないんだから、と母親を恋しがる事はなかった。 だけど、大人になって会う時はほんのちょっぴり期待もした。 白川由美みたいな人だったらいいな〜なんて。
話は戻り、大阪で兄ちゃんちに泊まったのだけど 顔を見ることはなかった。 隙間から姿を見てしまったけど。 私の中で母親と思えないよ。仕方ないよ。
親子って産んだ事実より育った過程が大切なんだよ。 昔、(それは秘密です)を見て凄い!って思った。 そうまでして生みの親を探したいんか・・・って。 今の幸せは生んでくれた親がいるお陰、って言える人はすごいね。 うらむ事もない。 ただ私とは別世界の人、と思うだけ。
昨日から大阪の兄ちゃんちにいってた。
義姉が脳梗塞で倒れたから。 義姉は元々私の知り合いのスナックのママさんで 私が紹介した人だ。
結婚前に義姉が言った事がある。 『私ね、昔有名な占い師さんに見てもらった事があるんよ。あなたは40前後に 生死をさまよう様な大病をするでしょう。でも、その時に結婚していたら家族に救われて助かる、って言われたんよ』
脳梗塞で倒れて今夜が峠、って聞いたとき 私も兄もその言葉を思い出した。 でも・・・助かるっていったんだから大丈夫だよ・・・と言いつつ。
倒れたのが16日で、峠は越えたらしいが 左側をつねると痛いとか気持ち悪いと発音は不明慮ながら言うので一安心。 言語障害はないけど左半身が麻痺してるらしい。
頑張ってリハビリしようね。 39歳なんてまだまだ若すぎる。 兄ちゃんの献身ぶりにビックリした。 こんなときに人間の素ってでるね。 『しっかりせぇよ。お前がおらんとあかんのやでぇ。はよ治せや』って義姉の頭をさする兄 それを見ていたら涙が出そうになった。
ベットの上で義姉はうとうと眠りながら(クスリのせい) 『お前もしっかりせぇよ!!』 ・・・・・・
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