カウントシープ
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2006年04月18日(火) |
どんべえときつねとたぬき |
職場で男の子が食べていた新発売のインスタントのうどんの味が、『どんべえ』に似ているという話から、どんべえっって結局何なの?という話になって、
どんべえはうどんで、 みどりのたぬきはそばで、天かすがのっている あかいきつねはうどんで、油揚げがのっている
という解説を頂いた。ボクはパッケージの色が違うだけかと思っていたけれど、本体に違いがあったらしい。で、今度はネットで調べてみたら、どんべえはその後進化して、今ではそばもうどんもあるらしいということが解った。 スーパーに行くとかなりいろいろな種類のインスタントがあって、先日はソーキ蕎麦のとなりにそーめんちゃんぷるーを見つけて、相方がビックリしていた(どちらも沖縄の食べ物)。ちなみにそーめんちゃんぷるーはかなり実物と違う写真だったが、よく見ると“沖縄風”と書いてあった。
ボクはあまりカップ麺の類を食べないのだが、理由は猫舌だから・・・冷ましているうちに段々伸びていってしまうのが悲しい。お店で食べるラーメンはちゃんと食べ終わるまで伸びたりしないから、麺の性質が違うんだねきっと。
少し前、人からもらった小さな球根には、ラテン語でナルシス・・・と描いてあったから、おそらく水仙だろうと思いながら植えたら、春先に咲いた花はやっぱり水仙の形をしていた。
形、というのは、ボクの知っている水仙の色合いや大きさとは違ったからだ。ボクの知っていた水仙は、花びらが白く、中央が山吹色のものだったのだが、咲いたのは、それよりもう少し小ぶりで、花びらが鮮やかな黄色のものだった。(調べたら、全部真っ白の花も見かけた)
水の中の自分の姿に恋をしてしまったナルシスの話はあまりに有名で、ギリシャ神話を知らない人でもこの言い伝えだけは知っているものだが、それだけ、ナルシストという存在が普遍的なものだからだろう。誰でもちょっぴりナルシストであるし、そういう自分をも抱きしめて生きていけるならきっと幸いなわけで、ボク達みんなの心にナルシスは住んでいるわけだ。
心の鏡に映った自分だけを愛していけたなら、もう他者は誰も要らないし、生きている意味もなくなるから、あとはもう溺れて死ぬだけ―――神話って本当によくできているね。
単純に飛ぶことを望んでいるならば、人は自分の与えられた範囲を超え、相応を超えた世界をもうろつきたいという、飽くことのない欲望めいたものが垣間見え、人間の罪深い性のようなものを感じてしまう。
我々の多くがゴキブリを嫌いなのは、彼らがすばやく平面を移動する力を持っているその上に、飛び回る力をも持ち備えているからではないか、とボクは考えている。
カブトムシとの違いをよく問われているが、カブトムシは地面をそう早くは走れない。二次元も三次元も制覇しているゴキブリこそは、人間の理想の能力を備えている完全体のひとつなのかもしれない。 (※ボクだってゴキブリは嫌いですよ)
それがもし、最初から飛ぶことをメインにしているならば、ただの飛行昆虫だと認識していただろう。大抵地面を張っていて、いざというとき自在に飛べること、それが恐怖の源であるならば、飛べないコンプレックスがそこに横たわっているのだろうか。
ロビン
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