「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2017年05月29日(月) 消費と休息

人間の体は素晴らしいということをどれくらいの人が毎日感じているでしょうか?例えば私は、今こうしてタイピングするという作業の際にも、何千という小さな小さな細胞がこの動きを担ってくれているということを、そのつど意識することなど殆どありません。

そんな私ですが、最近、解剖学を学ぶ中で、私たちの身体はすべての動作において、必要最小限の細胞を使うようになっている、という事実を知りました。例えば、腕を曲げて何かを持ち上げた時、しばらく後に腕がプルプル震えてくることはどなたにも経験があることだと思います。この、腕が震え始めた瞬間、体内ではそれまで腕を持ち上げていた細胞がエネルギーを使い切った後その役目を終えようとしており、そのすぐそばで別の細胞が役割交代しようとして動いているのだと。また、ある動作が繰り返し行われることで、脳はその動きに必要なエネルギー量を計算し、どの部分をどのように使うかを探し出すそうです。長年続けていることの中には無意識に出来てしまう理由はここから来ているのでしょうか。

こんなことを考えていて、心の状態も同じだなと思いました。どういうことかといいますと、私たちの心も、エネルギー消費ということに関しては最小限の範囲で行うようになっているのではないかと。このように捉えると、例えば日本で社会現象とも言える、引きこもりや不登校、出社恐怖症と言われている人々は、消費しきったエネルギーを充填する必要があって、社会から離れているのだと。

私たちはコミュニケーションを取る生き物として生まれているせいか、世間ではとかく社会と関わりを持っていない状況を不安に思ったり、周囲から何かしらネガティブなイメージを持たれがちですが、ガソリンが無くなった車はガソリンを補充してもらうまで動けないように、ガス欠になってしまった心もエネルギーが満たされるまで、安全な場所で過ごす必要があると思うのです。その環境がたっぷりの愛とやさしさで満たされていれば、その回復が早いことは一目瞭然です。

そんなわけで、改めて人間の体はすごいな、と感心している今日この頃♥


2017年05月26日(金) 生きるという継続力

継続は力なりと言いますし、どんなことでも続けていればそれなりに成長するので面白いものです。しかし、続けることは時には難しいですよね。この忙しい時代、目の前にある問題や興味そそられることについつい時間を消費して一日を終えてしまうものです。そういう私も、もともと三日坊主です。少しずつでも続けるために、続けたいことを大きな紙に書いて目に留まる場所に貼り付けるのは私の習慣ですし、毎年初めの<今年の抱負>の中には必ず、三日坊主を4日坊主にする、という言葉を入れます。笑 結構効果がありますよ^^

そして、そんな私の中にも、またはその他の、自分は物事を続けられない大人だと思っていらっしゃる方にとっても、生まれた瞬間から今の今まで、どんなときも途切れることなく続けられていることがあるんですよね。それは、息をするということ。もっと素敵な言い方をすると、自分を生きるということだと思います。

どんなに細くても小さくても、息をしている間、私達は生きている。生きて一秒先へと進んでいる。
現在の生き方が気に入っているかどうかはさておいて、私達は、生きるということを途切れることなく続けているのです。
なんて素敵な継続力だと思います。この継続力がより良い方向へ伸びていきますように^^


2017年05月25日(木) 悲しみを感じたら

人と関わっていると、時々不快になったり悲しい思いをすることがありませんか? 特に仕事をしていると、職場においてはその頻度が高いのではないかと思います。例えば私の場合、先日、職場で男性上司と電話で話をしているときに上司が他者の命を軽視していると受け取れる言葉を口にするという出来事がありました。私は予期せず飛び込んできたその言葉に戸惑い、返す言葉がありませんでしたから、沈黙の数秒が過ぎました。上司の使った単語を書いて表すのは控えさせていただきますが、ここに書くからにはそれなりに過激な言葉であったと想像して頂けるとうれしいのですが、このように、上司の言葉に傷ついたり戸惑ったりするケースは世界各国で起きることだと思います。

その後の経過は省略させていただきますが、私は当初、受け入れられない物事に対して沈黙という形で抵抗した自分を評価し、仕事を終えて自宅に戻った後には、すっかりその出来事を忘れていたのです。ところが。。。

それから数日後、その時の様子を同僚に話していたときのこと、しだいに胸のあたりが重たーくなり悲しみが沸き起こってきたのです。あれれ?と不思議に思いませんか?上司と会話をした当初は、私はただ予期せぬ状況に戸惑っていたのみなのに、数日後の私は戸惑いに加えて悲しみも感じているのです。何だか変でしょう?私の中で何が起きたのでしょうか。

実は、悲しみという感情が加わった理由は単純です。悲しみの直接の原因は上司ではありません。上司の言葉は私の心の扉を開く引き金にしか過ぎないのです。つまり、大人の私は、上司の言葉を聞いて、うんと昔の子どもの頃に家庭内で日常的に聞かされていた大人同士のネガティブな会話を思い出し、それに伴う子ども時代の悲しみに巻き込まれたのです。もっと簡単に言うと、大人の私が自分の潜在意識の中にいる傷ついたチャイルドに巻き込まれる、という現象が私の中で起きていたのです。

大人の私はチャイルドに巻き込まれていても、子ども時代と違って、感じている悲しみを隠したり、感覚つまり感じる度合いをコントロールしたりすることが出来ますから、子ども時代のように気が済むまで泣いたりしきりに誰かに訴えたりはしません。別の言い方をしますと、大人の私は悲しみに巻き込まれた自分を抑圧することが出来るのです。無意識に。しかし、そんな自分をよーく観察してみると、どこかしら活気がなく、私自身の好奇心がここ数日、幾らか小さくなっていたことに気が付くのです。

いつでも同じことですが、気付きは変化のきっかけですから、私はすぐにトラウマを癒やす作業をし、今は、いつものように晴れやかな心でここに座っています。どなたか他の皆さんにも同じような経験はあるかな、と思いながら。

自分観察は何よりも面白い遊びの1つです。もしよかったら、あなたの体験を聞かせていただけませんか?
貼付の写真、ピントが合っていないんですが、気に入っているので載せちゃいました♥




2017年05月14日(日) 本質

先日ヨガを通じてお友達になった女性とランチをしていたときのこと。話題がつい最近の北朝鮮から日本海に向けた放たれた不発弾ミサイルの話になりました。ただ、私たちの会話は、それが恐怖であるとかこれから日本はどうなるのかとか(これは最も大切なことではありますが)ではありませんでした。それは、この不発弾ミサイル騒動を通して思う、誰がどこでこの地球を支配しているのか、ということだったのです。

彼女と私の意見は大方一致しており、つまり、北朝鮮の不発弾ミサイルは計画的に不発で終わっているのではないか。背景にはここ数ヶ月の、某国大統領の分別のない行動から世界の人々の関心を紛らわせるという目的があるのではないか。北朝鮮はいつも、ミサイルを不発で終わらせているのは、どこからかそのような支持を受けて行っているのではないか。そうでなければ、なぜあの国が不発弾ミサイルをいくつも出し、莫大な資金を無駄にしながら、それらを作った国民を大々的に処罰したという情報が世界に流れないのか。などなど。。。

私たちの会話はあくまで憶測にしか過ぎないので、これを読んでいるどなたにとっても本気で受け取っていただくことは危険ですが、少なくとも、それが正しいかどうかわからないとしても、私たちの憶測が間違っていたとしても、このようにして世の中で起きていることを鵜呑みにするのではなく、そのもう一つ奥を読んでいくと、それだけで、なんだか楽しいですし、私たちはただ漠然と生きているのではなく、自分の意志で、この地球上で生きているのだ、という気持ちになれるので不思議です。

皆さんはこんなふうに思うことがありますか?



2017年05月05日(金) 全米ヨガアライアンス資格取得のご報告

今日は私事を書きたいと思います。
今年の初めから取り組んでいた全米ヨガアライアンス資格試験に、この度無事に合格しました。試験は三つの内容で行われ、それらは解剖、ヨガポーズの名前やヨガ哲学に度々出てくるサンスクリット語、それに、実際に生徒さんにレクチャーするというものです。時間を要したのはやはり英語です。英語さえできていれば、だいたいは時間を作って工夫しさえすればなんとかなりましたが、クラスでのレクチャー用の練習はなかなか進展を感じられませんでした。

しかし、それでも、これまで日本語でクラスを持ってきた経験を自分の能力として利用し、練習を続けていたので、試験の日にはそれなりに出来るようになっていて、自分でも少しびっくりしました。しかし後で思い返してみると、試験中の私は、生徒さんにレクチャーしているというよりは、自分で自分の声を聴いている感覚で楽しんでいたのです。きっと、自然に、自分で聴いて心地の良い声を試験レッスンの中でも使えていたのだと思います。

モチベーションを維持するのに役立ったのがクラスメイトの存在でした。私の亀さん英語に合わせてくれましたし、出来るだけ理解しようと耳を傾けてくれました。そしてもちろん、私に必要なことは丁寧に伝えてもらえたと思っています。それから皆が常にオープンでともに学ぶという視線と思いを持っていたことが大きいと思っています。

ということで、この度1つのステップを踏みだせたことをここに報告します。今後の予定は未定ですが、現在ヨガインストラクターとして、気持ちに寄り添って心地よく活動自分を見ていると、自分はこれからも、この世界を広げていくのだろうという気がしています。そして、もちろんここに心が寄り添うことは言うまでもなく、心を大切にしつつ、ヨガを生きていく技の1つとして活用し、これからも成長していく私です。ということで、みなさんいつも。。。。

ありがとうございます♥
Thank you so much♥
Cam on♥
Namaste♥


2017年04月24日(月) 瞑想するきっかけの作り方

世の中には瞑想する/自分を見つめる方法が色々とあります。音楽、散歩、日記をつける、自然の中に出かける。他には、食べることやテレビを見ることさえも、瞑想を始めるタイミングとして利用できるでしょう。利用するものがなんであっても、意識を一点に集中させることが出来るようになれば、こんな素敵なことはありません。大切なのは自分を見つめる時間を作る、ということなのですから。

少し、私の経験をお話すると、私はそれらの物を利用して自分を見つめ続けた結果、ある時から自分の呼吸の音に惹かれ始めたのです。自分の内側から聞こえてくるその音は、その他のどれよりも、より私に近く、つまりそれは私自身であり、他のどの音よりも自分を実感できたのです。それはまさに、生きていることを実感できる瞬間でもありますし、正しい呼吸法には他にも利点がありますから、瞑想/自分を見つめるのによい環境を作ることが出来ました。

そして、私という人間は心身ともに常に変化していますから、その時の状況や感覚で、音楽で自分を集中させたいと思ったり、料理をしながら瞑想したいと思ったり。良いことを発見したのだから必ずそうでなければならない、ということもなく、今ここにあるものを利用して、自分を見つめています。

みなさんはどのようにして自分を見つめる時間を作っていますか?よかったら、聞かせてください。


2017年04月19日(水) 「愛してるよ」

米国は今、夜です。私は少し前に寝支度を整えて、もういつでもお布団に潜り込むことが出来る体勢です。

もしあなたがこれを一日の終りに読んでいるのならば、本日のご自身へのご褒美は何でしたか?
今夜の私にとって、それは「愛しているよ」の言葉でした。私はシャワーをあびている間中、自分の体を温かいシャワーのお湯の中でストロークしながら心のなかで「愛してるよ」と言い続けました。

こんな風にした理由は次のとおりです。
シャワーの時間から一時間前にストレッチをしていたのですが、顔を斜め左に向けて首や肩のストレッチをした瞬間、泣きたい自分が現れたのです。最初、理由はわかりませんでしたが、私は個々最近の勉強集中で首を酷使していて、首や肩がかなり疲れていたのだとすぐにわかりました。そんな私が、ストレッチを通して自分がいま最も欲しているところに辿り着き泣きたくなったのです。もっと細かくお伝えしますと、<泣きたい>のもっと奥には、こんなになるまで放っておいて!があったのです。

そんなわけで、私は丁寧に首をケアし、気づかなかった自分を省みて、そのお詫びということでもないですが、その後のシャワーの時間で心は自然に、私の全身に向かったのです。そうして「愛してるよ」の言葉が溢れてきたのです。

心も体も、私の全てが普段の気持ちに輪を掛けて愛しい夜でした。



2017年04月10日(月) 正の強化刺激

先日、機会があってアシカのショーを見ました。アシカは人間の言うように動き、動いた直後にご褒美をもらうことを繰り返されることで、人間が指示する行動をするようになります。パブロフの犬の実験が有名ですね^^

私はこのアシカのショーを見た後、人間ももちろん同じように訓連することが出来ると考えました。特に赤ちゃんが、子どもから大人になるまでの過程には、周囲の大人は少しでもよいことを伝えようとして様々な、正の強化を試すものだと思います。一般に言われる "褒めて/認めて育てよう” というのは良い例だと思います。そして、もちろん大人にも。大人の私たちにも正の強化が出来ると思うのです。

子どもさんが相手の場合は、大人がその強化を施す人になりますが、自分のために行う場合、対象はもちろん自分自身です。私を含めた大抵の大人は自分で自分のことを決めることが出来ますし(ここでは、例えば、人生が大きく変わるような大きな決断については語っていません。もちろんそれが出来るのは良いことですが)、自分がしたいことすれば良いことも知っていますし、すればいい事してみたい事がわかっているのですから、あとは実行出来るように動いたり、すぐにでも出来るのであればその場で行動しさえすれば良い。やってみると意外と簡単なものだと、私は思っています。実際に経験した結果を見てもそのように感じます。

「え?なんだか特別なことをしているの?」

特別なことは何もありません。例えば、毎日の生活に、朝5時に起きて一日を始めるとします。朝の早い時間に起きた自分へのご褒美に、温かいお茶を入れて、ちょっとのんびりするのです。早起きの特権とかなんとかつぶやきながら。。。です。これを続けることにより、私は規則正しい時間を手に入れることができますし、夜には早く寝ることが出来、美容にも効果があるのです。これは立派な、<正の強化>。
ね。意外と簡単でしょう?!


2017年03月30日(木) 寄り添い

私は今、自宅でヨガのクラスを開いているのですが、今日は久しぶりにプライベートのレッスンを行いました。私は実は、プライベートレッスンが好きなのです。理由はその方の体の状態に合わせて丁寧に伝えていくことが出来るからです。それから、練習のプランもその方独自のものになるので、生徒さん自身もより取り組みやすいであろうと思っています。

ちなみに、クラスの中でいつも大切にしているのは、呼吸を意識することです。誰もが知ることですが、私たちは、例えば手足が不自由になってもなんとか生きていけるものですが、呼吸が出来なくなると、脳は三分で死んでしまいます。このことから、呼吸というものがいかに私たちの身体にとって重要であるかがわかると思います。

そして、この、呼吸というのは、私たちが唯一自分でコントロールすることが出来る内蔵器官なのです。私たちは、意識する以前に呼吸をコントロールするのです。例えば歩行中に何処かからタバコの臭いがしてきた時、タバコの嫌いな人は自分でも気付かないうちに息を止めたり細めたりすることがありませんか?嫌いな匂いは嗅ぎたくないですし、または体に悪い物を入れたくないという防衛本能も働くのでしょう。また、深呼吸して新鮮な空気を体内に取り入れるという行為は、私たちが呼吸をコントロールできる証でしょう。

このようなことを、私はいつもクラスの始まりにお伝えするのですが、今日は特別に生徒さんの名前を呼びながら、話を勧めていきました。一つ一つのポーズでは、生徒さんの横に立って、彼女と同じようにやってみたりして。それはまるで、2人で取り組んでいるような感覚。いつもと違う空気の中、穏やかにクラスを終えました。終わった時、私はこの一時間、彼女の呼吸に寄り添っていたような気持ちになりました。


2017年03月22日(水) 自分の中の、別の自分に出会ったら

先日、日本人のお友達どうしで集まった時、一人の女性が「自分には2つの人格があって、一人は今こうして皆とあってる活動的な自分。もう一人はどこにも出れないで家の中にこもっていたい自分。いつも活動的な自分が外に出て楽しんだ後に、陰気な自分が、なんでそんなことしたの!と、もうひとりの自分を責めてくるので辛い」と話し始めました。

皆さんにもこのような事を感じた経験はありますか?

多重人格と聞くと、一般的には精神的な問題を抱えた人のことを指し、特別な意識を持ちがちですが、自分の中に幾らかの、違う自分がいるのは特別なことでしょうか?

私は、私たちの中には少なくとも3人以上の人格が存在していると思っています。その人格達は、それぞれの状況において自分のために活躍するのです。自分のためにそこに居るのですから、多くの場合は、自分の人生をよりよい形に持っていこうとして活躍するのです。これは特に問題がないばかりか、よいことでしょう?時には頭の中の声に気づいたりして、そんな自分を知っていれば、別の人格たちと語り合い楽しむことができそうではないですか?

ちなみに、冒頭に書いた女性のように、活動的な自分を攻める自分がいるような場合はどうしますか?責められたら辛いですし、活動できなくなるのも問題でしょう。

そんな時は、ネガティブな自分がいるその原因、つまり、「外に出ちゃだめ!」と言う自分がいるその原因を探せるように行動を起こすことです。自分を探求する。例えば、その人格の言葉や、頭に浮かんでくることをひたすら書き出したり、どうしてそう思うのかと尋ね続けたり。ネガティブな自分に巻き込まれないように、持っている能力をしっかり意識することが前提になる作業ですが、丁寧に続けていくことで、何かしら、小さな形でも、道は開けてくるのです。

冒頭の女性が言いました。「でも、トラウマは癒せないよね」
私は答えました。「トラウマは自分で癒やせるんです」
自分の経験談なしでは心のことのは語りにくいので、私は自分の経験を語りました。

私のしたことは、まさに、自分の抱えていた問題の原因を探せるように行動することでした。繰り返しになりますが、その人格の言葉や、頭に浮かんでくることをひたすら書き出したり、どうしてそう思うのかと尋ね続けたり、と。ネガティブな自分に巻き込まれないように、持っている能力をしっかり意識して、丁寧に続けていくことで、何かしら小さな形の変化が起きてきたのです。開けた窓の外から春風が、レースのカーテンをふんわりかき分けて、そーっとこちらへ入ってくるように、静かに静かに道は開けてきたのです。



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