「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2017年01月17日(火) |
人生の主役はあなた自身 |
人生の主役はあなた自身
先日、ヨガの生徒さん達と、人生の主役について語り合ったタイトル。
私たちは、私たちの人生の主役なのです。ご家族や友人、子どもさえも、実は、私たちの人生から見ると、準主役や時には脇役と言ってもいいのだと思います。脇役なのだから、彼らは主役の自分達よりも劣るということなどではないのです。
どういうことかと言いますと、私たちは自分の人生のために一日を過ごしている、その自分の24時間の中で、彼らはたまたまそこに、私たちの生命の時間の一コマを共有している、ということなのだと思います。
この捉え方を持っていると、例えば自分の周りに苦手な人がいたり、うまく関係を築けない人がいたりする時に、役に立つのです。 ”私の人生にちょっとのあいだ、介入しているだけの人” と思って切り替えることが可能でしょう?!それから、失恋しちゃったときなども、とっても役に立つと思います!
一般の人々にとって、準主役に当たるのは、きっと子どもさんやパートナーやご両親でしょうか? または、ご家族でなくても、私達の人生がより良いものになるのをいつでも惜しまず手伝ってくれるような存在の人々など。準主役の方の存在は自分のそれと同じくらに貴重で、彼らがいなければ私たちの人生そのものの価値が無いかのように感じるということがあると思います。ほんとうに、私たちは多くの人の影響を受けて、人として進化と成長を続けているのですよね。
そしてそしてそして、そんな自分を少し遠目から見てみると、ほら、そこに、あなた自身の人生を歩くあなたがそこにいて、その周りに、あなたが人生を楽しく過ごすのをちょっと手伝う子どもさん、パートナー、家族、友人が。
そこには、彼らを自分の人生に招き入れ、人生の一コマを共有しているあなたがいるのです。
つまり、人生の主役はあなた自身
朝起きた時の、ベッドの上での背伸びは格別です。まるで、頭の先と足の先が互いにその先にある壁かどこかまで伸びていくような細長い開放感に包まれます。
その開放感を感じた後、自分の両手を体の上に置きます。1つはおへその少し下に、もう一つはみぞおちの辺りに。 そうして、まず自分の呼吸を感じます。一晩の睡眠の結果がここにあり。呼吸が鎖骨の方まで上がってこない時はだいたい、肩や首が固くなっています。頭が枕からずれていたり、または、何かナーバスになっているときです。
こうした気付きを否定したり、正そうとしたりしません。なるほど〜と思い、昨晩のうちに気付かなくてごめんねとか、寝相が悪くてごめんね、とか、そういったことを自分に呟いています。
それから、もう一度呼吸に意識を向けます。今度は、おへその辺りから始まる、深い呼吸が出来るように意識して。お腹が膨らんだら胸のあたり、最後に、鎖骨が広がるように息を吸います。身体に入っている力をすっかり抜いて、吸い込んだ空気が自然に全身に届くように。
吐く時には、鎖骨、みぞおち、お腹の順に空気を吐いて。
うまく行かなくても、そのまま続け、ただ、みぞおちと、お腹の膨らみを、それぞれの手を通して感じることをします。 5分位続けると、たいてい、リズムが掴めて内臓の広がりも感じることが出来ます。
その、呼吸、私が一日を通して繰り返したい呼吸です。細く長く、ゆっくり吐いて、細く長く、ゆっくり吸う。これを繰り返して一日を過ごします。忘れてもしまってもいいんです。なにかあった時に、または思い出した時に、していることをちょっと止めて、全ておいて、深呼吸。
気持ちいいですよ。是非トライしてみて下さい。
今日は心がもう一つ軽くなる出来事がありました。それは、生徒として参加したヨガクラスのリラクゼーションの時間のことです。インストラクターが「今日は好きなカラーを思い浮かべましょう。そして、その色のあぶくのお風呂に使っている様子を思い浮かべましょう」といいました。既に目を閉じていた私は水色のバブルを思い浮かべ、それからそのオフロに入っている自分を思い浮かべたのです。すると、ふいに、お風呂とアブクに関係するチャイルドが現れたのです。私は、予想外の展開に(あらまぁ)と思いましたが、リラクゼーションの時間を利用してチャイルドを癒やす作業をしました。再びインストラクターの声かけに合わせて目を開けた私、「私がここに居る」と自分につぶやきました。ヨガは心の傷を癒やす作業にも充分に利用できるのです。
昨年末から、ヨガを提供しつつ、心の傷を癒やす取り組みに進めるような会を作り、今日で2回めを終えました。今日は、小さなお子さんをお持ちの女性たちが来てくださったので、子育ての話になりました。彼女たちの話を聞きながら、自分自身の子育ての時代を思い出していました。つまり、彼女たちが思い悩んだり子どもさんに願っていることと、私のそれらとがほとんど同じであったのです。(現在の私が小さな子どもを持っていたら、まったく違う考え方を持っていたと思いますが)いつの時代も、小さな子どもさんを持つ母親の思うことは似ているなぁという感想です。そして、それがプラスでもマイナスでも、みなさん、試行錯誤しながら子どもの成長のお手伝いをしているんですね。
そして、私はその年代から卒業した人ですから、若いお母さん方のお手伝いが出来る大人になれるように、自分育てをしようと思いました。
この日記を書こうとして、クラスでの様子を思い起こしている時、リズミカルな詩が浮かんできたので、書いておくことにしました。以下です。
この地球上で、時は一刻も休むことなく一秒一秒進んでいる その地球上で、私たちは毎日生きている
私たちの身体も一秒単位で時を重ねている 身体は一分一秒、現実と向き合う 寒いと血管は縮み、体温を保持しようとする 熱いと血管を広げ、体温を下げようとする
私たちの心も、一秒単位で時を重ねている 心も、一秒一秒、現実と向き合う 楽しい時、笑いたくなり 悲しい時、泣きたくなる 怒りは、発散したくなる
この、一瞬一瞬の感覚に上手に向き合ってあげることが、 人間として生まれた自分への最高のギフトだ 私たち人間は、現実と向き合うことで今を生きることが出来る それは、進歩であり、それは、成長である
私たちは、時々、間違いもする 過去のことを思い続けたり、未来を悲観したりする 他人のことを想像したりすることもある こんなとき、私たちの意識は現実から離れている
他人のことを想像しない練習をしようじゃないか 気付いたとき、修正していけばいい これも、1つの、今を生きる方法だ それは、進歩や成長を手伝う
自信がないとか難しいとか、大変だと思っていることがある時、その原因を探してみると、気持ちがニュートラルに戻ることがあります。例えば、私は先日、2日後に控えたヨガクラスの構成をしていたときのこと、(うまく出来るかなぁ)と少し不安を感じていたのです。その原因は、クラスを開くのが久しぶりだったこともありますが、もっと根本にあったのは、昨年末から暫くの間、他のことに時間を使いヨガから遠のいていた為にその感覚がなかなか取り戻せなかったのです。「そうか!」ということで、原因がわかれば解決策が浮かびます。出来るだけ練習すればいいのだと思いました。それから、出来たことリストを忘れずに。(出来たことリストとは、インナーチャイルド 本当の貴方を取り戻す方法 ジョンブラッドショー著書 の中で言われている ”能力のリスト” のことです)
ということで、ヨガを続けている自分の能力を意識して沁み込ませ、練習に時間を使い、楽しくクラスを終えました。
昨日の朝、長女が約一ヶ月のホリデー滞在を終えて彼女の暮らす街、ウィノナへ戻っていきました。この一ヶ月、普段なかなか機会のない、親としての経験をさせてもらえたことに深い喜びを感じています。料理を作ったり一緒に買物に行ったりはもちろんですが、何より、日々の生活の中で彼女が持つプラスの面を垣間見ることが出来たことを嬉しく思っています。思えば、長女の中にあるプラスはきっと彼女が生まれたときから持ち合わせていたもので、過去の私は単にそのことに気がつけなかッタということなのでしょう。そう思うと、私も少し成長したのかな、と思います。
時間を共有する中で何度か、大好きだよ、という言葉を使いました。娘のことが大好きだという意味です。自分の子どもなのだから当たり前ですし、他の子ども達には接する機会が多かった分だけ何度となく使っている言葉です。しかし、長女にこの気持ちを彼女の前で言葉にしたのは今回が始めてでしたので、伝えることが出来てよかったと思います。
それから、もっと大切なことも語りました。それは、私の中にはいつでも、子ども達に何か聞かれた時には、自分をオープンにして真実を語る準備があるということです。今後の、長女と私の時間の中でそんな機会があるのかどうかわからないけれど、私の気持ちとして伝えられたことも良かったと思っています。
さて、次の娘に会う時間まで、心育てを続けながら又のんびり暮らしましょう。娘ちゃん、楽しい時をありがとう。
新しい年になりましたね! 毎年のことですが、年の数が1つ増える時、私はワクワクします。どうしてかな。うーん。わかりませんが、あたらしいことがふえるのはいいことなのです。
そして、新年を迎える時にいつも考えるのは、俗に言う、今年の抱負です。年の始に、今年の抱負を考え始めて早10年以上、小さなことですが、続けることが出来ていることに喜びを感じます。
さて、そんな私の今年の抱負。それは、のんびり暮らすこと、です。そんなこと誰でもしたいわ、と思いますか? きっとそうでしょうね。そして、その、誰もが望むことが、多くの人にとって難しい世の中なのです。
大きく目標を掲げてそれに向かって邁進することはいいことです。そして、目標をいつでもどこでも叶うようなものにしておいて、毎日をより、気負うことなく力むことなく楽しめることのほうがプラスなのではないでしょうか。
そんなわけで、もう一度。今年の目標は、のんびり暮らすこと。ほら、今こうしてここに下記自分の目で読んでいるだけで、腰のあたりがどっしりとしてきました。のんびり暮らすということは、この広く果てしなく大きい地球の大地にしかと根付き、地球の一部として生きるということなのかもしれません。
2016年12月28日(水) |
心を軽くする一つの方法 |
最近、物事をプラスに取るということの利点を実感しています。例えば私は約2週間前、介護ファシリティーで薬の管理をする仕事を始めたのですが(米国ではこの職種の人をメディカルテクニシャンと呼ぶそうです)、新しいことを習うに付き戸惑うことも多々ですし時には失敗もあるのです。
そして、それらを全部含めてプラスに取るということをしています。どんな効果があるのでしょうか。それはとても単純。一日が楽しいということです。とても単純でしょう?きっと日記に書くほどのことでもないのかもしれませんが、この違いは大きいと思うのです。
これは、どんなつらいことにも目をつぶってプラスに受け取るということではないのです。私は、何かあれば自分のために立ち上がる勇気を持っていますし、時にはNoを伝えることも知っています。そして、そのような、いざという時には自分を守れる大人の私が、自分の周りにプラスを探していると意識しています。
職場でのプラス探しはプライベートにも続きます。<続きます>と書いた理由は、仕事を終えてプラスの気持ちで自宅に戻り、楽しいの延長で家族と会話している自分に度々気づくからなのです。時には人々の表情から想像を巡らせたり自分や余分な心配りをすることもありますが、気付いたところで切り替えて、いつも軽い心でひょいひょいと楽しく生きる。そうして過ごした一日は、明日のプラスに繋がります。プラスの連鎖です^^
本日、カレッジの秋季講習が終わりました。実は、今学期は反省することがありますので、その1つを書きたいと思います。それは、自分を伝えるチャンスを何度か見過ごした、ということです。 例えば、クラスで先生からあることを尋ねられた時、答えについて考えている間に先生が私の結論を先に出してしまいました。先生の結論は私の思うものと違っていたのですが、私はそのことを、すぐに答えなかったから仕方がないとしてそのままにしたのです。それから別の場面では、グループプレゼンテーションの時に、プレゼンテーションをどのような展開にするかという話し合いの過程で自分の意見を積極的に伝えるということをしなかったために、私の思う方法とは違う方法が取られ、その結果が思わしくなかったことです。準備段階で充分に時間と労力を費やした場合はどんな結果もオーライですが、今回のように自分を伝えることを忘れた結果は残念でした。 このようになった原因はすぐにわかりました。私の中に、諦めがあったのです。他者との関わりの中で、まだ、自分を生きるということを躊躇する私がいることを実感しました。過去のことなので再現することでもないですが、仮にクラスの場面で私が自分を生きていたとしたら、私はきっと「あ、それは違います」とやんわりと伝えられたことでしょう。グループプレゼンテーションの準備段階でも、「こんな方法もあると思う」「私はこうしてみたいな」ということを伝えられたと思うのです。 ということで、成長途中の場面を書きましたが、気付きは次のステップ。来年も又人々との関わりを通して成長するであろう自分を見守ります。
2016年12月10日(土) |
次女のアイデアに思うこと |
先日次女と会話していたときのこと、日本という国の話になりました。私たちの結論は<日本、このままでは危ないよ> です。経済主義の日本は今、物で溢れ、あふれる物の代わりに人口はますます減り、そんな日本に落胆しきった人たちは海外へ進出し、うーんと将来には、一人が一人を介護するという時代がやってくるのです。日本は、このままでは本当に危ないのです。
そこで娘が自分のアイデアを語ってくれたのです。それは何かというと、「総理大臣が皆を洗脳して、皆がもっと仲良くしていれば、もうそれだけで皆が幸せになれると、人々が思うようになる」ということだそうです。
次女は今年22歳になり就職が内定している大人です。そんな彼女の発言。もう子どもではないのに、何を言ってるの。。。と思う方もいらっしゃるでしょうか。しかし私は彼女の言葉の中にある素朴さに、体の内側からこみ上げてくる熱いものを感じました。私の脳裏には、10年以上も前に、ダンゴムシを手の平いっぱいに集めて家に戻ってきた頃の小さな彼女が蘇ってきました。子どもは素朴で純粋です。疑うことを知りません。虫も人も他の生き物も、ただそこにいて、地球という1つの島で仲良く暮らしているのです。
娘の言葉の中には、彼女自身が生活の中で感じる自分には手の届かないところにある大きな力に対する結論も入っているのでしょうか。きっと、これまでに折に触れて、社会がもう少し良くなるようにと、大人の思考でたくさんのことを考えきたのでしょう。しかし、それらはたいてい、若くして国会議員になった青年たちがいつの間にか姿を消すように、古くからの習慣や社会のルールや何かの理由で小さくなって自分の奥の方へしまい込まされてしまったのでしょうか。そうして、最終的に、このアイデアにたどり着いているのでしょうか。
などと、思いつく範囲で私の思うことを書きましたが本当のところはわかりません。しかし私は、次女の中に今もある、人としての素朴さを手伝える大人でいようと思いました。
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