「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2015年08月25日(火) キャッチボール

 今日は久しぶりに広い原っぱでキャッチボールをしました。野球をしなくなってから既に3年も経っているので体がいうことを聞かないかも、と思いましたが、それでも、飛んでくるボールを待つ瞬間になると体は自然に前かがみ体制をとり、やってくるボールをキャッチしようとする姿勢になっている自分に気づいてうれしくなりました。キャッチボールは普段の動作にはなかなかない、腕を上げるという動作が入るので体にもいいと思います。


2015年08月23日(日) 家族

 最近、家族とは何かを考える機会を得ています。いろんな家族の在り方がありますが、私が子ども時代に経験した家族は、機能不全の家族と言って本来の家族としての機能を持たない家族でした。(機能不全家族とはウィキペディアでは“「子育て」、「団欒」、「地域との関わり」といった、一般的に家庭に存在すべきとされる機能が、健全に機能していない家庭の問題を指す”と記されています)。一般に機能不全家族という言葉が使われるとき、親のアルコール依存や家庭内暴力などがあげられますが、私は、家庭内における機能不全の状態は小さくわかりにくい形でほとんどすべての家庭にあるものと考えています。
 ここまでは日本で育った私の経験を基にした家族の捉え方ですが、人々は家族をどのようにとらえているのでしょうか。特に大人になって自立した生活している人々にとっての家族とはなにでしょうか。例として1つの行事をあげてみたいと思います。アメリカでは夏休みの家族旅行が定番です。ご家族のいない方にとっては意味を感じない習慣であり、家族の居る方にとっては1年のうちにある楽しい行事の一つです。そんなわけで先日、友人のご家族と2泊3日の旅行へ行く機会を通して“家族”を探求する機会を得ました。その旅行日程が決まるまでの経過にも興味深さを覚えました。というのは、大人も子ども(中学生と高校生)もみな一人一人がその日程に納得するまで何度でも話し合い調整し合うのです。旅行中は一つの車の中でたわいのない冗談を言って笑いあい、大人同士は時に、1年ぶりの再会に相応しくそれぞれの人生に起きていたことを語り合いうのです。そして旅行が終わる時には、1年元気に過ごして来年もまた会おうと約束するのです。次の一年の間にそれぞれの状況によって、この約束が彼らの生きる糧になることもあるのでしょう。
 もちろんよいことばかりではありませんでした。今回の旅行以外の場面では小さな諍いの傍観者にもなりました。しかし大人達はその旅行を良いものにしようと動くのです。さらに他に楽しみはたくさんあり、それらを共有した時間の重さに比べると小さいものなのだろうと、お別れの時に家族一同で何度もなんどもハグしてお別れする様子を見て思いました。そして私をその仲間の一人として歓迎されたことにも喜びと温かさを感じました。
 以上のことから、”家族”の中には会話があり笑顔があり、時に涙や怒りもあり、それらをひっくるめて互いを尊重し認め合い長く繋がっていく関係の一つではないかと思いました。しかしきっと、私のまだ気づいていないことが”家族”というものの中に隠れているような気がして、新しい発見のきっかけを楽しみにしています。
 


2015年08月07日(金) 当初の一歩、現在の十歩

 最近ボランティアに行くたびに新しいことを練習する機会に恵まれています。今日はアドミッションと言って、料金の支払いや予定されている手術の準備のために来院する患者さん用のインフォメーションデスクです。私のすることは、患者さんの来院目的を聞き必要な場所へ電話をかけその先へ案内する、というものです。日本語対応ならば簡単なことなのですが英語が第二言語の私にとっては少々技がいります。病気で訪れる患者さんの言葉の聞き取りが十分ではないので人々を不快にさせる可能性のある仕事内容はこれまで避けてきたのです。そして今日その席に座ってみると、電話の応対もそれほど苦労せずにできてしまったのです。その席に座っている自分を一年前どころか数週間前まで想像したこともありませんでしたので、この成長を本当にうれしく思いました。不得手なことでも続けていると少しずつ前進するということですね。


2015年07月30日(木) トーストマスターズ

トーストマスターズというのを聞いたことがありますか?ウィキペディアによるとトーストマスターズはあなたのスピーキングとリーダーシップ能力を高めるお手伝いをするそうです。さらに、リスナーとしても成長できるとか。
私はリーダーシップスキルの必要性は感じていないのだけど、この会には二年前から興味を持っていました。そこで昨晩いよいよ覗いてみようと意を決し翌日の今朝行ってきました。
そこで見たものはウィキペディアで読んだ内容のそのまま、メンバーはプレゼンテーターへも他のメンバーへも、ポジティブ目線のコメント、次に向けた提案、そして、きっと出来るよという雰囲気。
会はユーモアに溢れていて楽しかったので来週もフリーで参加させてもらうことにしました。ジョークを一つ持参する予定です。ホームワークのようなものかな。
メンバーになる為の会費制度が難点ですが、もしかするとこれを読んだ方は、ジョークの持ち寄りが宿題だというのなら楽しくスキルアップできそうと思っているかもしれないと思ったりして。ちなみにトーストマスターズは日本や他の国にもあるようです。


Have you ever heard about Toastmasters? According to Wikipedia, Toastmasters International helps you improve your communication, public speaking, and leadership skills. You can also improve yourself as a good listener. Although it's not necessary for me to learn leadership skills, I've been curious about speaking skills for 2 years, so I decided to go to see the group last night and went to a meeting this morning.
What I saw in the meeting is that exactly what I've read in Wikipedia: they make nice comments, suggest nice ideas, and encourage speakers and members to be better. Since I had fun in the group, I decided to go there again, next week. I'll bring a joke to present, which is my independent topic.
One consideration is a payment in order to be a member, but I'm guessing that you might think that it might be fun for you too because you can bring your joke. I know this is an international group, so you can find it in your country even Japan.


2015年07月29日(水) プロパガンダ

 皆さんは情報に惑わされることはありませんか?安保法政の可決以来、私は日本の行方を心から気にして以前よりも頻繁にリサーチしていますが、その情報の多くがネガティブな視線の元に他者を罵倒するものであることに日本の未来がさらに低飛行気味であるかのように思わせられます。よく見てみると、多くの記事は他者の語ったその一部の、サイト運営者の意に添う、つまり、相手の弱点を大きく広げて国民にその印象を植え付けられる部分のみを引用していることがわかります。特に日本の未来を左右すると思われる安保理法案が出来ようとしているとき、または成立してしまって以来あちらこちらでどちらかを罵倒する言葉が目に入り、真摯に情報を得たいという私の思いを圧し折られるような気持ちにさせられることもあります。プロパガンダという言葉があるように、私達の情報の多くは人間を良くも悪くもコントロールするものなのだと丁寧に意識しておくことが必要だと改めて感じます。
 そんなわけで現在もコツコツと正しい情報(と思えるもの)を集めつつ、私の従来通り、安保理法案に反対する理由とその裏付けを正しい情報の元に語れるように自分作りをしています。確かな裏付けを持っていると、情報に溢れる情報に流されず自己を確立するために利用できると思います。


2015年07月24日(金) 流れに身を任せ

 今日はサイクリングに行きました。思わぬ強風の向かい風に会い、いつもよりも体力を使う中、あることに気づきました。少し困難な状況の中で自転車をこぐときの自分の感情についてです。
 強風に向かって一生懸命ペダルを漕いでいた私。無意識に近い形で考えていたことは「早くゴールにたどり着かねば」ということでした。それはまるで「)実は強い風があまり好きではありませんから)ここから少しでも早く脱出するんだ」という感じで周りの景色を楽しむことが意識になかったのです。
 実は、自転車こぎに関連して似たような感情をもったことが以前にもありました。それはカレッジの友人とゴールデンゲートブリッジを自転車で横断したときのことです。橋の上で、自転車が倒れそうなくらいの強風の中を自転車をこぎましたが、考えていたことは今日と同じように「早く橋の向こう、つまり、ゴールにたどり着かなくちゃ」だったのです。私はそんな自分を当たり前のように思っていたのですが、振り向くと、すぐ後ろを走っているはずの友人は私よりもずっと後ろを走っていました。そんな彼女に私は風が強くて早く走れないんだなと思いました。ところが彼女の理由は違っていたのです。
 「まもさん、後ろから見ててすごく必死に自転車こいでるみたいだったよ」「だってこの強風から早く抜け出したかったんだもん。○○ちゃんは?」「私はのんびり走った。景色見たよ」。彼女の言葉を聞いた途端に、なんてもったいないことをしちゃったんだろう、と思いました。ですから帰りはもちろん橋の上からの美しい景色を堪能しながらゆったりのんびり自転車をこぎました。
 今日の状況も強風の中。私は強風が好きではないので早くゴールにたどり着きたいと思うのは自然なこととも言えますが、風の抵抗に打ち勝つような気持ちで漕いでいると余分に疲れるのです。それで、「風と一緒に走ろう」という気持ちの中でゆっくり漕いでみると、前には進まないのだけど周りを見ることはできるのです。こちらのほうがうんと楽しいんです。ということで、流れに乗るという技は貴重だなーと思った日曜日でした。


2015年07月23日(木) ワクワクスゥイート

 本日もまたボランティアで初めての経験をしました。場所は外来オペ患者さんの建物です。私のすることはご家族の誘導など本当に簡単なことばかりですが、誘導の際にリカバリールームに出入りするのでさまざまな医療器具やオペ室から出てきたばかりの患者さんのベッドの傍を歩くことが出来て現役だった頃のことを思い出してワクワクしました。それから、この私にだって、もしかしたらここで働けるようなチャンスがあるかもしれない、とも思いました。可能性はとても小さいですけれどね。
 ところで、別の嬉しさも。足関節のオペを終えた若い男性のもとに彼のフィアンセを案内させてもらったところ、麻酔の冷め切っていない虚ろな表情の患者さんは彼女の顔を見た途端に目をぱっちり開けて「Oh Honey. My sweetheart. (オー、ハニー。マイスウィートハート」と言いました。なんだか微笑ましくて、周囲の人々をもやさしい気持ちにさせた一コマでした。日本の病院にもこのような光景があったらいいな。


2015年07月22日(水) スキルアップのコツ

 読者の皆さんは英語スキル不足で上手く対応してもらえなかった、と感じた経験はお持ちですか?今日は春講義で受けた栄養学のクラスでの出来事をひとつ書きたいと思います。

 クラス初日、授業終了後に聞き取れなかったことを質問しに行くと、私の目には後ろで用事をしながらの背中を向けたままの教師と速すぎて聞き取れない返事が耳に届きました。その対応に戸惑いましたが、その戸惑いを伝える英語は浮かびませんでしたし、クラスメイトはネイティブの子ばかりでしたので(英語スキル不足だし仕方がないな)の印象で帰宅しました。そして、当日の宿題となっていた自己紹介エッセイには英語スキル学習中の為に聞き取れない場合が多々ある)と書き添えました。

 しかし、その後も同じ事が起きました。クラスディスカッションで発言した日には、私の言いたいことは上手く伝わらなかったのでしょう。教師には「ゆっくり聞いていられない」と返答され、私は石のように固まりました。どうやら発言とはみなされなかったようでした。余談になりますが、一般にアメリカは自由と平等の国と言われていますが、必ずしもそうとは言えないと感じる場面に時々遭遇します。日本国内に欧米人の嫌いな日本人が居るように(その方達は欧米人に限らずはよそ者の侵入者を嫌っている場合が多いと思います)、アメリカにもアジア人の嫌いなアメリカ人がいるのだと思います。カレッジで会う日本人学生にも以前クラスで不当な扱いを受けていると聞いたことがあります。そんなわけで、(彼らの言ってたことはこういう事なんだな)と納得したりして毎日のように一緒に住む友人に訴えました。

 しかし一週間もすると気付いたのです。強者が弱者をいじめたり邪険に扱かったりする行為はどの社会にもありがちで、そういう意味では他者からの共感や同情を得やすく、つまり、被害者として過ごすことは簡単なのです。私はこのまま誰かに訴えているだけではいけないと思いました。さらに、実際に状況は日常化していてキリもなく解決にもならなさそうでしたので、友人に話すこともやめました。

 ただし、止めなかったことが二つありました。それは、わからないことを聞くということとクラスディスカッションの際に発言するということです。グループワークの時にも出来る範囲で会話に加わりました。クラスメイト達の余談も楽しみました。「止めなかったこと」と書きましたが、なんと言いましょう。実際には、わからないことは聞いてみたくて、何か考えが浮かんだら言葉にしてみたくて、何よりその時間をほかの人と一緒に楽しみたいという単純な気持ちからでした。特に、何だかウヤムヤだなと感じた時にはウヤムヤの扉が開いて中身が解明するまで、会話ですと全部を聞き取れないですし、教師にストレスを与えてしまう可能性もあるのでメールで尋ね続けました。謎が解明していくのは嬉しかったし気持ちがスッキリするのです。

 講義終わりの一週間前に嬉しいことが起きました。前日に出した質問メールの内容は「私が(白版に)書いたことはミスでしたか?同じミスをしたクラスメイト達は注意を受けなかったのだけど、私は注意を受けた。彼らと私の何が違っていたの?」というものでした。一度返ってきた返信に、私は納得が行かなかったので再びメールを出しました。その返信が届いていなかった日、クラスに入ると教師が私の席にやって来て、私は初めて彼女に名前を呼ばれました。そして彼女は「まも、忙しくてメールの返事をする時間がなかったからごめんね。あの場合は…」と言って私の知りたかったことを説明してくれました。当初の私の答えは実は間違っていなかったとわかり、心のもやもやがスーッと消えていきました。私は「いいえ。大丈夫です。私はただ、彼らと私のミスのどこが違っていたのか知りたかったので」と答え「英語のレベルが低いので何度も聞かないといけないんです。あなたの時間をたくさん使ってごめんなさい」と伝えました。すると教師は「No no. 謝る必要はないよ。あなたはすごく努力している」と言いました。なんと嬉しいお言葉。この意味を私は「自分に丁寧に生きている私がここにいる」として受け取りました。この日の私はクラスが始まって初めて、気持ち晴れ晴れ楽しい気分。自分に丁寧に接することは心と英語のスキルアップにつながるようなのです。ということで、ちょっとした報告を読んでくださってありがとう。


2015年07月16日(木) フレンドリー効果

 今日はボランティアで嬉しいことがありました。それは、最近新しく入ってこられたメンバーの女性が、退職を控えているそうですが現役ナースと知り、それだけでも嬉しかったのですが、その他に、ユーモアのセンスやスポーツが好きなこと、その他の大切に思うことが似ていて、患者のお手伝いの合間に話が弾み、いつもの倍くらい楽しかったのです。私達は今日外来で、手術の終わりを待っている御家族の手伝いをしていたのですが、彼女は患者さんにも気軽に話しかけていました。

多くの方がご存知のように、こんな時英語ではフレンドリーと言いますね。彼女のフレンドリーさは長時間の手術の終わりを待つご家族の緊張を和らげると思いました。私ももし病院でもっと幅広く人々と関わるのだとしたら彼女のような声かけのできる人になりたいです。
 


2015年07月14日(火) 環境

 先日久しぶりに一人ハイキングへ行き孤独を満喫しました。3時間のハイキングで気づいたことは、このところ頭の中が忙しかった、ということです。したいこととする必要のあることに満たされている毎日、その全部を無理してこなそうとしていたのです。
 森の中で自分との対話をもとにリクライミングの作業もしました。いつものことながら作業の効果は奥深く、その変化は私自身の目にも明確です。新しい考えがスーッと私の中に入ってくるのです。
 このようにしてハイキングタイムを過ごし、山を下る時には自分の死について考えを巡らせ、スマホのメモに「将来、森の少し湿った空気を感じられる中で死んでいけるような暮らしを、これから築いていきたい」と書きました。少し時間がかかりそうですが、これが、私が最も安心できる私の生き方なのです。まず必要なのは自然の多い環境とそこに寄り添いたいと感じる心でしょう。


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