「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2013年07月09日(火) 最近のこと

 最近おもりを付けた公園に遊びに行き、傾斜の高めの山に登っています。時々、重りを付けていることを忘れていて、(あー疲れを感じるのが早くなったな…。お年を召してきたんだなー)と思うことがあります。それからしばらくして、重りをつけていたことを思い出し、外した時の開放感も思い浮かべて楽しんでいます。一人遊びが出来ると小さなことが楽しいですね。

 今週はプレゼンテーションの課題があり、私は<主流煙と副流煙の影響。その防ぎ方>というタイトルを選んで準備しています。Teacherは Video を撮ると言っていたので、うまく語れていたら Webサイトに UPしようと思っています。しかし、英語がシドロモドロであることは今からでも想像できますよ。私は日本人なので、私の英語は日本語発音が混ざった日本語英語だと思います。


2013年07月08日(月) 未来

 カレッジへ、前回準備されていなかった必要書類を届けに行きました。そこで、一緒に行ったクラスメイトの女の子と係りの方の「トーフルをパスしたので、○○は要りませんよね?」「あーそうね。Okay」という会話が聞こえ、ハッとしました。試験の結果が必要書類に準備に役に立っているようなのです。帰りの車の中で彼女は「トーフルのスコアをもっと上げたら、もっと就職率などがよくなるから頑張るつもり」と言いました。彼女は今25歳で、将来はアメリカで一人で暮らしていけるようになりたいと思いつつ生活している女性なのです。
 私はどうするかなと思いました。私の中の、アメリカ生活の予想図は今のところ最長2年、つまりカレッジを卒業するところまでです。もし本当にそうなるとしたら、その先はどうするのでしょうね。
 ところで、クラスメイトと係りの方の会話を聞いて、私も彼女のように言いたいな、と思いました。前のようにたくさん勉強しようかな? しかし、実は最近勉強時間が以前の半分くらいに減っていますが、その分自由を感じているのです。


2013年07月05日(金) ハチさん

 実は昨日友人の家に遊びに行ったとき、ハチに刺されたのです。事情は以下です。プールがあり、その水面の反面に水色のセメントのように見えるものが広がっていました。私はその上に立とうと足を延ばしました。しかし、私は立てない代わりにあっという間に沈みました。その水色のものはセメントではなくビニールカバーだったのです。淵からわりと近かったのですぐに脱出できました。しかし足の関節のところがちくちくしたのです。見ると何かか刺さっていて、それがとっても痛かったのです。「痛い痛い!これは何??」 友人は「ハチのしっぽと針」と言いました。しばらくは痛くて泣きそうでした。これは私がビニールに足を延ばしてからわずか3分くらいの間に起きた出来事でした。予想外に沈んだことよりもハチに刺されたことの痛さが大きく響いていました。足の痛みが落ち着いてから改めて、セメントだと思い込んで水に沈んでしまった自分を何度も笑いました。友人はその後、ハチを怖がった私に「危なくないよ」と言って、水を飲んでいるハチが自然に手に乗ってくるように仕向ける動作をしました。そうです。そのハチは本当は危なくないのです。私は自分の勘違いで彼を脅かせてしまったのです。友人が、はちと遊んでいるのを見て、私の手にも乗ってくれたらいいなぁと思いました。


2013年07月04日(木) アメリカ独立記念日

今日はアメリカの独立記念日なので学校は休みでした。それぞれの家には国旗が掲げられており、または国旗を風になびかせながらドライブする車を数台見かけました。私は友人の家へ遊びに行きました。そのお宅でも、玄関やベランダに国旗が掲げられていました。友人は「アメリカ人であることは自分の誇り。自由の国アメリカを愛している」と言いました。傍に居たご家族も同じように感じているような気がしました。これは、私を含めた、少なくとも私の周りに居る日本人との大きな違いだと思いました。もしも日本で日の丸国旗を風になびかせて走っているのを見かけたら、私はきっと、彼は政府や国に何かを講義したい集団の中に居る人かな?と思うでしょう。私は日本を愛している? 国を愛するということの意味がよくわからないのです。自分自身や自然に対しては、愛という言葉を使えるのだけれど、この違いは何なのかな…。
 ところで、アメリカの、カリフォルニアを含むいくつかの州(ほとんど?)では、花火の満ち込みも遊びも禁止されているそうですが、今夜はスーパーのパーキングプレイスや遠くの山の方で花火が上がっているのを見かけました。きれいでしたよ。それから、確か昨年、名古屋に住む心友と海水浴に出かけた海岸で楽しんだ花火を思い出しました。アメリカで花火が禁止されているのは何故なのかな?勉強してみると楽しそうですね。


2013年07月01日(月) 丁寧

 今日は、先日緊急OPを受け、現在は透析を続けながら肝移植を待っている友人を手伝う人物の一人として、病院で移植後の生活環境についての調査を受けました。開始前に通訳が必要かどうかを尋ねられたので、大切なことを聞き逃したり間違って解釈してはいけないと思いお願いしました。メンバーは私と社会福祉士さんの二人、私達は向かい合って座り通訳は電話で行われました。なんだか不思議な感じでしたが、話が始まってみると、その半分程度は通訳がなくても正しく解釈することが出来ました。それから英語を使う方と語っているせいか、日本語で語るよりも英語で語る方が楽だと思いました。しかし以前、一つの単語を聞き逃して全く反対の意味として解釈してしまったことがあるので、いつも丁寧に聞き取ろうとすることが大切だと度々実感させられます。日本語の場合も同じですね。いつも丁寧がいいですね。


2013年06月30日(日)  サンフランシスコの道

 今日、友人が入院しているサンフランシスコ市内の住宅街を歩きました。サンフランシスコの道路の殆どは急な坂道で、道はサンホゼ(サンノゼとも言います)に比べて狭くうねっているので車を運転するときには余分に注意が必要です。反面、路上電車やバスの便は、サンノゼよりは整っているようです。彼らは毎日角度の鋭い坂を上り下りして活動しているようなので健康にいいですね。お散歩中、それぞれの家の前でそれぞれ違った香りがしました。それは香料やお香ではありません。そのお宅の生活の香りです。ベランダにはそのお宅の人々が楽しんでいるものが置かれていて、それらを眺めて楽しみました。


2013年06月29日(土) 英語部分の成長

 先日受けたトーフルの結果が返ってきました。スコアは470点です。前回スコアをお伝えしたときには、間違ってこの辺りのスコアを伝えてしまうというミスをしましたが、今回は本当に正しい点数です。ちなみに、殆どのクラスメートは450点あたりからスタートし、今回で500点を超えているようです。500点という点数はカレッジに編入できるラインなのです。私はそのラインにパスしませんでした。しかし、私の場合は433点からスタートし413点に下がり、その後に470点まで上がったのです。加えて、ちょうどそのテストを受けた時期は友人の介護に時間を使っていて勉強時間を作ることが出来ていなかったので、その上で取れたこの点数はいいなぁ〜と思います。と、自分で自分を認めて満足しています。いいことですね。


2013年06月28日(金) 流れ

 予定は未定ですが、9月末から De Anzaというカレッジに通うための手続きを今日しました。専攻が二つあり、二つは選ばなくてはいけないようです。一つはもちろん英語で二つ目は…実は何を専攻したらいいのかまだ考え中なのです。しかし、申し込みのために何かを選ばなくてはいけないようでしたので、とりあえず思い付いたNursing Courseを選択しました。とはいっても、アメリカの政府は2006年から外国人看護師の採用規制を始め、それは現在も継続されているようで、過去には二人のカリフォルニアに住む日本人女性から「看護師の免許があるけれど働けない」という話を聞いたこともあり、このコースと自分の未来があまりつながりません。さらに、私は現在、アメリカに永住しようという考えを持てていないので、本当に(どうしようかなぁ…)と迷うところです。
 しかし、この迷いは例えばもっと若い頃、大人になりつつある自分が将来何をしようかと未来について考える作業と同じような気がしています。それから、この迷いは自分の未来のためのステップになっているのだと思うと、本当にうれしいです。ちなみに、クラスメイト達は「フィルムメーカーになるんじゃないかと思うよ」とか「多分…だと思う」という感じでアバウトです。当初は(そんなにアバウトで大丈夫なの?)と思いましたが、そのアバウトさを見習うと流れに乗って楽ちんに生きることが出来るのですよね。


2013年06月14日(金) 野菜と料理の話

 庭のトマトが赤くなり始め、日本きゅうりのサイズも(もう食べてもらいたいと言っているのかな?)と思えるほどの大きさになっていています。きゅうりは、当初(うまく育てられないかもしれない)と思っていたのですが、今では幾つか実が付いてくれて喜んでいます。せっかく私の庭で実になってくれたと思うと、採って食べてしまってはかわいそうな気もしていますが、まもなく私の栄養補給を手伝ってくれる一品になるのでしょう。
 食べ物つながりで話は変わりますが、最近、入院している友人の手伝いを兼ねて欧米食材で作れるヘルシーメニューを編み出す研究を始めました。まだ数回試したのみですが、机に座って勉強しているよりも楽しくて勉強と料理の比率が入れ替わってしまうこともあります。作った料理を、友人はほとんど食べられません。理由は、味がお好みでなかったり体調が悪かったり、またはタイミングを逃したりとさまざまです。しかし私は、作るということを楽しませてもらっているせいか、その後の結果をありのまま受け入れて、次は何を試そうかな?と次の楽しみを待っています。


2013年06月12日(水) 予防医学のない世界

 入院している友人の、家族同様に属する人物の一人として、退院した後のことを踏まえた患者ケアカンファレンスに行ってきました。メンバーは、ソーシャルワーカーを含めた3人の職員さんと私達6人でした。ちなみに、友人は現在肝硬変のターミナル期で、数日前には薬の副作用で腎臓の機能が急減し人工透析の危機に直面していました。先日4,000ミリリットルの腹水を抜きましたが約1週間で元に戻ります。
 病院の方は「家で様態が悪くなったら、すぐに病院に来てください。スペシャリストがケアしますし、この薬とあの薬が効きます」と繰り返しました。一方友人は肝硬変の出来るだけ早くの肝移植を希望しているので「保険の範囲で賄えるかどうか。病院は費用を負担してくれるかどうか」の2点を尋ねました。私は、人々の話に何かが足りないと思っていました。それから勇気を出して「様態を悪くしないために必要なことを教えてください」と尋ねました。病院の方は「薬があるので大丈夫です」と言いました。しかし私はそのことを繰り返す意味がよくわからなかったので、「はい、分かりました。しかし薬が肝臓を傷めることもあると思うので、なるべくそれを使わずに済むような方法を知りたいのです。食事やその他の基本的なことを確認したいのです」と尋ねました。私は友人の介護者なのでそれらをどうしても知る必要があったのです。しかし、病院の方は何か違うことを言いました。私はそれらもよく理解できませんでしたので「例えば、体に良い食事を摂ることやよく寝ること。外に出て新鮮な空気を取り入れることなど、他にどんなことがあるか、わからないのです」と尋ねました。しばらくのち、私は、人々はそれらを知らないということを知りました。
 また、病院の人々は、友人の腎臓の働き具合を観察する必要があると言いましたが、腎臓の機能を落とした原因を見据え違う方法、薬を使わずに済む安全な方法を探すことは出来ないように思いました。そうして、悪化したら遠慮せずに病院に来て薬治療をしましょうと進めているのですから恐ろしいことだと思います。
 日本も同じだと思いますが、アメリカの薬社会は日本以上に乱暴ではないかなと感じています。


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