「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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友人の車で8時間かけてメルボルンからキャンベラへやってきました。(昨日の日記にはシドニーと書きましたが間違っていました。ごめんなさい)。長い道のりでしたが、話をしながら休憩しながらでしたので、あっという間に時間が過ぎましたよ。 今日は近くの公園までドライブしました。そうしたら、カンガルーがすぐそこに…。すぐに見れると聞いていましたが本当にすぐに出会えたのでびっくりしました。カンガルーは警戒心が強くて馬のように近くに行くことが出来ませんでしたが、ぴょんぴょん飛んでいく姿を楽しみました。 キャンベラはキャピタル都市ですが、友人の家は Mt. Ainslie のそぐそばにあり自然がいっぱい。L.A.とは違った景色を楽しんでいます。写真を、L.A.の分も含めていくつか載せることにしました。
カンガルー メルボルンからドライブ中。ミラーを見てください。 メルボルンの景色 メルボルンの海 L.A.で見た三日月
二日前からオーストラリアの首都メルボルンに居ます。中心地のホテルに滞在しているのですが、辺りはビクトリア調の建物が並んでいてゴージャスで、観光客も多いです。 クリスマスの季節なのに、(本当にここもクリスマス前?)と尋ねたくなるくらいにイルミネーションを見かけません。考えてみればこれは自然なことで、アメリカや日本の年末の風景は異常だと思います。ここでは代わりに一般の人々、例えばサンタの服を着た5歳くらいの子どもさんが路上でバイオリンを弾くパフォーマンスを見かけることがあります。子どもさんは、バイオリンのケースに貯まったコインで何を買いたいのでしょうか…。
困っていることが一つ。歩きたばこが多すぎて本当に困っています。たくさんの人が歩いているので煙がどこからやってくるのか察知するのが難しいのです。私の友人と私はたばこを敬遠しているので、たばこを避けるのに忙しく(きれいに飾った観光地なのにどうしてかなぁ)と不思議に思っています。 嬉しいこともあります。今オーストラリアは“初夏”。今日の気温は31℃ですョ。暑いのが好きな私は本当に快適です。
そうそう、もう一つ嬉しいことがあります。これまで住んでいた L.A. と違って自然がいっぱいなのです。カンガルーはまだ見ていないけれど、友人の住んでいる街シドニーには自然のカンガルーがいるそうなので楽しみにしています…。
2011年12月15日(木) |
My Auto Biography, 2011 |
今日で学校が終わりました。
私の通った学校は Rosemead college of English という名前で、住所は 8705 E. Valley Blvd., Rosemead, CA 91770 です。学費は、私の場合は転入という形で半額になり、約1000ドル/4か月でした。私の知っている限り、安いですョ! それに、4か月の期間、20代の若い学生さんと一緒に勉強を楽しめましたし、いくつか文法も覚えて発音も聞き取りもそれなりに良くなったので有意義な時間でした。(年齢差もあり何度か“お母さんみたい”と言われたりして…)
終盤の授業で、“Auto Biography”というのを書きました。これは、日本語でいう“自叙伝”のようなものだと思います。書き出しは、何月にどこで生まれ子どもの頃は何をしていた…からです。それから、家族のことや子ども時代の様子、大人になってから何をしていて、夢は何?というところへ続きます。最後は、現在 USA で英語を勉強して、将来は何をする…ということを書いたのです。
私は最初困りました。家族のことをどこまで書こうか迷ったからです。しかし、基本的に書きたいことを書けばいいと思えたのでその辺りを適当にしておいて、私にとっての本題“今米国で英語を勉強している理由は何で…”というところまで書き進んだ後は本当に楽しかったです。
出来上がった文章をオレンジ色の紙に清書して、余ったスペースには今までに訪れた国とこれから訪ねる予定の国の国旗の絵を書きました。そうそう、私の似顔絵と雪虫も…。 この授業は私にとって、これまでしてきたこととこれからしようとしていることの確認をする機会になりました。日本語の日記なので、英語をたくさん載せるのは控えていましたが、今日は英語と日本語を載せておくことにしました。よかったら読んでください。
以下。
私の名前は Mamo です。私は8月4日に日本で生まれました。 私は日本の西に位置する北九州市で育ちました。両親が働いている間は姉、弟と過ごしました。彼らは今も九州に住み、姉は看護師として、弟も病院で働いています。 私も看護師の資格を18歳の時に取りました。私は仕事のために家を出て、日本のおよそ真ん中に位置する京都市へ移りました。約8年後、私は結婚し子どもを4人持ちました。子ども達は皆かわいく、私は京都で母としての仕事をしていました。(実は、転勤族の妻だったのであちこち移動しているのです。でも、全部を書けませんでした。それから、母になった自分とその時感じていたことをもう少し詳しく書いたほうがよかったですネ)
しかし、私はその後夫と離婚したので名古屋市へ移りました。それから自分を大切にして生きるために心の勉強をしました。(Teacherと話し合い、英語では哲学という単語になっています)。 私はまた、いくつかの、それまでにしてみたいと思っていたことを実際に経験できるよう取り組み、その後“心のファシリテイターとして育つ会”という会の主宰者になりました。又、離婚してからの目標にしてきた“心の本”を3年前に自費出版しました。(この文章は、その前の文章と順番が逆にしなければいけませんでしたネ…)
2011年9月、私は英語の勉強をして Herveard University へ行くためにアメリカへやってきました。これは、私の2つ目の夢です。(この文章ちょっと違いますネ。なぜなら、私が英語の勉強をしている理由は、以前読めなかった外国心理学者の著書を原書で読みたいからなのです)。 皆が私の英語を手伝ってくれますし、私はもっと成長すると思います。いつの日か自分の本を英語に翻訳したい。そして、私の国と外国で心の架け橋が出来たらどんなに素敵でしょう。
以上。
翻訳した日本語を読み返してみると、英文を書くということに集中していて、起承転結を丁寧に整えというところへ辿り着いていなかったとわかります。しかし、こんな気付きも興味深いですし次のステップに利用できると思います。英文を通り越した下の方に写真も入れてみたので、よかったら見てください。このペーパーは年明けに学校のWallに飾られる予定です。私は見れないので少し残念ですが、この学校に足跡を残せてよかったなぁと心から思っています...。 ということで、まだまだ勉強中ですョ。そしてこの日記を読んで下さってありがとう。
My name is Mamo. I was born on Aug,4 in Japan. I grew up in Kyusyu which is located in the western part of Japan. While my parents were working, I was with my older sister and younger brother. They live in Kyusyu and my sister works as a nurse and my brother also works in a Hospital.
I also got a nursing license when I was eighteen years old. I left my home town to go to Kyoto which is located in the center of Japan. After eight years, I got married and had four children. They all are cute and I really love them. I took care of them as mother in Kyoto.
However, my husband and I got divorced, I moved to Nagoya city. I studied Philosophy which helped me to live by my value. I also tried to experience some of things that I always wanted to do.
Afterward, I started the group called "Facilitator of Life Style". I also three years ago I published my book in Japan which was my goal after I got divorced.
In September 2011, I came to the US to study English in order to go to Harvard University. That's my second goal. As everybody helps my English, I will be able to improve more. I want to translate my book in English someday. And how nice if I make a bridge between Japan and another countries.
2011年12月10日(土) |
養育と自然環境 * what's your opinion? * |
スペルの似た二つの単語に“Nature”と“Nurture”というのがあります。“Nature”の意味は“木や花、川、海、空その他、人の手を加えられていないもの”を言い、“Nurture”のは“養育”という意味だそうです。しかしそのスペルが似ているせいか、私はたびたび混乱するので、友人にその違いを尋ねてみました。
友人は、“Nurture”という単語について、「“養育”という意味で、人の発展に影響する社会的状況に言及します。あなたの親はあなたに、人としてふるまう方法を教えました。あなたの社会的環境(あなたの学校の先生やあなたの周囲に居た他の人)も、あなたがどのように人として育つかについて影響を与えました。あなたの経験もあなたに影響しています。 両親の与えた環境とあなた自身の開発途上のふるまいによってあなたは養育されます。」という答えが返ってきました。私はこの説明を英語で知ったことをうれしく思い、「私自身の言葉が見つかるときまで、あなたの英語の説明を利用させてもらいたいです」と伝えました。
そのあと別の友人から「“Nature”は“Nurture”を超えるよね? あなたの 意見はどう?」と尋ねられました。
** What is your opinion?? **
実はこのように尋ねられた時、私は少し戸惑ったのです。というのは、私はこれまでこの単語について(それはどういう意味かな?)と考えたことはありますが、私の意見はどうかを英語で考えたことがなかったからです。しかし私はその機会を得ました。そして、「その友人の問いかけに賛成!」という私自身の意見:Opinion を持ちました。
今の私は英語に堪能なわけではないのに、英語で考えたことを日本語にするのが難しいのでうまく書けないかもしれませんが、私の友人に伝えた答えは以下です。
「はい。私の両親と周囲の大人は私を養育しました。その方法は一つかまたは二つでした。私はまたいろいろな経験をしました。その経験は最初、両親から教わったように、一つか二つでした。その後私は自然に多く触れました。自然の中には一つのことに対して二つ以上の方法がありました。私は今、それが柔軟性であることを知っています。私はこの方法を気に入っています。私はあなたの意見に賛成です。私に考える機会を与えてくださってありがとう。柔軟性を持っていることは両親の教えた二つの方法よりも大切です」。もっといい表現があるとわかりますが、まだ英語で書けません。(知っている方は教えてください。私はあなたの言葉を私の成長の材料として利用したいです。)
私の Opnion をどう思いますか?
** Let's me know your opinion. **
Thank you for read this...
今日、飛行機チケットの件で航空会社へ問い合わせをしました。しかし、もうクリスマスまで満席でした。別口でチケットをゲットしようとしましたが、時期的に高いですねぇ。貯金も限られているので、このままもう少し旅を続けてから帰国してもいいのかもしれません。
今朝の気温7度でしたが、7時前に起きて天気もよさそうだったので学校にも行きました。来週はこのターム最後のテストが毎日あり、Teacherは、私達が今の時点で上のクラスへ上がれる状態かどうか個別に説明しました。私は今95%OKです。でも、今のレベルに留まりたければそれも出来ますし、途中で上のクラスに行きたいときはそのようなテストを受ければいいそうです。柔軟な仕組みですよね。では何のためにテストをするの?という疑問もわきますが、きっと、1タームのけじめのようなものなのでしょう。私は次のタームに出る予定がないので、試験を受けなくてもいいしもう学校に行かなくてもいいのです。 ちなみに、明日は学校全体のクリスマスパーティーがあります。クリスマスにもパーティーにもあまり興味がないので行かなくてもいいなぁと思っていますが、早くに目が覚めたら行くかもしれません。 なにをするとしても、私の優先順位に沿って動くのがいいです。
何が必要かな? 今の私に必要なのは、もっと自分を知ることです。そのために明日は何をする?
あっという間に12月も1週間を過ぎてしまいました。先週は停電が4日間続き Candle の生活を堪能し情報源として欠かせない携帯の電気を確保するために図書館通いも楽しみましたが、夜中に寒くて目が覚めて困りました。 寒さで首が悪化しないようにホッカイロを買って首を温めてあげましたョ。いつも体を大切にして生活できるように意識しています。 ちなみに、私は12月18日でL.A.からどこかへ移動する予定です。行き先の候補は2カ所で、サンフランシスコとオーストラリアのどちらかです。移動する前に日本に立ち寄りたいなぁと思いました。しかし今ある荷物をどうするの? 注文して出来上がり待ちの眼鏡と修理に出して出来上がり待ちの携帯電話を誰に引き取ってもらう?など、すぐに動けない事情もあり、寒さで布団から起きだせなかったこともあり、一日中ベッドの上に居て、外に出たのは夕方でした。今日という貴重な一日はついに考えてイメージするのみで終わってしまったのです。 しかし、私はやはり日本に一度立ち寄ったほうがいいと思うのです。明日は飛行機の空席があるかどうか、確認します。今夜も6度。明日の朝もきっと寒いでしょう。でも、明日は起きますョ...。
2011年11月26日(土) |
Sleeping with the leaves. |
今日はLacy parkという公園へ行きました。家から車で15分くらいのところにあります。この公園へ行ったのは今日で3回目です。実は、この公園には世界の木が植えられているのです。最初に来たときは、世界の木を知りたくて歩き回りました。2回目に来たときは、拾った松ぼっくりを少し遠くから投げて木に当てられるかなぁとTryしました。 そして3回目の今日は、冬の季節を迎えて落ち葉のじゅうたんがあちこちにできていたのでそこに寝転んで遊びました。空は雲一つなくポカポカ陽気も手伝って、本当に気持ちよかったです。一緒に行った友人は寝ころんでいる私の写真を撮ってくれたので、今日はその写真を載せることにします。ポカポカ陽気が伝わるといいのですが…。 本当にたくさんの葉っぱ! ボールを持っている!! 回転しようとしている!
Western の家庭に引っ越したいという気持ちの中で、これまでに数人の人に出会いました。どんな人が居たと思いますか?
若い頃、恋人の名前を背中に刻み、その後に別れたので名前を Cover するために再び肌を刻んだ人。自宅で音楽CDを作り、「Obama 大統領の演説を Bag ground music にした」と嬉しそうだった人。50代が近づいて白髪になってきたあごひげを3日に一度黒に染めているという Black person.「白くてもいいのではないの?」と尋ねると「若く見せたいからね」と言いました。Siriaというパキスタンに近い国からやってきて、50万ドルを払って Green card を Get した人。きれいな発音をしているけれど、読み書きができない人。アマゾンに行って原住民の人々と生活をしてきたという人。 私の英語力のレベルもあり心の話をするにはまだまだですが、これだけの情報を得た分だけ考える材料も増えたということでいいと思います。
そして私はどんなふうに生きたいかなぁ〜と…。自分のために生き、その私を語れるように生きましょう。まずは健康!
先日病院へ行ったとき「今よりもよくなる為にできることは何ですか?」と尋ねたら、OPを勧められました。説明も頂いた手術例文も全部英語なので本当にアバウトな解釈ですが、過去の職場の経験を交えて解釈すると、全身麻酔をかけて頸の前方から3センチくらい切り頚椎にピンを刺して、神経を圧迫している部分を固定するようです。私の症状は最も悪い時から比べると8割くらいよくなっているので、返事を保留にして病院を後にしました。
まだ時々急に調子の悪くなることがあるので油断はできないのですが、本当に回復しました。私は今45歳で少なくともあと45年生きることを思い、弱い部分を守れる私を意識して生活しています。
2011年11月12日(土) |
Eaten canyon park |
Eaten canyon park という公園へ行きました。この公園は、家の近くにある大きな山(ごめんなさい、名前が分かりません…)のふもとにあり、公園というよりは、山の中に居る感じです。ロケーションは、North Altadena Dr. と Lake Av.の交差点の近くに位置し、Old Pasadenaから 15分くらいだと思います。
公園には、冬を迎えて枯れているけれどまだ葉っぱを残したままの木がたくさんありました。その葉っぱを手で握ってみると、クシャッと音がしましたよ。それから、石が並んだ橋があったので、そこを渡って遊びました。 しばらく歩いたところに、枯れ木を積み重ねてキャンプファイヤーのようにしている場所があったので、そこに上って軽くジャンプをしてみると、トランポリンに乗っているみたいに揺れました。簡単に崩れそうになかったので、そのうえで寝てみました。あまりに気持ちよくて、(ずーっと寝ていたい…)と思いました。 帰りに Black acorn(どんぐり)を拾いました。どんぐりはインディアンの食料だったと聞いているので、にがそうだけれど私も食べれるのでしょうね…。
今日は写真を載せることにしました。曇り空なのできれいに映っていませんが、楽しんでいただければ幸いです。
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