「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2011年09月20日(火) |
Mexico という国のこと |
アメリカへ来て数日経ちました。当初はサンフランシスコに滞在する予定でしたが、L.A.のカレッジへ通うことに決めたので、新しい書類を得るために昨日朝早く家を出て Mexico にあるアメリカ大使館へ行ってきました。(旧カレッジは私の申請を受け入れてくれなかったのです)。 Pasadena 近くに位置するステイ先の家を出たのは朝6時半。L.A.中心地の Union station から Gray hound という長距離バスに乗り、 San Diego へ着いたのは昼の11時半過ぎ。San Diego から Trolley というローカル列車に乗って40分。国境にあたる陸橋を渡り始めたのは昼の12時半ごろでした。 たーくさんの待ち時間を経てすべてが終了したとき、時計は16時半になっていました。所要時間を逆算してみると、Union Station に着くのは20時過ぎ。バスチケットを買ってあったけれど San Diego に滞在してきました。
Mexico という国、国境を越えてわずか500メートルくらいの範囲を歩いたのみですが、Enterするとすぐに、そこにいた日本人の旅行者引率者の男性から「一人で来たの?スリに会うよ。殺されるよ」と言われ(余計なことを言わないでほしいなぁ)と思って前を見ると目の前に長い銃を持った警察官らしい人。物乞いをする子どもさんは私の荷物を引っ張りました。日本人男性の言葉が耳に残り(長い銃を持って見張っていなくてはいけないような国なのだろうか?何かあったら本当に殺されちゃうんだろうか?)と思うと本当にドキドキし、一人で来たことを後悔し、(メキシコ人の誰かと一緒に歩けばいい)と思い、同じバスに乗っていたらしい女性に道を尋ねつつ一緒に歩きました。 大使館に着いた後は建物の外で1時間ほど待ちました。並んでいる前の男性は破れを繕った服を着ていて、後ろの人は底が薄くなって物が透けて見えるバッグを背負っていました。通る人は皆さん同じ様子です。「危険な国」という言葉が広がる原因は貧しさにあったとわかりました。 待ち時間の終わりごろ、後ろの年上の男性と目が合いました。私がにっこりすると男性も笑顔を返してくれました。少し後、男性が日本でもよく見かけていた“キットカットのチョコレート”の封を切りました。私に「どうぞ」というように差し出しました。「Thank you but no thank you」と言いましたが、男性は「まだまだ長いよ」という素振りをしてもう一度チョコレートを私に向け、私もおすそ分けしてもらったチョコを食べました。大使館の中へ入ると、コンピューターの不備で再び30分待ちを告げられ、見るとそれ以前よりも先に何かを待っている人たちが10人くらい居ました。がっかりして俯いていると数人の人が私に話しかけました。大使館の職員も私が日本人だと知ると「こんにちは」と日本語で語り、私は「何か話してみて」と言われ、「名古屋に住んでいます」と言いました。大使館の男性は最後に「トヨタ、ホンダ」と嬉しそうな表情で言いました。車に興味はないけれど私もうれしくなりました。Mexico にも私と言葉を話そうとする人がいたのです。危ない国かもしれないけれど、来てよかったと思いました。
一夜明けて本日、Pasadenba へ到着したのは午後4時過ぎでした。一日と半分の時間を使った旅の中でドキドキしたり面白かったり、楽しい旅を終えました。そして、疲れた疲れた。今日はバスタブに浸かろうっと♪
娘と、一生のうちで何人の人に会う?という話をしました。私は一日で1,000人の人に会うと思うと言うと、彼女は計算して、私たちが100歳まで生きるとして死ぬまでに310,250人の人に会うという答えが出ました。本当かどうかは別にして、面白いですねぇ。 出会ったすべての人と語り合うことはできませんが、そのうちの数人と語り合うことができます。もしもそれがプラスの会話なら、私達はいつも成長しあうことができるのです。 私は本当に100歳まで生きると思います。なぜなら毎日楽しいからです。これからも健康な体と自分にやさしい心を大切にして毎日楽しくいきます。
出発の日までまだ日があると思っていましたが、気付くともう間近になっていて。少し焦った本日。でも、一つずつしていけばきっと片付くので大丈夫なのです。 荷物について、夏の旅は身軽でいいですが、今回は冬に向かう国へ行くので冬服を準備しています。他に、辞書や本など…。本は重いですねぇ。心の成長に役立った本を、もっと早く電子書籍にしておけばよかった…と反省もしました。
2011年09月08日(木) |
2本目のホームラン! |
今日は久しぶりにバッティングセンターへ行きました。そうしたら、なんとホームランが出ちゃったのです。そのボールは、打った瞬間からホームランボードめがけて突進…という感じ。私は、バットに当たった球が一目散にホームランモードに向かって一直線に飛んで行った様子を鮮明に思いだすことが出来ます。 勉強は楽しい、そして運動も楽しいなぁと改めて思いました。ちなみに、今年2本目のホームラン。もうすぐ海外へ行くのでしばらくバッティングもお休みだと思うと、不思議な感覚の1本でした。
今日は自転車で千種区役所まで行ってきました。のんびり走ったので約1時間。お天気の効果もありあっという間についていました。ちなみに千種区は、私が名古屋へ来てから始めて仕事をした場所なのです。車であちこち移動したので“庭”に近い存在で懐かしかったです。 帰りに警察へ寄り免許書の住所変更をしてきました。そこで、国際免許の住所を変えるには天白区まで行く必要があるということがわかり急きょ予定を変更して地下鉄に乗って天白区まで足を延ばしてきました。待ち時間に外国の街を運転している自分が浮かんでうれしくなりました。
家の中はもうほとんど荷物がない状態。冷蔵庫を除くと残った食材が「もう私も食べちゃって…」と言っているように見えますょ。
私は9月の半ばからアメリカへ英語の勉強をしに行きます。最初、L.A.に到着します。今ホテル探しをしています。せっかくなのでどこか観光へ行こうかと雑誌をめくっています。雑誌をめくっているうちに、セドナという街へ行ってみたいなぁと思い始めました。 けれども、実は、私は観光地にはそれほど興味がないのです。観光地は人によって作られた場所だからです。私はそれよりも、そこに住んでいる人々は何を感じてどんな暮らしをしているのか、知りたいのです。 そして、英語で心が語り合えたらどんなに素敵だろうと思うのです。そのために留学。楽しみにしています。
9月の2週目から外国へ行くので旅支度を始めました。(何から始めたらいいのかなぁ?)と練りつつ思いつくことをしているうちに、部屋の中があっという間に物でいっぱいになりました。 最初に辿り着く国はアメリカです。その次はどこへ行くのでしょう…。どこに居ても楽しいと思います。 どこにもサクサクと行けるよう、荷物は最低限にする予定です。不要なものもサクサクと処分して…。旅の支度を楽しみましょう。
夏の終わりを感じた日。 今年の夏は今までで一番楽しかった気がします。まだまだ楽しんで居たいなぁと思い、そして来年も素敵な夏になるだろうなぁと楽しい未来を想像します。そして、来年は今年と違う新しい夏があるということも知っています。 娘へのメールに同じ内容のことを書いたら、娘も同じことを感じているという返事が届きました。遊びに来てくれてありがとうと伝えると、「ありがとう」の文字が9個増えて戻ってきました。
本当に楽しかった夏。そして日本はまだ暑いので、もうしばらく夏を楽しめるでしょう。
約1週間前に東京へ帰った三女から電話があり、三女は「名古屋でした話をもう一回して」と言いました。私は「色々な話をしたから…何を話したかなぁ?」と思いだそうとしているうちに“心の架け橋”という言葉が浮かんできたので、それに添って語り合いました。私は、私と三女は母と娘、そして一人の個として生きています。これまで語り合って来たように、心を語り合っていたらどこに居ても共通のことを例え国境を越えても、一年という空白があるとしても語り合えると思うのです。特別な道具は要りません。私達が私達として生きて居たら大丈夫。話をしながら、これからもこのように語れる私を生きたいなぁと改めて思いました。
今日は夕方から外国人の友人と二人で栄方面へ散歩に出ました。家から歩いて約1時間ありましたが、ユニークなGUGを交えて会話を楽しみながらの歩きなので苦になりませんでした。雨が降っていましたが、友人は「シャワー代わり…」と言い傘を使いませんでした。私は(ベトナムの人達と居るみたいだなぁ)と思い嬉しくなりました。 偶然、広小路通りまつりがおこなわれていました。私は日本人で名古屋在住なのでお祭りは当たり前のことですが、外国人の友人は着物姿で太鼓をたたいている人達に見入っていました。屋台の人達は英語を使って私達に話しかけてくれたので会話も楽しみました。 家に帰り着いたのは21時過ぎでした。雨が強くなっていたので二人ともぬれ鼠でしたが、雨に濡れるのも楽しめる私たちなのでした。
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