「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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一昨日夜遅く二人の娘は夜行バスに乗って東京へ帰っていきました。私は夜行バス乗り場まで子どもたちを見送りました。少しの時間共に過ごした外国人の友人も一緒に彼女たちを見送りました。 家族としての生活と、心の友として語り合った日々、そしてこの時間を作ることが出来た自分を大切にしていたら、次は今よりも少し大人になった親として子ども達に会えると思います。 子ども達は「次はどこで会えるかなぁ」と言いました。私は「外国で会えるといいね」と言いました。
今日は子ども達と心友、それから日本へ旅行に来ている外国人の友人と一緒にバッティングセンターへ行きました。子ども達とバッティングへ来るのは2回目で、外国人の友人は初めてです。 今回子ども達は良く打てるようになろうと思ったようで、心友にコツを尋ねていました。私はそれを聞きながら「そう言ってたなぁ〜」と忘れていた自分を思い出して(又取り組もう)と思いました。 外国人の友人は初めての体験を楽しんでいました。どちらの風景も楽しそうでした。 それにしても、、きょうの光景は不思議な感じ。離婚した当初からの“子ども達に会えるようになりたい”は実現し、“英語を使って話せるようになりたい”も実現し…私は今、過去とは違う世界に居るのです。
今日は娘二人と外国人の友人と一緒に内海海岸へ海水浴へ行きました。久しぶりの海でしたが、幸いにも日差しは軽く午後からの出発だったせいか水温も高くてちょうどいい加減でした。 娘たちは砂浜で砂を、海水が上がってくるまで掘っていました。後で足を入れてみると、私の足先がかろうじて届くくらいの穴が掘れていました。海のそばの砂を掘って海水がすぐに出てくることはありましたが、1メートル近くも掘ってそのことを実感したのは初めてでした。知っているけれど体験していなかったことを改めて体験したのです。 また、海では、娘と手をつなぎ仰向けにぷかぷか浮かんでみました。岸ではもう一人の娘とつぶ貝を見つけて遊びました。外国人の友人とは岸を散歩しながらいろいろな話をしました。今日も一日楽しかった〜。
2011年08月13日(土) |
「ありがとう」の気持ち |
そういえば、先日二人の娘と話をしたとき避妊の話になり、私は娘たちに避妊具を渡しました。彼女たちはそれを受け取ってくれたので、外国へ行く前にしておきたかった仕事のひとつが出来たと思いました。私は、素直に肯定してくれた彼女たちにありがとうと言いました。
今朝3番目の娘が家へ到着しました。私は「お帰り」と言いました。 私の方は、自身の今後の予定が少しクリアになったので、二人の娘にそのプランを聞いてもらいました。1時間くらい語り合ったと思います。 私は、今夜語った内容はプラスのことと思っています。しかしその話の終盤、二人の娘は泣きました。私も泣けてきました。その自分も肯定しつつ子ども達には「泣かせてごめんね」と謝りました。 内容はテープに録音しておきました。いつかブログに載せたいと思っています。私は、今夜のように語り合った空間と私の語ったことを心にとめておいて、語ったことが出来る大人を生きようと改めて思いました。 と言っても特別なことはなく、私は“私をする”のです。
先週の日曜日、心友親子と香嵐渓の近くにある巴川というところまで遊びに行きました。最初は川の水でチャプチャプ。最後は水かけごっこ遊びになりました。 二女は途中から私の心友少年と遊び、私は私で心の妹と未来を語り合いました。のどかな景色の中でのんびり。自然はいいですねぇ〜。
数日前、私の外国人の友人と二女は Skype で話をしました。娘はそのとき楽しかったようです。私もその時、楽しんでいる娘を見せてもらうことが出来て嬉しかったです。世界は広くて、私達の知らないことを知っている人がたくさんいて、私ももっと色々なことを知りたいです。いつも探検!
夕刻前から、二女と二人で熱田のイオンまで歩きました。片道1時間半でした。 行き道は、私は英単語の熟語の本を持っていたのでそれを使ってクイズをしたり、又ほかに話をして歩きました。暑かったのですが、楽しかったのです。 帰りも又テクテク。暑さは遠のき歩きやすさもあり、サクサク歩きました。途中で食堂へ寄ってご飯を食べ、それからさらに歩きました。帰り着いた時、時計の針は9時になっていました。 夜、布団に寝転がって話をしました。内容は、身体の話・性の話・もしも彼氏が出来たら? ルックスと性格は何割重視する? お金と心の比重などなど。 気が付くと3時間半も経っていて、それでもまだ語り合いたいけれど寝なくちゃね…という感じで目を閉じたと思います。
今日、私は45歳になりました。いくつかの場所からBirthdayメッセージが届きました。(それらが届くまで、私は自分の誕生日を忘れていて、分かった後にもその日常はいつもと同じように過ぎました) 二女と彼女の友人も、それぞれ彼らの動きをして一日を終えたようでした。そして夜になり、友人は東京へ帰って行きました。私は手紙を一つ準備していました。その理由は、娘の友人のご両親から土産物を頂いていましたが、私は何かお返しをする代わりにちょっとした手紙を書き彼女へ持ち帰ってもらうことにしたかったからです。手紙は娘の友人に渡す前に二女に読んでもらいました。私は二女の世界へ足を踏み入れるのですから彼女の了解が必要と思ったのです。手紙には“二人の女の子は可能性をたっぷり持って生きていて私は彼女達を手伝えるように勉強中です”という内容のことを書いていて、二女はその内容に承諾してくれたので、物質の代わりに心を伝えることが出来たと思っています。 45年目の誕生日の今日、私は二女との接点を持っていましたが、それぞれ自分・個を生きた一日だったようです。
朝6時過ぎ、二女から「着いたよ。どうやっていけばいいの?」と連絡が入りました。娘は出発前に「二人で行くから寝てていいよ」と話していたので私は迎えに行く準備をしていませんでした。夜行バスで疲れているだろうかとか迎えに行った方がいいのかしらとか迷いましたが、「道を聞ける場所を探してみたら?」とだけとりあえず待つことにしました。 1時間くらい後、玄関のベルが鳴りドアを開けると二人がそこに立っていました。名古屋駅から電車を使ってきたそうです。(やっぱり動く力を持っているのだなぁ)と、“待てる親”の練習が出来てよかったと思いました。
彼女達は楽しい予定を持っていて、朝ごはんもそこそこに出かけて行きました。私も仕事へ。私は午後から休みでしたが、子ども達は遊びに行ったまま。私も英語の勉強をしたりグランドへ運動をしに行ったり、自分のことをしました。 朝出がけに約束した分の夕食を簡単に作り、生春巻きが食べたくなったので作りました。普段は自分のために作り、今は子どもが居るけれど、それでも自分のために作っていることが不思議に思えました。子どもが居ても私を主体にしていいということの一場面だったと思います。 料理を作り終えたら20時になっていました。私は生春巻きを食べながら、子ども達が食事を済ませて帰ってきたらどう思うだろう?と自分に問いました。すると、不思議。私は自分のために作ったのだから、それはそれでいいと思えたのです。 30分くらい後、子ども達から連絡が入りました。「ごめん。お菓子でお腹がいっぱい。今から帰ると思うけれど分からない」。私は「OK.楽しんでね!」と伝えました。返事を返した後、夜道のことが気になりました。世の中には楽しみがたくさんあって、そして時には危険な場所もあるということをどのように伝えるといいのかなぁ、というのが私の小さな宿題になりました。
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