「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日もお休み。運動へ行きました。相変わらず体力が少ないです。でもできた分が出来た分なので、いい。そう思うと次はもう少し出来るような気がしてきました。 最近、新しい夢に向かってそのことに時間を多く使っています。実現するといいなぁと心から思います。 出来るかどうかわかりません。でもできるように生きたいのです。なかなか実現しにくいから「夢」と言うのだよとある方からお聞きしましたが夢を持って生きることはいいことだと思います。
今日は日勤。20代のナースから「なぜいつも言葉に注意しているの?」と尋ねられました。私は「私は知らないうちに人を傷つける言葉を使うことがあるから、いつもやさしい言葉を使って語る練習をしているの」と伝えました。彼女は「へぇーっ」と言いました。 休み時間に他の若い女性のケアさんと二人になりました。職員の異動があった為に近々歓送迎会が予定されているので、ケアさんから「行くの?」と尋ねられました。私はその日夜勤明けなので参加することができますし、私も歓迎を受ける人物の一人に入っています。でも私は遠慮させてもらおうと思っています。ケアさんが「どうして?」と言ったので「私は就職した時から毎日歓迎されているからいいのデス。それにその場所で皆が心からの会話をするとは思えていないのです。本当に話をしたい人が居たら直接に声をかけることができるからいいのデス」と言いました。私の職場ではいつも陰口がいっぱいだからです。 ケアさんが「そうですよね。自分の歓迎会の時、皆は他の人の陰口を言っていて、私は気分が悪かった」と言いました。 他にもいくつか、心の話をしました。私は、私の言葉に耳を傾けていただけたことをうれしく思いました。
夜勤明け。申し送りでスタッフが集まった時、責任者が、そこには居ないスタッフのミスについてたまたまそこに居た若いケアさんにしつこく怒りをぶつけました。その様子は本当に痛々しく、ケアさんは泣きそうになり、私の心も痛くなり、私は「もうやめて下さい」と今にも声が出そうになりました。しかしその時は、私がそうすることで責任者の怒りを激しくさせてしまうかもしれないと思い、そのことが終わるのを願うのみでした。 後で暴力の黙認は暴力に加担しているのと同じだった。何かが出来ればよかったと反省しました。私は技術は少ないけれど、年齢や免許の面から見ると、中間クラスなのです。 私は社会の間違いを黙って見ている生き方は違うと思っています。それは、私の子ども達のためにも…。 私に何が出来るかわからないけれど何かが出来る私でありたいです。
今日は「育つ会」でした。3人の方と語り合いました。 人にはそれぞれ、その方の歴史に基づく考え方や価値観があって、私はその方の声をお聞きすることで自分を確認したり考えを深めたりするのに利用させてもらうことができます。楽しいです。 帰りに時計草という花を見ました。なるほど…時計か何かのような面白い形と模様をしていました。
今日は私の誕生日でした。姉や友人からメールをもらって「そう言えばそうだった。。。」と思いだしました。私は44歳になりました。 友人から「どんな特別なことをしたの?」と尋ねられました。私の一日はいつもと楽しい一日を過ごしました。この毎日を365回繰り返すと来年の今日、45歳になれます。
私は何か目標を立てた時、そのことがすぐに出来ないかなぁと、その方法を探そうとします。物事は、考えたり思い浮かべたりしているだけでは同じ状態にとどまったままなのです。本当に取り組んだ分だけ新しいものが出来るのです。どんなこともした分だけ進むのだと思います。近道を探している自分に気付いた時「気付いた私って偉いなぁ」と思いました。 私は生き方の原点に帰って「丁寧に生きる自分」を思い浮かべるとき心から安心します。丁寧に生きたい。一つずつ、一つずつ進めていきます。
今日は休み。朝のうちに銀行へ行きましたが、照りつける日差しが肌に響きました。しかし、この暑さ。ベトナムのことを思えば体感温度が和らぐ感じさえします。そういえば先日バケツの水をひっくり返したような雨が降っているとき、傘を持たない外国人のカップルが濡れながら歩いていました。服がぬれてもいつか渇くのだからいいのですよねぇ。暑いところで暮らし同じように濡れて歩いた一年を思い出して少し懐かしくなりました。 その地でまとめた本を一冊、髪を切ってもらった美容院まで配達しました。 多くの方は本を買う時、その本に対し何かを求めて購入するのだと思いますが、私の本はどなたかが心を見るための材料の一つになればいいなぁと思います。 夕方プールへ行こうと思いましたが、お休みでした。近くの公園に座って風の音を聞きながら自分の将来を思いました。 したいことがあるのです。今その準備をコツコツと楽しんでいます。たぶん10年くらいかかると思います。でも、できたらいいなぁ…。
久しぶりの夜勤明け。昨日はある女性患者さんの部屋へ入ると、その患者さんは「又夜勤?? 身体大丈夫?」と私に尋ねました。その方はお耳が遠いので私は彼女の耳元まで顔を近づけて「大丈夫ですョ。ありがとう」と答えました。彼女は私の頬や背中をなでました。こんな時はその方と心が通い合っているようでうれしくなります。私は「しんどくなったらカンノを呼んでね」と伝えました。一晩起きているのはしんどいけれど、患者さんと触れ合うひと時がたまりません。 無事に夜勤を終えてバスに乗った途端に睡魔に襲われて夢うつつで家に帰りつき、バタンキュー。暑さで目が覚め何かしたいと思いましたが結局何をするともなく時が流れました。つまり、一晩起きていた後にはそれと同じくらいに寝るほうがいいということだと思います。今月は日勤も入っているので体調を維持できるように気を付けます。
夕方髪の毛を切りに行きました。自然に、本の話になりました。そうしたら、お店の方が読みたいと言って下さいました。嬉しかったです。明日は休みなので、久しぶりに本の作業をします。
あっという間の3日間。 姉が待つ場所に着いた時、涙が出てきたのでそのまま泣きました。姉は「大丈夫だよ」と言って私の背中をなでました。 昼、テレビを見ながら声を出して笑いました。その私に姉が「いつもそんなふうに笑いよるの??」と尋ねました。私は「うん。だっておもしろいョ」と言いました。 夜、食卓に並んだご飯は食べる前から美味しそうな顔をしていたので「おいしそうだぁ〜」とふざけて言いました。3歳の姪っ子が笑いました。 布団を敷いた後は布団の上でゴロゴロしながら姉の体に足を乗っけて遊び、夜中に目が覚めた時には姉の体に離れたところに居る姉の布団まで移動して姉の体にくっつきました。姉は気付かずにクークー寝ていました。 時間があるとき、姪っ子の言葉遊びの仲間に入れてもらえました。子どもの言葉は純粋だなぁと思いつつ言葉遊びを楽しみました。 子どもの頃に出来なかったことのひとつ、感じるままにすること。家族に甘えたことがなかった私を甘えさせてあげること。「甘える」はついでにしたことだけれど、感じるままにしていたから、その次にしたいことにも気付けたのだと思います。 姉も看護師をしているので病院事情のような真面目な話もしました。共通の話題があることを嬉しく思いました。 他にいくつかのエピソードを持って昨晩、名古屋行きのバスに乗りました。 名古屋へ戻ってきたら、子どもの一人からメールが来ていました。「母は九州へ帰っていたョ」と書きながら、そう書いている自分を見て、私の人生って面白いなぁと思いました。約8年前に家を出るとき、実家の人とは二度と会わないと決めていたのに、会ってきた。本当に興味深い変化です。
これから夜行バスに乗り、姉の家まで行ってきます。姉に会うのも子どもの頃育った街に帰るのも約10年ぶりです。何が待っているか、ワクワクします。それから、子どもの頃に出来なかったことをさせてあげる予定です。
行ってきま〜す!
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