「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2010年06月02日(水) 道案内

 今日お休み♪
昼前にグランドへ運動をしに行きましたが、今日は暑かった!でも、やっぱり体を動かすことは気持ちいいのです。
慶大を11年季ぶりに優勝に導いたプロ野球出身の監督のことを知りました。生徒の側は優勝する前から監督を胴上げしたいと語っていたそうですが、朝日新聞には選手に胴上げをされている監督の写真が載っていました。
選手がよく育つのにはコーチの影響は大きいそうです。私は、それは職場や家庭においても言えることで、知恵を持っている人がその知恵をプラスに広がるように工夫して広めていくことは、先に大人になったものだから出来る、そして長い時間かけて丁寧に取り組む価値のある仕事だと思いました。
 私もそのことを楽しめるようになりたいですし、少しずつそこへ近づいているような気がしています。
この仕事にあるマニュアルはきっと一つです。心を基準にして、自分の感じたことを大切にして生きること。そうした毎日の中で少しずつ近づいているのだと思います。このように考えると、自分の人生の道案内は自分でしているのですね。


2010年06月01日(火) 楽しみつながり

 今日も明日も休み。2連休に解放感を感じています。
今日は朝早い時間に英語の勉強をしました。それから、家の中をきれいにして布団を干して昼前から自転車で名古屋駅近くのイオンまで走りました。名古屋駅の近くにイオンがあったことを今まで知らなかったので、穴場を発見したようで嬉しかったです。仕事用の靴を買おうと思っていたのですが広告に出ていたのは履き心地が悪く、履き心地の良いものは値段が張りました。傍に居た二人組の女性のうち一人が、値段が高いと躊躇しているもう一人の女性に「高くても履き心地がいいんだったら買った方がいいよ」と言っていました。納得。そして私はまだ履ける靴があるので先延ばしにしました。代わりに傘を買いました。100円傘はすぐに壊れるので少し高くてもいいものを買った方がいいと知った結果なのです。
 午後から公園へ行き一人で壁投げをしました。太陽の下で運動出来ていることも手伝って体も心も喜び、これからはこんな時間が増えるかもしれないと思うと更に嬉しくなりました。
 帰りに図書館へ寄りました。英語の文章を読むとき、文法を知っていると正しく読み取れると知ったので、それに関連する本を借りました。文法は苦手でしたが、一つずつ繰り返し読んでいるとわかってきて、実際にそのことを意識して読んだり書いたりできるようになってくる…ということを少〜し実感できているので、もう少し知りたくなっています。本を数冊借りてきたので、食事の後読みました。
毎日が楽しみの延長で過ぎて、一年という期間はあっという間に過ぎていくのでしょう。


2010年05月31日(月) 利用する楽しみ

 夜勤明け。朝の申し送りでは、私が前日申し送られた内容についてのさらに細いことを責任者に尋ねられ、私は答えられず、ダイレクトな怒りが届く中、私はついにため息をついてしまいました。私は今のところ、申し送られた内容をその通りに次のスタッフに申し送ることで精一杯なのですが、その自分を伝えるまでには行き着きませんでした。そして責任者も、私の伝えたことと違う受け取り方をなさっている部分があり、私達は他者からの情報を、自分の持っているもので判断することがよくあるのだと思いました。私はこの時、自分の伝えたことが違う内容で伝わるのはよくないと思いましたので、すぐに「ごめんなさい。私の伝えたことは、これこれです」ともう一度丁寧に伝えました。
 そもそも、申し送りというものをどういう形で聞き、どういう形でするといいのか、1ヵ月くらい前からの小さな疑問でもあります。フロア内で「あそこへ申し送りに行くのは嫌だ」という声が聞こえてくることがありますし、ロッカールームでは他のフロアの方も同じことを言っています。つまり、伝えたことによって嫌な気持ちになるような申し送りは私達のストレスの元になっていて、少し広がりすぎかもしれませんが、看護師の離職率を上げる原因の一つになっていると思います。何より、この世界には情報を知っているものが優位のような空気があって、変だなぁと心から思います。
 その違和感とは別に、私の伝え方はどうかな?と自分を振り返りました。私も聞き取り違いや伝え間違い、伝え忘れがあり、反省すること多々なのです。
そんな私は今日、知っていることをより少ない時間で簡潔明瞭に伝えられるようになりたい。そのことを練習したいと思いました。とするならば、申し送りの時間はその練習舞台として利用できるよい場所でしょう。
私はさらに、情報をよりよい形で伝えられるように、患者さんのことももっとよく知りたいとさえ思いました。知っていることは優位なこととは違いますが、私の自信になることは確かです。このことは、これまでの経験を思い起こして感じ取ることが出来ます。私は仕事を利用して、よく育つことが出来るのです。
 と、本日の結論を書きながら、私は今またまた新しい世界を感じる予感がしてワクワクしてきちゃったのです。そう言えば、知らないということはこれから知ることが出来るということだと、心の父が折に触れて語っています。私は「知る」ことの面白さを体験したい。この、自分に対する好奇心が、心のファシリテイターとして育つために必要なエキスなのです。こんなことを思いつく私って面白い♪

明日から2連休。何をして遊ぼうかな〜。 


2010年05月30日(日) 自分のため

 今日は夜勤入り。明けの明日は責任者に申し送りをするので少し緊張しています。というのは、私は3月に就職してから度々、情報不足のメンバーが責任者から叱責されている様子を見せられてきたからです。
 けれども、責任という言葉が浮かんだとき何故か心が落ち着きました。どちらにしてもゆっくり眠れそうになかったので早めに仕事へ行き情報収集して安心した方がいいと思いました。ということで行ってこよ〜。


2010年05月29日(土) 出来た分

 仕事。今日は久しぶりに忙しい日でしたが、流れに乗って動いていると新しいことも勉強出来て、その分自信になるのでいいです。
 明日は夜勤。今日OPをした透析患者さんが明日の夜にはどうなっているかなぁと少し気になります。でもどのようであっても、その時出来た分が出来た分だと思います。
 ところで、本日付け朝日新聞で「一年草」と「多年草」の違いを読みました。内容によると、一年草は一度に全てを花芽にしていっせいに花を付けるけれど寿命は一年。多年草は長い時間かけて成長し自分が大きくなって条件が揃うと花の芽になる。つまりせっかく育った自分の体を大切にしながら毎年種を付ける。それぞれは環境に応じた場所で生きているそうです。それから、多年草の中には花芽が出るまでに100年近くかかるものもあるそうなのです。人間はいつも急いで成長しようとするけれど、どちらかに分けるとするならば多年草の側に入ると思いました。自然の観点からみてもその時出来たことが出来たことです。


2010年05月27日(木) 出来たこと

 人事課の方に呼ばれ、所属先の責任者同席して話がありました。内容は「来月から夜勤専属になりますが、あなたの業務はまだ独り立ち出来ていないので、病院としては試用期間を延長するという判断をしました」とのことです。試用期間が延長されても最初に聞いた条件は同じだそうなので何故改めて延長するのか不思議に思いました。そのことを確かめたいと、私の心が言いました。「私は今少し不安になっています。条件は変わらないのに改めて伝えられる理由が何か他にあるのでしょうか?」「特にありませんが、もしこちらの判断が嫌なら考えてもらってもいいということです」。嫌なら辞めてもいいということだと分かりました。私は、条件が変わらないということを確認しメモに残したので、今日のところはそれでいいと思いました。
 この後、責任者は「他に聞きたいことがあったら、病棟のことでもなんでも今聞いておくといいよ」と例を出して言い、私はそのことに関連して感じていたことを一つ語りました。すると人事の方が「それはどこの病院でも同じだよ」と言いました。誰もみな、一般社会を基準にしていることがいけないと私は思うのです。
「私は忙しい時や嫌な気持ちを抱えていると人を傷つける言葉を使ってしまうので、丁寧に話すように意識しています」と私が言うと、人事の方は「でも、みんな言いたいことを自分の胸の内に収めて仕事をしているんだよ」。「すみません、私は自分の気持ちを語っているところです」。責任者が「菅野さんは自分で納得しないと動かないもんね。いつもどうしてだろう?なんでだろうと考えているんでしょう?」と言いました。「私は今まで社会に流されて生きていたので、今は自分を大切にして生きるように練習しているところなんです」責任者はクスッと笑い「でも、流れに乗るという生き方もあるよ」と言いました。「そうですよね。私も流れに乗るのが好きです。ただ、マイナスの流れに乗っていたら、私だけのことなら良いですが、私がもし我慢して働いていたら、私の後から入ってきた人にも我慢させてしまいます。私は、それはいけないと思っています」。お二人は少し黙っていました。

内容が伝わったかどうかわかりませんが、私はある時期から、機会があれば自分が大切にしていることを、時には母と重なる責任者の女性に伝えてみたいと思っていましたので、今日その機会を得たことと、私の言葉に耳を傾けてもらえたことも嬉しく思いました。


2010年05月26日(水) 一般社会

 病棟で購入する本代金の集金がありました。私は個人で購入する金額の分だけ提出しました。私は自分の本が届いたら、他の皆さんにも利用してもらいたいと思っています。自分を大切に出来ていることを嬉しく思いました。
 ケアさんの一人が、親族がなくなった忌引き休暇から戻ってきました。「疲れたけど、49日とかなんとか、まだまだいろいろあると思うと疲れたと言っちゃ怒られるでしょ」私は「ごめんなさい。私はそういうことを一切信じない人なのです。疲れたと言ってもいいよ」と言うと彼は「そう?僕自身も全く信じてないんだよ」。
 夕方、教育委員会を受け持っているナースが「菅野さんはこれからも勉強会に一切出席しないの?」と聞きました。「わかりません…」。私に分かるのは今の現実なのです。そして、私はいずれ勉強したくなると分かっていますが、その私を待ってもらいたいというのが私の気持ちです。
 帰りに「言葉」について思いました。私はどなたかの言葉に影響を受けて何かを引き出し語るように私の言葉も他者の心から何かが引き出されるきっかけになると思うのです。これまでの経験から、社会の言葉は通常マイナスということは分かっているのですから、その中で語っていくのなら今までと同じなのです。
私は、例えば自分を否定されるような言葉が返ってきたとき、それさえも自分のプラスに変わるような返事を伝えることが出来るようになりたいのです。今日は「あの時はこんなふうに言えたなぁ」と昼間の出来事を思い返し、今度はこんなふうに伝えようと次の機会を楽しみにしながら自宅に着きました。


2010年05月25日(火) プラン

 今日は休み。いつもと同じ朝早い時間に目が覚めたので外国の友人にメールを書きました。最近の私のプライベートは英語一色になっています。早く外国へ行けるようになりたいなぁとその日を楽しみにしています。
 午後からグランドへ運動をしに行きました。この頃は家と病院の往復ばかりで運動をしていないので久しぶりに動いて体が喜びました。
考えてみると、入職したての頃は家に帰って来たときには眠たいと思っていましたが、最近では睡眠までの2時間を楽しむことが出来るようになっているので、体も心も慣れてきたのだと思います。
来月からは夜勤だけになって今よりも休みが増える予定なので、運動を上手に取り入れて健康を保てるようにしようと楽しみにしています。


2010年05月24日(月) 基準

 今日は夜勤明け。2回目の昨晩は1回目よりも知っていることが増えている分だけ安心でした。(患者さんには選択の余地がないので申し訳ないのですが…)、人々の命が一晩、私の心の判断にゆだねられていると思うと、心が引き締まりましたし嬉しくもなりました。と言って緊張はなく、時には「することが多すぎる…」とつぶやきながらもこなしていきました。途中で仕事中に写真を撮りました。この写真は成長した私として仕事を始めた最初の1枚になりました。
 80代の男性患者さんは腸が捻じれて便が出なくなる病気を持っていらっしゃるので私はいつも「今日はどんな便が出ましたか?」とお尋ねします。彼はいつも「台湾バナナが一本」と言い、指でそのサイズを知らせて下さいます。私は「これくらい?」と尋ねて、意図的に小さく表現したり大きくしたりして楽しみます。毎回彼のお腹の音を聞いて「元気に動いていますよ」とお伝えして、時には「もうちょっと出たいと言ってるよ」などと冗談も言います。でも本当に、台湾バナナ1本では小さいのでもう少し出るといいなぁと思っているのです。
こんな会話は看護の教科書では学べませんでしたし、ナースの皆さんに申し送っても意味があるとは捉えられないのが現実です。けれど私は、この小さな会話が彼の心によい作用となり自律神経をよい形で動かし、しいては大きなバナナが出ることにつながっていると思っています。
 なごやかな時間を経て朝になり、責任者がくると夜中の空気とは一変しました。あることから怒りを向けられる人が居て、私はその場所に居られなくなりました。何時の時も強い人のストレスは弱い人に向かうと、私自身もそうしてしまわないように気をつけようと改めて思いました。
 
 家に帰ると、未来のことを思いました。
この頃度々、数カ月か一年後か又は数年先の未来のイメージが浮かんでくるのです。私はもう一度外国で暮らしたい。それは今の私の願望ですがきっと実現すると、不思議なほどにそのことに確信を持てている未来予想図です。
行き先は、いろんな角度で見て日本よりも先を歩いているどこかの国です。進んだ国を選ぶことは、私が一人の人として生きることと今よりも成長できること、それから子ども達の親として彼らが望んだときに手伝わせてもらえるような状況の中に身を置いておいておきたい気持ちを満たすことにつながっている。今のところ、全部が叶うと思える、という基準なのです。


2010年05月22日(土) きっかけ

 今日は午後から、救命救急の講座を受けに行きました。この講座は病院指定の任意の講座ですが、私は受けておきたいと思って参加したので自主的なのです。楽しかったですし勉強になりました。社会には自分を向上させる機会が落ちているので上手に見つけると成長の道具として利用することが出来ます。
私の病院でも勉強会が度々あり、それらは全て任意ですが、背景には強制的な空気が漂っています。若くて力の弱い人達がそれらに参加しないとき管理者から言葉の制裁を受けることもあります。ですから、皆さんは嫌だと思いながら受けているのが現状です。
ちなみに私は先日、早く帰りたいという理由で勉強会に出ませんでした。その影響かどうかわかりませんが勉強会の数日後、「これからは勉強会の出欠を記入する」という決まり事が病院全体で出来ました。私は、これではまるで学校の先生が校則を一つ増やして生徒を締めつけているのと同じだと思いました。
 けれども、そんな社会であっても心を大切にして生きているとそれらを上手に利用して成長し、自分により丁寧に生きることが出来ます。それが、社会がよく変わることのきっかけになると思います。


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