「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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昨日の出来事の延長で、病院の周りを案内していただけました。私を案内して下さった方は「昨日怒っちゃったから…」と通りで出会う職員に説明をしていました。私はその言葉を興味深く聞きました。 病院の敷地内には老人健康保健施設がありました。天井から床まで木で出来た、大きくてきれいな施設です。利用者さんは具合が悪くなったら隣の病院へ移って治療を受け、よくなったら又施設へ戻る。おそらく、その流れの繰り返しなのです。どこかで書いたことがありますが、ドーナツの中をぐるぐる回っている、という印象を受けました。このことは、おそらく私の職場だけでなく日本の医療社会全体がそのようになっていると、過去の経験を合わせて思います。 関連する話題ですが、先日、私のフロアで急変して他の場所へ移動した患者さんが亡くなりました。私はその方の受け持ちだったナースから「彼女が枕元に出てきて、“楽になったよ。ありがとう”と言った」と聞きました。彼女の言葉は彼女のものなのでいいのですが、私はその時「楽になったよ」の意味を思いました。私はいつも患者さんの痰が詰まったら吸引をして痰を引く。その後呼吸は楽になるのだからいいことのはずなのだけど、果たしてご本人がそうして生きていることを望んでいらっしゃるかどうか…。私の働く療養科という場所は高齢か寝たきりで意思疎通の図れない方が多く、大体はこちらの判断で処置をさせてもらっています。寝たきりになった時、私ならしてほしくないことをしていることが多々ある、と思っているのは私一人なのでしょうか。いろんな事は、自然の流れの中でも必要なことなのかどうか…。 と言っている私も無意識のうちに社会の流れに乗っていることがありますから、心を基準にして看護をするように意識しています。そして、今の私に出来ることを少しずつしています。 幸いにも、私の受け持ち患者さんは会話が出来る方ばかり。その方達と語り合い、医療のことを少し手伝わせて頂きながら成長するきっかけを得ています。
昨日のこと。私は60歳代のナースの一人に、その方が受け持っている患者さんの処置について尋ねました。けれど彼女は怒っていて…。私は、ナースの怒りは私のせいではないとわかったので黙りましたが、私も怒りを感じました。その後、私がそのことを忘れて仕事をしていたら、そのナースは「さっき言われたことやけど、今日はあの部屋の人が急変して大変やのに、こっちの部屋の人はこれを早くしてと言うてくるし、もうやってられんと思って。ほんとイライラするわ。私はどうせ後3日でやめるし(部署を変わるのです)、もう何でもええわ」と伝えに来ました。私は何も言いませんでした。 そして今日、そのナースが「昨日のことやけど、忙しすぎてイライラしとってん」と言いに来ました。私は自分を振り返って準備OK。「私は丁寧に聞きました。あなたは私に怒りました。私はあなたに何か怒られることを言ったのかなぁと自分を振り返りました。でも、何がいけなかったのか分かりませんでした。ただ怒られて本当に悲しかった」「ごめんごめん。あなたが悪いんじゃないよ。イライラしとってん。ごめんごめん」。その表情は、昨日とは違っていました。私は自分を伝えられたので、その出来事は私の中では終わりになりました。怒りを伝える私の話を聞いてもらえてよかったと思いました。 昼休みは3人のナースと過ごしました。私は電子辞書で遊んでいましたが、他の二人は共通の話題で楽しんでいるようでした。ところが、そのうち一人のナースが部屋を出ていくと、残った一人が出て行ったばかりの人の批判をし始めました。私はそれを聞きたくありませんでした。「ごめんなさい。私は人の陰口を聞くと困るんです。もしも私に、他の人の陰口を言う人がいたら、私も陰でそんなふうに言われているのかなぁと心配になります。それに、たった今同じ話題で笑い合っていたのに、すぐ後にその人のことを悪く言っているのを聞くと…なんというか…信頼という言葉が浮かぶので…。例えば、こんな事があったんだけど、どうしたらいいかなぁ?という話ならいくらもできるんだけど…」。私がそう言うと、そのナースは「そっかそっか。あんたはいい考え持っとる。それがいいわ」と言いました。そしてもう一度「だけど昨日なぁ…あ、ごめんごめん。これでもう終わりにするわな。昨日はほんと大変やったから…」と。昼休みのナースと朝会話したナースは同じ方なのです。二人で少し笑いました。 午後、別の方が「誰か、ある場所に届け物をしてほしい」と言いました。私は手が空いていたのですがその場所を知りません。「行きたいですが、場所が分かれば…」と言うと、その方は地図を書いてくれようとしました。ところが途中で地図を描くのが大変になったそうで「もう、めんどくさい。自分で行った方が早いわ。暇なときに病院の周りを散歩するとかして道くらい覚えといて」と言いました。私が「そんなこと出来ません」ととっさに言ってしまったので、お返しの言葉も受けて嫌な気持ちなりました。 結局別の方が行くことになり、私は手伝いたい心をつぶされた気持ち。「あーあ。私は手伝おうとした為に関係ないことで怒られてしまいました」と独り言を言いました。すると、私に地図を書いてくれようとした方が私の肩をぽんと叩いて恥ずかしそうな顔をしました。それから「今度、天気のいい日にその場所を案内するからね」と、帰るまでに2回言いました。今日もまた、積極的に自分を伝えた日。自分を伝える練習が出来てよかったなぁ〜の本日です。
先日、英語の歌を覚えたいと思ったとき、英語に興味を持っている私の娘が外国のグループの歌をメールで書いてくるのを思い出して、「お勧めがあったら参考程度に教えてもらいたいなぁ」と伝えてみたら、すぐに「We are the world」と他に娘自身の好きなグループ名を書いたメールが届きました。 そういえばそれより前の頃「i-pod」や「i-phone」について尋ねてみた時にも、すぐに説明が届きました。尋ねる前は、子どもに聞いてもいいことかしら?と迷いの気持ちを少し持っていましたが、聞き始めて間もなく、分からないことはそのことを知っている人に尋ねていいし、尋ねる人が娘達の場合は母と子の会話になると分かりました。それから、素直に尋ねられる自分がくすぐったくなりました。 娘から情報を得た「We are the world」。私もさびの部分だけは知っていたのですぐに聴いてみました。 すると、歌に集中している自分の中から不思議な気持ちが沸いてきて、まもなくそれは少女がテレビの中にあこがれの人を見つけて、その世界で楽しむ気持ちだと感じました。もしかしたら、誰もが通るのかもしれない子ども時代の通過点のような、「好きなことを楽しむ空間」のような…。または「個の世界」を楽しんでいるような感覚です。ただ、この世界は心が満たされた状態の子どもでも通る道かどうかはわからないのですが、いずれにしても、過去の不足部分を体験している気持ちなのでした。
仕事は今日から5日間連続勤務なので余力を残せるように働こうと、朝の通勤電車の中で浮かべていたのですが、一日が終わってみると自然にそうなっていました。きっと、感じたままに動いたからです。
休日。4時に目が覚めて二度寝して6時に起床。今日もいい天気です。 まず、日記を入れました。その後、7月から始める「育つ会」のページを作りはじめましたが、思ったよりも時間がかかって目も疲れてきて、何より体が運動モードになったので、グローブを持って外に出ました。 近くのグランドへ行ってみると少年サッカークラブが練習していました。又別の場所も使用中。行き先をバッティングセンターへ、こちらは心の父と行きました。腰を回転させる時の気持ちよさ。素振りをしていないのに、打ったあとの爽快感がいいフォームだよと知らせてくれる事さえありました。 そのあと昼ご飯を食べながら心の話をしました。今日も心を語る自分に安心しました。今は過去よりも良く生きているけれど更に少し良く生きるための知恵をもっとつかみたいと思いました。 しばらく運動していないせいか体が動きたがったので、日暮れ前にもう一度公園へ行きました。でもやっぱり使用中。一度家に帰って再びホームページを微調整。時計は18時を回りました。けれどやっぱり運動したいモード。きっと、パソコン操作が多いので体がサインを出してくれているのだと思いました。 もう辺りが暗くなった後、もう一度近くの公園へ向かいました。公園の少し手前まで行くとナイトゲーム用の照明が点灯しているのが見えました。今度は、野球グループがノックの練習をしていました。 私はしばらく眺めていました。(ボールが転がってきたら…)と思っていたら転がってきた…。「私も一緒に捕らせてもらいたいんですが…」「あ〜、いいですよョ」。よかったよかった。こんなとき、いつも女の子は得だなぁと思うのです。 セカンドの位置で捕って1塁や3塁へ返すというのをしました。それから「GET2」というのもしました。「GET2」というのは、一つの打球でアウトを二つ取ることを言うと思います。以前から何度も説明を聞いていましたが実際にしてみたのは初めてです。してみてやっと、今まで聞いていてことが体で分かりましたョ。 グランドの皆さんは球が飛んでくるとき、両腕を外側に大きく開いてボールを待って、海の波を掬いあげるような体勢をしていました。私も真似をしてゴロ球が捕れました。捕れなかったときは「グローブが反対だよー」などと知らせてもらえました。それでも捕れなかった時はたぶん女の子ちゃん走りだったのだと思います。もうそろそろ終わろうかなあと思っていたら、終わりになりました。気持ちよかった。体の欲求に沿って動いてみてよかったです。 寝る前に、鳩山首相のツイッターをチェックしました。最近政治の話題を読む延長で鳩山さんのつぶやきを見つけたので、私のパソコンのデスクトップに5ミリ四方くらいの彼の顔写真があるのです。(Linkボタンが顔写真になっているのです)。時々、何をつぶやいているかなぁとチェックします。鳩山さんはご自分をフォロー(LINKを貼った)する人全員をご自身もフォローするそうなので、私は個人で動くのが好きなので政治の党に特別の思い入れはないのですが、日本をよくしようと動いている方に、私のプラスのつぶやきに気付いてもらえれば、それはそれでいいなぁと思っているのです。
仕事。先日の私の休み中にフロア内で何かがあったらしく、今日も不満を吐露する話題が続き、人々の性格を血液型で振り分ける方も居ました。私も血液型を尋ねられましたが、「私はたった4つの形に自分を当てはめると、自分がかわいそうだと思う人なのです…」と答えました。 話題は昼休みも続きましたが、人々の会話に耳を澄ませていると最終的には心の負担の部分へ辿り着きました。あるとき発言してみました。「みんな仕事で疲れきっていて、どうしたら本当によくなるかを練るエネルギーがないですよねぇ。余力が残せる形で働けるように環境が整うといいんですよね…」「それはわかるけど、仕事と結婚(しなさいと言われる)と、趣味で始めた武道でさえ周りに攻め込まれてて仕方なくやって、ゲームに逃げてる」。いつも携帯でゲームをしている若い女性ナースが言いました。「外国に行ってみると価値観が変わる」。外国に行ったことのあるシングルマザーのケアさんの意見は私と一致しました。「勉強なんて、もう出来ん」。私よりも年上で胃を痛めているナースは言いました。私は「勉強は、本当は楽しいものなのですよ。きらいにさせられちゃったんですよねぇ」「そうなんだ…」。 話はさらに広がりました。「動けばいいということはわかるけどすぐに内にこもってゲームに逃げちゃう」「できないと思っていることでも、してみると意外に出来ることがありますョ」。私は先日のカンファレンスのとき責任者や他のメンバー数人の前で伝えたことを今日もう一度伝え「あったことをありのまま正しく伝えると、伝えた分だけ伝わって変わっていくと思っています。なので、自分を大切にするのがいい…と気付いたのは40歳を過ぎてからのことです」。ちょうど昼休み終わりました。 今日は人々の語りを黙って聞いているということを超えて、自分を語るということをしてみた日。心を通した会話が出来て、プラスの余韻を残した昼休みでした。
午後、一人のドクターがフロアへやってきました。老人保健施設に入所予約をしていた患者さんの一人が亡くなったという話を聞きました。その患者さんはこの半年間入所できる日を待ちつつ予約費用を支払っていたそうです。でも、亡くなってしまったので施設には入れないのです。待っている間もお金を払わなくてはいけないなんて変だと思いましたが、日本の国のシステムがそのようになっているそうです。私はひどい話だと思ったので「先生、先生はよい資格を一つ持っていて社会を動かす力があると思うから弱い人が楽に生きるのを手伝って下さい」と言ってみました。ドクターは黙っていました。 昨日のブラジル男性の話題も含めて世の中には私の知らない世界がまだまだたくさんあります。よいことも悪いことも合わせて、もっと社会を知りたいと思いました。
帰る時間になりました。昨日は同じ時刻に患者さんが急変したので遅くなり駅まで歩いて帰りましたが、今日は受け持ち患者さんのところへあいさつに行く余裕がありました。「明日は休みなので、また明後日お願いします。今日一日ありがとうございました」。その患者さんはちょうどお熱があったので握手した私の手の冷たさが気持ちいいと言いました。「明日は休み?淋しいわぁ。でも仕方ないね。ゆっくり休んでね。明後日ね」。合わせた手をスリスリ。利用していただけることの喜びがここにもありました。
今日は責任者がお休みで、働く皆さんが自由だったのです。そのせいか、日ごろ言えないと思われる不満の言葉が耳に入り、昼休みになると拍車がかかりました。皆さんの不満はたいてい言葉の問題で、それは私も共感する部分なのですが、私の場合は当事者の居ないところで話をすると楽しくありません。同じ空間に居ることに耐えられなくなったので部屋の外に出ました。 行く場所を探して屋上へ行くと、日系3世のブラジル人男性のケアさんが居ました。彼は日本の永住権を持っていますが、最近お子さんが生まれたので、日本の国籍を取得したいそうです。でも、それには50万円も費用がかかるのですぐには出来ないということでした。私はその値段に驚きました。この社会で、国籍を変える為の書類作りに50万円もかかるとは到底思えませんでした。私がその気持ちを言葉にすると彼は何と言っていいかわからないというように、はにかんだように笑いました。彼の笑顔には、ベッドサイドに立っている時と同じ落ち着きとやさしさがあって心地よく思いました。わずか10分くらいの時間でしたが、いい昼休みを過ごせたなぁと思いました。 そういえば先日の朝日新聞で、ある外国の首相が、指示を受けているある女性と語り合って席を離れた後、その女性のことを批判した言葉を外し忘れたマイクに拾われて支持率急降下という記事が載っていました。言葉の問題において外国でも日本と同じ現実があるということなのでしょう。私は、世界共通の課題なのだと思いました。 私は、他者との関わりの中で自分と違う意見に出会ったり、価値観の違いから違和感を感じたりすることは自然なことだと思います。そして、例えば価値観の違いから生じる違和感や時には不快と感じる気持ちを上手に消化するにはどんな方法があるかなぁと言葉選びを楽しんでいます。それから、最近では、自分に良い形で伝えられるようになるまで自分を待てるようになりました。さらに、もっと瞬時に伝えられるようになりたいと日々アンテナを張っています。 このように意識して過ごしているうちに、ある日「こんなふうに伝えてみよう」と言葉が浮かんでくるので不思議です。時には間違った言い方をしてしまうこともありますが、そんな時は次のステップに利用してきました。一般社会の方法から離れた世界は楽ちんです。今は、前向きな会話の中で仕事が出来るようになるためには、私はどうしたらいいかなぁと、その方法を探しています。
今日もお休みです。数日分の新聞をゆっくり読みました。中に、「政府から、最先端・次世代研究開発支援プログラム(500億円)の公募」案内が出ていました。研究テーマは二つあり、その一つは「健康社会実現のためのライフ・イノベーション」だそうです。私も公募に応募できるかなぁと調べてみると、4年制大学を出て現在研究室に所属している人という条件付き。私には社会がよくなることの一端になりたいという思いがあるのに入口が狭いと思いました。でも大丈夫。私は私に出来ることをして楽しんでいればいいのです。 今日の楽しみはヨモギ採りでした。庄内側の河川敷。天気もよかったのでたくさん人がいました。私はまず、しろつめ草の上に寝転んで広くて青い空を見渡しました。それから、草花が吸っているきれいな空気を、私も体の隅々に届けたくて深呼吸しました。適度な暖かさと草の香りが心地良くて眠ってしまいそうでした。 夜はヨモギの卵とじ。楽しく栄養補給をして心も体も喜びましたョ。
今日はお休み。午前中、地下鉄東別院駅の近くにある女性会館という場所へ行き、会場の予約をしてきました。会場は心を語る場所として利用します。2か月先の予約なので7月からの始まりになります。会館の掲示板に募集要項のポスターを、それから、会員募集のチラシも置かせて頂きました。今まで自宅でしていたことの場所が変わるだけなのですが、新しいことを始める時のように新鮮な気持ちです。 帰りに栄へ寄りました。今、買いたい物が3つあるのですが買い物も優先順位に沿っているので、今日は実際に市場にそれがあることを確認して、見て触れて楽しんで、いつか私のものになる日を楽しみにしてそれらとお別れしました。 午後はのんびりタイム。最近の動きを振り返りました。心の安定は次の発想につながります。又、楽しみの中で生きていると、楽しみを先延ばしにすることも出来ます。それも流れの中で自然にそう出来るようです。 夜、久しぶりに英語の勉強をしました。少し話がそれますが、私は最近、小鳥のようにきれいな声のアメリカ英語を聞けるホームページを見つけたので毎日のように聞いています。そのせいか、ほんの少しだけど前よりも聞き取りが楽に出来るようになっているみたい。 明日も休みです。明日は少し看護の勉強をする予定でしたが、天気がよさそうなので河川敷にヨモギを取りに行こうかなぁ〜。
帰りの時間。今日はいつも同じ送迎バスに乗るドクターから、私が職場にお願いした時間外手当支給のことについて尋ねられました。私は前回ドクターに声をかけられたとき、安易に彼の質問に答えて傷つけられてしまったので、今日は語れないと伝えました。それからイヤホーンを耳に当てて彼の話を聞くまいとしました。けれども彼は執拗に私に尋ねるので私は不快でなりませんでしたし、彼は途中から怒り始めたので怖くなりました。でも、私は最後まで自分のことを語りませんでした。その代わりに傷つけれらた自分を丁寧に伝えました。それでも聞き出そうとする彼に「私がそのことを話せるようになるのを楽しみにしておいて下さい」と伝えました。実は、この言葉は事前に準備しておいた言葉なのです。私は自分にプラスになる言葉を伝えることが出来たと思いました。 しかし、怒った男の人を前にして頑張った部分があったのでしょう。電車を降りたとき自分が違っていると感じました。私の中から過去の思考が引き出されているようでした。 このことは、最近の私の課題でもありました。私は子どもの頃、大人が怒った時いつも怯えていました。特にその怒りの理由が子どもの私に分からないとき私の思考は死とつながっていました。それで、私は今でも似たような場面に遭ったとき、過去の思考が引き出されるようなのです。 夜、このことをきっかけに本読みをしました。日常の出来事をきっかけに癒やしの作業が出来ることに喜びを感じた夜でした。 それから、「引き出しあう」ということを思いました。私は常に自分以外の何かによる影響を受けています。プラスの影響を受けた時にはプラスの部分が引き出され、マイナスの影響を受けた時にはマイナスの部分が引き出される。きっと、私の中にプラスが多ければ多いほどマイナスの影響を受けずにすむのでしょう。私は出来るだけプラスの影響を受けられる場所で語り合い自分を高めていきたいと思いました。それは、私をよりよく成長させるために私に出来ることの一つです。 また、私は本来プラスで生まれているのですから、マイナスの部分は過去に傷つけられた部分です。それはこれからも続く作業の中で変えていく、こちらも私に出来ることの一つです。さらに、マイナスが小さくなるほど、自然な形でプラスを受け取りやすくなる、ということは体験済みなのです。たのしいですョ。
今日は少々倦怠感。夜勤の疲れが遅れてやってきたのかもしれないし、又栄養不足になっているのかもしれないし、昨日少し遅くまで起きていたこともあり。体力があるからと言って油断してはいけないと反省しました。 仕事では、ベッドサイドで処置をしている時、ちょうどテレビで「中国で刃物男が現れ幼稚園児32人以上が負傷」というニュースが流れました。付き添いをなさっているご家族が「どこの国でも、今の若い人は人の温かさを知らないね。どうしてだろうね」と言いました。私は言葉を探しました。 「今までは、みなさん働くことばかりで一生懸命だったのですよね」「事件を起こす人は子どものころ勉強ばかりしすぎたんだろうか」。私はもう一度言葉を探し「私の経験ですけど、勉強も興味を持った時が最も吸収がいいですョ」と言いました。ご家族は「そうそう。そうだよね」と言いました。私は、仕事中は仕事頭になっていますが、心のことが話題になると嬉しいです。 そんな私も社会に巻き込まれていることがあるので、気付いた時に軌道修正しています。大切なのは心と体の健康です。今日は夕食を丁寧に食べて栄養補給をしてあげました。
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