星 間 旅 行
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トランペットを吹こうとした。でも、ブランクがあるからもう吹けないかもしれないと思った。はじめのうちはがスカスカした音しかでてこなかったが、だんだん吹けるようになった。小学校のころ、ファンファーレバンドで吹いた経験は、体は忘れていなかったのだった。 パートの楽譜が無かったので、欲しいと言うと、テープだけ渡された。自分の耳で音程を確かめて吹けということらしい。
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下の川に身投げした人がいるという噂があった。随分前に起ったことのような気がしたが、覗いてみると、なきがらは岸に横たわっていて、白い布がかぶさっていた。
PS; 夢を思い出そうとして、2日前の夢がやっと定着されてくっきりするような時があります。パンと同じで焼立てだと新鮮だけれども、ある種の浮ついた味のパンを、一晩寝かせると、しっくりした味になるようなものです。夢のほうは、顕在意識によって脚色されてしまった部分があるように思いますが、その方が自分の記憶と仲が良いので、扱いやすい感じです。 上の夢は、思い出そうとすると、二つ同時にイメージがやってきます。顕在意識では扱えきれない情報形態なのでしょうか? トランペット、楽譜が無い、というのは教育TVの「ゆうがたクインテット」の#さん(人形キャラ)の影響大かもしれないです。(自分自身、トランペットは以前やっていたことがあります)しかし、この#さん、声が大澄賢也さんなのですよ。なんか浮いてる感じしない?
様々な年代の人がいる共同体のようなところ。夫が「ブラジャーの研究をしたい」と言ったので、つきあってあげることにした。 小学校6年生の女の子に向かって、私が「ブラジャーをつけはじめたのはいつ、どのような理由からですか?」と聞く。私は、自分はこうだったなあと思い出しはじめた。
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祖父の家にいくと、祖母が出てきた。離婚したはずだったのに寄りがもどったのかなと思ったら、浴室では、祖父の新しい奥さんが体を洗っていた。 祖父の家にいくまでは、道路が破壊され、ズタズタになっていた。
PS;ブラを付けはじめたのは、中学生だったかなあ。大人になるのがイヤで、はじめはシャツと見分けのつかないサポートブラから入りました。自分にとっては、成長することが恐かった。ブラを付けたり、生理になったりすることに嫌悪を覚えました。でも、胸が揺れて乳首が見えるのもイヤだったので、イヤイヤ付けました。親のフォローがなかったせいもあるのかなあ。フリフリレースもかわいいよっていう概念を植え付けてくれたら、もう少し気が楽だったかも。 祖父のことは、母づたいにしか、聞いていないけど、新しい奥さんは、お金目当てで、祖父と一緒になったらしいこと。祖母が若い頃、離婚したくても離婚しなかった理由は、お金がなくては生きて行けないとおもったから我慢して祖父と暮らしていたのだそう。祖母はまだ、慰謝料のことをブツブツ言うが、結局、祖父のまわりにはそういう女性が来るってこと?そうしたら、祖母に、新しい奥さんのことを責める資格はないと思うのだが。「みんなが仲良くしていく道のりは、困難」ってことなのかなあ。
学祭で私の学部主催の展示スペースは、学校一広い面積を占めていた。青っぽい垂れ幕も用意され、ガラス張りのエントランスに調和していた。同じ学部でない人も参加していた。小さいものから大きな物まで、みな様々な作品が運ばれ、ディスプレイに余念がなかった。私も出せばよかったと思いながら、知り合いの姿を探した。それにしても、私の学部がこんなに人気があったなんて、心外だった。
学内を歩いていると、給食の残りもののパンを自由に持って帰れるように置いてあるところが何ケ所もあった。パンの耳だったり、売り物でもおかしくないようなデニッシュだったりした。わたしは、2、3個ビニールに詰めると歩き出した。学内は工事しているところがあって、シートがかかったり、埃っぽかったりした。私が行きたい方向は壊されて前に進めなかった。
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私は美しい体を持っているという自負があった。高い梯子の上に2人で立とうとした。梯子は揺れて倒れた。しりもちをついて地面に叩き付けられたが、だれも振り向かなかった。
2003年11月13日(木) |
アンティークコレクション、クラスメイト |
大学時代のクラスメートはまちゃん(♂)が、趣味が嵩じて、アンティークの輸入販売を始めることになり、私はその仕事を手伝うことになった。はまちゃんはソフト製作会社に勤めており、いわば2足のワラジということになる。メンバーには、たいせー(シャ乱Q)やIさんに似た美少女、などがいた。 パソコンの画面には小山市の地図が描かれていて分割されて色分けされていた。それぞれのエリアに名前を付けていった。 はまちゃんの業績は、古いビンのコレクションが受けて、売れているようだった。今後何を集めていこうかとみんなで話し合った結果、タンタン(キャラクター)がいいのではないかということになった。タンタンがピンとこなかったはまちゃんに、正チャンみたいな・・・と説明してあげた。
PS; 「見たい夢を見る方法」(チャールズ.マックフィー著)という本を読みました。ここで紹介されていたことで印象に残ったのは、夢の中で意識はあるのかという疑問に対して「意識は2元性を持っている。つまり感覚を体験することができる能力であるとともに、その感覚を体験している自分自身を体験する能力でもあるということだ」という文です。明晰夢を見るためには、夢の中で、「夢である」と気づく意識が必要になり、その強靱な意識をつくるためには、今していることを常に意識するということが有効なのだそうです。「意識内容を意識する」ってことなんでしょうが、これをやるのは結構難しいというか、わりと気づかいがいることだと思いました。私はいま、キーボードを打っている自分を意識している、私はいま、トイレにいこうとしている自分を意識している、、、、とこんな風に心の中で意識をチェックしながら生活するということなんです。 これは、ある意味R.シュタイナーの「感覚の小道」の訓練方法にも通じるものがあると思いました。なかなかパワフルなツールだと思います。(結構気をつけてないとすぐ忘れてしまいますが) この本を読んで、いくら自分の夢がリアルだと思っていても明晰夢ではなかったんだと思いました。 それから、「夢見が癒しになる」と言っている人はたくさんいますが、ただ見ただけでは、癒しではなく、自分で、その夢にどんな意味付けをするか、またはどんな夢を見ていくかということが問題になるのではないかと思いました。 悪夢続きじゃ、見る気がしなくなりますよね
いろいろな浄水器を品定めした。蛇口に付くタイプから、独立式のものまでいろいろとある。気に入ったものを持って帰った。
大蛇を連れた夫婦が訪れた。夫は外国人のようだ。この2人は特別な雰囲気を醸し出していて、私は、あたたかいものを感じていた。私達は彼等の娘が結婚したことを知っていた。結婚相手は日本人で、丸刈り頭がちょっと伸びた髪型の、いかつい男だった。 老夫婦は大蛇を連れてきていて、テーブルの上にそれを寝かせた。すると、大蛇は腹を上にむけて気持ちよさそうにしている。まん中あたりに、穴があって、そこが排泄物を出す穴だった。「突然出てくるから気をつけて」と言われた。大蛇のまわりには、縁取りしたようにアイビーが置かれていた。
PS; 浄水器オタクとは、私の父のことです。足りているのに買ってきてしまうので、母は頭を悩ませています。浄水器って、私には、水がキレイになって、ニオイが取れるまでしかわからないので迷います。高いのは果てしなく高いし。(波動水とかもよくわかりません)結果、私はトレビーノですが。ブリタ、母がいらないというので実家からもらってきました。やっぱりわかりません。トレビーノで浄水して、ブリタに入れたりして意味不明な使い方をしています。入院したり、寮だったり、自分の部屋に水道の蛇口がない人にはいいかも・・・。ドイツ製ということで、日付けメモリーのケースはいいけど、大きさは中途半端で、冷蔵庫に入れにくいです。私には必要ないかもです。
自分では、乗馬の練習だと思っていたのだが、何かに乗って速く走る訓練のようなものの夢。 その乗り物に乗るには、様々な装備をしなくては乗れないので、いろいろなものを身につけているが、なかなか進まない。仲間たちは、つぎつぎに更衣室を出て、練習を始めているというのに。ちらっと見ると、仲間達は、けっこういい加減に、装備をはしょっていた。わたしは腰に巻く、タレ(剣道の防具)みたいなものを付けようとしているのだが、なかなかみつからない。 全体練習が始まった。 グループ分けをして、リレーで競い合う。私はスキーの板を履いて、走ることができないのだが、それが無理なら靴でも走っていいとされた。そして靴の裏にはローラーブレードのタイヤが付いていたので、走ることは、無理無くできた。
PS; 自分がこうあるべきと考えることはかならずしもそうではないのかもしれない。
2003年11月07日(金) |
竜安寺のポップな波形 |
竜安寺の石庭を眺めている。白い砂利は、いつもと違ってポップな波模様になっていた。それを眺めているのは1階の席だけでなく、2階でも眺めている人たちがいた。
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引越しして、トイレにウォッシュレットを取り付けることになった。温便座やビデももちろんついているが、うれしいのは、子供用の補助便座も蝶番で上に付いていたことだった。しかし、現便器にうまくはまらない。あとほんの少しなのになあ。 引越し後の家は、少し古い家のようだ。よく見ると、まん中の柱にコゲ跡のようなものがあった。
PS; ひさびさにトイレネタの夢を見ました。これは、ほとんど願望です。温便座は欲しいけど、別に無くても困らないので、購入には至っていません。それで、この夢を見たあと、11ヶ月の娘が補助便座(これは後付けのもの)で、はじめてウンチができたのです!っても、べつに夢との関連はないような気がします。
中学校のあった場所が、ゴンドラ乗り場のある遊園地になっていた。 子を背負いながら、おなじような母親たちと階段を登っていく。息を切らしながら登りきると、展望台のようなところにきた。 眼下には畑や家が小さく見える。飛行機の上から眺めているくらいの高さだった。 ここでの昼食は、支払った代金に含まれていて、指定されたレストランがあったが、そこは味がよくないというので、もう1階上にある店に変えることにした。店の名は「Hertz」だった。
PS; なにかハートに関して、注目すべきことがあるのでしょうか?最近、わが子のことを邪険にしてしまうことがあったので、反省です。1日中、ぐずりながらまとわりつかれるのって、ほんと気が滅入る時があるんです。決して、愛情がなくなったというわけではないのですが、疲れます。
助手席。ものすごい勢いの車の中、目的の場所はすぐそこなので、このままだと急ブレーキで事故る。めまいのような感覚。
私はメーカーの広報担当で、デザイナーとして撮影の立ち会いに来ていた。人形と2人の女性モデルを撮るもので、モデルの女性は、そういう撮影に際したプロで、スタイリストも兼ねていた。1カット目で、撮ったものは、あまりいいできではなかった。それは、2人にも、私の目にもにも明らかだった。2人は進んで、別カットを撮るように言ってきた。 わたしも、1カット目のクオリティーで社に戻れば、NGになると思っていたので、どのようなアングルで撮ろうか、アイデアを考えはじめたが、思い付かない。2人は勝手に洋服を着替えたりして、こんなのはどう?というふうにアイデアを練っている。 片方の女性が、インドふうの衣装を着た上にGジャンを着ようとした。私は「そういうスタイルもありだが、少し古くさいかも」と思った。そして、彼女はやっぱりやめたようだった。もう片方の人は、色の紙を組み合わせて、小道具として使うようだった。わたしはなるほどと感心した。たくさんの色チップを組み合わせていろいろな色を出している。そうすれば、画面の雰囲気を簡単に統一することができるからだ。 それを見ながら、自分はなんて無力なのだろうと思った。 向こうのほうから、訪問者が1人来たようだった。 それは私の祖父だった。顔に銀の粉を塗ったように、顔が灰色だった。しかも、背が高く、いつもの祖父よりもいくぶん若いような気がした。彼は印鑑を手に持ち、「だんだん(自分の)まわりが騒がしくなってきた」と言った。彼は(実生活で)30才年下の女性と再婚したので、私はそのことを言っているのだと思った。 祖父は撮影のモデル兼スタイリストを援助するという。
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