星 間 旅 行
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目が覚めて、時計を見るとAM3:00だった。まだまだ眠れると思い、夢の続きを見ることにした。 小学校の前から、バスに乗った。いつもここのバス停にはたくさんのバスがくるが、わたしの最寄りのバス停にはたいがい止まる。なので、行き先を見ずに乗ったら、それは、わたしの最寄りのバス停には止まらない「湯布院」行きだった。見知らぬ曲り角を曲がって、だんだん山の中に入っていく。運転手に、間違えた旨を告げると、次ぎの停留所で乗り換えるように言われた。内心、乗った時に、「〜行きです」とアナウンスしなかった運転手のせいだと思った。今度乗る時は、電源タップ2つを持って乗ったほうがいいと言われた。 停留所を降りると、近くの住宅に向かった。ここで、タップを探すつもりだった。窓を開けると山の斜面が見えた。この建物は、窪地に建っているらしい。部屋を回っていくと、窓が一つなかったり、ドアがなくなっていたりして廃屋のようだ。しかし、突然、水の音がして、風呂に水が溜まりはじめた。この家は人がいなくても自動装置だけは作動して、毎日動いているようだった。気味の悪さを感じながらも、部屋を見て回る。洗濯機も動いていたが、ホースから水が漏れて、壁に吹き付けていた。それも、止めた。いろいろなコンセントを見て回るが、電気製品はみんな壁と直につながって、コードを使用していなかったので、タップが見つからない。 そして目が覚めると寝坊していた。
PS; 夢の中で夢を見ていました。AM3:00といっても、もう部屋は明るかったので、明らかに現実とは違ったと思います。でも、夢だと疑問を持つべき所で疑問が生まれないのですよね。よく、明晰夢かどうかを確かめるために、つじつまが合って無いか、手があるかどうかをチェックする、などと本には書いてありますが、そんな能動的な気持ちにならないものだと思うのですが。 太陽の嵐の影響、結構あります。イライラしたり、胸騒ぎみたいな動悸がしたり、通販カタログを異常な集中力で見たり、普段欲しくないものが欲しくなったりで、しんどいです。いつ、終わるんだろう。情緒不安定ぎみで、いつも大声でどなっている上の階の住人が、ここのところまた症状が悪化しています。(うるさくてたまらんです)ハーモニック・コンコーダンスはまだだと思うのですが、助走期間?のようで、体は反応しているのでしょうか?この太陽の明るさと季節にそぐわない暖かさ、やっぱりそうなのかな?
2003年10月30日(木) |
急いで住所録を書き換え |
住所録を新しいものに数人がかりで書き換えている。上司がチェックにくる時刻が刻々と迫っており、みんな必死でペンを動かしているのだがなかなか進まない。 嵐とともにびしょ濡れになった上司が全裸で入ってきた。長髪を振り乱し、カニ腹をもつ筋肉質の体は白くて少し透けていた。みんなの仕事が進んでいないのを見ると鬼の形相となって、また来ると言い残して出ていった。 住所録の書き換えメンバーの中にH君がいたが、私は彼に思いを寄せていると同時に仕事では競争していた。どうやら、彼の方がすこし、作業が速かったらしい。
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イラストレーターのSさんが、この銀行のヨコ位置看板を作ってくれた。「SCSIはここ!BANKはここ!」というコピーで、(意味不明)少女が横向きで走っており、そのまわりは光りのシールドで、他のものをよせつけないというようなマンガちっくなイラストだった。その隣には社員らしき人の実写の笑顔が印刷されていた。 H君はこの看板に対して、言葉にはしなかったが感謝の念を抱いていたようだった。
PS; 最近、初恋のH君を実名で検索にかけてみたところ、以前は引っ掛からなかったのに1件だけ引っ掛かりました。化学系の発表会に同姓同名の名前があったのですが、所属している組織とその所在地から、もしかしたら本人かも・・・と思っています。そしたら、無性に会ってみたくなったのですが、もう15年以上前の事なので、あまりにもギャップがありすぎるような気がします。せめて、夢の中で会えたらと思ったら会えました。でも実際、彼はどんな暮らしをしているんだろうと思うと、想像するだけでも楽しいです。私は・・・あれから高校入学して、浪人して、大学へ行って、就職して、結婚して、子供がいます。きっと、今の私になんて、彼は興味がないだろうなあ〜。でも、どうして、こんなに気になるんだろう。私が気になっているってことは、彼も時々、私のことを思い出しているのだろうか?夢の世界では、繋がっていると思うので、きっと思いは届いているのかもしれません。 「元気ですか?あれからどうしてる?今度会いたいね。」
家具の見本市に、親のやっている会社が出品しているというので、見に行った。外国の都市でマイナーな地下鉄の駅近く。親のブースは他の人たちと離れた、別のビルの1Fで広めだった。メイン会場と少し離れているということもあり、人もまばらで、手伝いにきた親戚の人などがいて、客よりスタッフの方が多いようだった。 作品は、日本趣味なテイストを入れていて、部屋全体も、日本文化がちりばめられたようなものだった。仏壇や掛け軸がかかっていて、私の目からはセンスがいいとは言えなかった。でも、この国では日本趣味が人気を得ており、その国から見たアレンジをしているのだと思った。 父に場所が悪い事を言うと、クレームを入れに行ってくるというのでついて行った。見本市の事務局はそのビルの上にある。エレベーターに乗った。エレベーターは近未来的なデザインのわりには、うすっぺらで、隙間風がビュービュー入ってきて、振動がものすごく、恐怖を覚えた。同乗したこの国らしき人がアドバイスをしてくれるが、どうにも要領を得なかった。 ビルの上階のほうには、他の知り合いもブースを出していた。 ミカさんは、やり手の若手家具デザイナーだ。高卒で、いろんな仕事をしながら、ここまでやるようになってきた。父を見るとミカさんは、懐かしそうにハグしてきた。とてもセンスがよい空間を作り上げていた。 ミカさんの隣は、お座敷きのセットアップをいかに速くするかという商品の展示で、貧相なおばさんがやっていた。ボタンを押すと壁の下の方が開いて、敷物が飛び出し、あっという間に部屋の準備が整うというもの。よくみるとほころびたところなどがあり、展示としてはイマイチ。 向こうのほうで、宴会らしきものが始まった。日本舞踊を踊っている人たちがいて、遠巻きにミカさんたちとそれを眺めていた。
PS: 夢を思い出せる時と、そうでない時がありますが、ある一つのキービジュアルが引き金になって、すべてではないにせよ、ストーリーを引き出せる時があります。今回は「日本舞踊」でした。 夢シンボルのエレベーターが出てきましたが、上昇しているので、いい方にとっておきます。夢判断て、確証が持てないので、どうも苦手です。
2003年10月25日(土) |
コバルトブルーの生き物 |
ひとつの部屋の壁を装飾するという課題があった。私がどうしようかと思っていると、スキンヘッドの相棒がイゴを「連れてこい」と言った。わたしの(夢の中の)記憶では、イゴはカメレオンのような動物で、色に関連しており、見かけはイグアナのようなものだと思った。探すのに時間がかかっていると、相棒がイゴを抱きかかえて戻ってきた。記憶に反して、それはコバルトブルーの体色をしており、小さな草食恐竜のようだった。イゴを部屋に放つと、色が広がり始めた。イゴが絵の具のチューブを踏みつぶすことによって、抽象絵画ができあがるのだ。イゴのパワーはすさまじく、部屋が揺れるほどだ。わたしのペットの犬がそれにまきこまれて吹っ飛んだ。 相棒が部屋の装飾の方法のお手本を見せてくれることになった。相棒はスプレーと筆を使って、絵を描き始めた。彼の腕が流れるようにスプレーを噴く。そして、筆でその輪郭をとる。それらささいな筆やスプレーのタッチが生かされて、ひとつの形として定着される。気がつくとそれらは精巧な風景画になっていた。まるでリアリズムの油絵のようだ。すこし霧がかったようなタッチで、湿った森の中が表現されていた。大木の根元を見るとそこに集まる昆虫までもが描かれている。しかし、わたしは、はっと気がついた。そこには、生命力が無かったのだ。 相棒は自分の技術力を自認しながらも、やはり至らない点も認めていて、それを越えて欲しくて、私に見本を見せているのだった。
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ビルの最上階には、球のモニュメントが配置されていて、それを何人かが取り巻いていた。みんなが、何かに合意した。すると、眼下に広がる地上にいる人間の中に危険なものが埋め込まれたようだった。 そこにいるみんなは予想外の結果に、困惑したようだった。それは、あの背の低い、邪悪な人物の意図によるものだったようだ。 邪悪な人物に私達の中から決闘を申し込んだ人がいた。それは、邪悪な人物の血縁関係がある一族の人々だった。 私達はその決闘を見守ることになった。見学者もその弾丸を受けかねない危険なものだった。 弾丸の衝撃を感じながらも、決闘を見守る私達。頭をかすったりした人がいたが、死人は出なかった。
タンゴの練習は大変だ。かかとが高い靴に慣れていない上に回転したりするからだ。
PS: 子の夜泣きと寝相の悪さで、目覚めがイマイチです。首がいたいよう。
自動車メーカーのデザイン部に中途採用される。1日遅れで、クラスメイトだった留mちゃんも、別の車のプロジェクトに採用されていた。通りがかりに他のプロジェクトの様子も分かるので観察していると、留美ちゃんはなかなかやり手らしく、採用2日目で、意見が採用され、広告デザインにいろいろと注文をつけているところだった。ここをこうしてと言うと、その道に熟達した技術者がきてフォルムを整えていく。それがもう見事で羨ましかった。 会社の帰り、まだ道がよくわからない私は、会社の中で迷ってしまった。会社のなかには様々な工場があり、自動車は、できあがりは華やかだが、それまではいろいろな行程があることを思い知らされた。あるエリアでは、仕事の合間に店を出している社員もいた。それが、スラムのようにごちゃごちゃした感じで、ちょっと入りにくい感じで、恐かった。雨が降り出してきてしまい、困っているとだれかが、出口への道を教えてくれた。出口の方では、部の上司が自慢の愛車で帰宅するところだった。
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自動車ディーラーにつとめている先輩のところへ行く。それはSG会の打ち合わせのためだった。また今度セミナーをやるんだろう。お決まりのことだからしょうがない、かったるいけど出ようという気持ちだった。でも、私はもうSG会は退会していた。それを、先輩たちは知らない。知らないけど、誘ってくるので行くが、先輩たちにとっては、入会していようが退会していようが、慈悲の行動に照らしてみればどっちでもいいのだろう。 ディーラーは人がたくさん勤めていて、どんな客でも場所を提供してくれるので、こういう宗教の会合もできるというわけである。 事務所は雑然としていて、みんな忙しそうに働いていた。目のまえにいた営業マンの思念が伝わってきた。「お客さんの希望に合った買物にしてみせる。絶対、払うお金以上の良さをわかってもらう」彼の思っている事は、自分の提供するサービスのことであろうか?とりあえずは共感が持てた。
教室で、授業を受けていた。その授業は、推理しながら答えを出すことを訓練する授業だった。先生がすべてを教える前から、問題を解いて、全部の答えを畳み掛けるように発表した人がいた。問題は、数式なども含まれた算数のようなもので、長いストーリーと組み合わさっていた。 私は、とてもじゃないけど真似できないなあと思った。推理だから、「答えが違う場合だってある」という可能性も含んで、問題を解かなければならない。一体どのように解いていけばいいのかわからなかった。
PS: 私は、この現実そのものを、そう捕らえているってことでしょうか?困惑?困惑しようがどうしようが、現実は現実だからしょうがないですよね。でも、その困惑を押さえ付けることも違うことなので、どうしたらいいんだろう。ってやっぱ困惑?
駅前の古めのマンションに引越しした。 10階くらいの高さで、窓からは駅前のビルが並んでいるのが見えた。ドアも手垢が付いていたので、洗剤をつけてゴシゴシこすった。この部屋は前にはカルチャーセンターの一室に使われていたようだった。講師名とコース名などが書かれていたのでそれも消した。 部屋を見渡すと、わりと広かった。ふすまの向こうには和室があって・・・。タオルケットや靴下の片方などが落ちていた。え?もしかして、これって夜逃げした部屋なのかしら?と思った。ずっと奥の方に目をやると布団が敷かれていた。夜逃げではない。人が住んでいるようだった。隣との境はふすまだったのだ。古いといっても隣人とふすまで仕切られた部屋なんて、明治時代の書生のようだなあと思った。 良く見ると隣のふすまの向こうは高校生の兄弟2人が暮らしているようだった。狭い所に机が2つならんでいて、コタツの上には黄色のiマックが置かれていた。夜2人が帰ってきた。縞々の野球ユニフォームを着てバットを担いでいた。彼等のイビキはうるさく、体臭が臭くてたまらなかった。 あっちのふすまの向こうには3人の家族がいるようだった。私達が夜、眠ろうとしたら、その部屋はその家族の部屋だったらしく、気が付いて、部屋を変えた。 私たち以外の部屋は南を向いていて布団が干せるが、うちは北側で、西向きの窓が一ケ所あるだけだった。これでは洗濯物もかわかない。いつか彼等に場所を貸してもらわなくてはと考えていた。東のほうにいくとテラスと出口のようになっていて、そこから外のビルとエレベータが見えた。私はそこのくもりガラスを半分だけ手前に引いた。
PS: 他にもうひとつ見たのだけど、忘れました。
2003年10月18日(土) |
牛乳でバケツリレー 他 |
文化祭のショーで、T(元彼)とカラオケで出る事になった。彼は企画しながら、私の裏方でいろいろとやる役目だった。当日は、ドレスなど、衣装も用意した。出番を客席で待っていて、リハーサルかな?と思っていると彼が曲を流して歌いだしてしまった。ヤバい。私があそこに立っているハズなのだ。焦って舞台スソに走っていくが、ドレスが重くて走れない。恥ずかしかった。 友達夫婦は、奥さんが同じように歌で出場することになっていて、ワイヤーで中吊りのアクションもやるようで、イロイロと用意をしていた。 他の出し物は、ペナルティーグループの女子たちが、体操着で出てきて、牛乳リレーをするというものだった。それは牛乳の入ったバケツを順に送って速さを競うというものだった。白い液体がバシャバシャ辺りに飛び散った。
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家に帰ると、誰もいないはずなのに3つのコンロすべてに火が着いていて、とても危険だった。じつは、留守だと思っていたのは思い込みで、妹のダンナがたまたま帰ってきていたのだった。妹のダンナは中田ヒデだった。彼は世界中を飛び回っていて、多忙だ。だから、家にふらっと帰ってきてもおかしくはなかった。私は、中田ヒデが義弟だということに誇りを感じつつも、多忙のあまり、会った事はなく、彼が家族だということに気持ちはすっきりしていなかった。
PS; 朝おきると、カーテンのかかってない窓にプラーナが見えました。半年前くらいにも見た現象なのですが、それよりももっと細かくてぎっしりしたプラーナでした。目覚めて、目はあけているのに、アストラル体が肉体に戻るのが遅れるとこういう現象が起るような気がします。なんだか、頭痛と耳鳴りがここ2日ほどあります。電磁波を感じ過ぎでしょうか?11/8にハーモニックコンコーダンスがあるとのことなので、それまでちょっと注意して夢日記を付けたいと思います。
2003年10月16日(木) |
ビルの中で暮らす王族 |
高層ビルのある何フロアーかがその王族の暮らしている場所だ。外から見れば単なるビルだが、内装は王族らしく重厚に作られていた。わたしは、使用人として勤めていた。王は60代くらいで背の高い痩せた男で、王妃は30代くらいの若い女だ。何かの理由で、国から亡命してきたらしい。 王は一風変わった人らしく、徘徊癖があり、あまり家にいない。王妃は最近妊娠したらしく、床に臥せってばかりだ。 エレベータを降りると2人のインド人ぽい客の泊まっている部屋だった。起きたばかりらしく、機嫌が悪かった。そこへ、王妃が一人でやってきて、客の接待を始めた。王妃は彼等とどんな関係があるのだろう。私には知るすべもない。 またエレベータを降りるとそこは王と王妃の部屋だった。(このエレベーターは私の意志とは無関係のところで止まるのだ。)王は不在だった。王妃は、奥の方にいるようだった。
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パソコン画面の文章を読んでいる。
あつしです。 今日わかったのですが、色がかわりましたね。 またその色についての詳しくはあとで。 それぞれにという感じですが。
地球全体が変わったらしい。わたしには顕著にはわからなかったが、自分の中で微々たるシフトが進んでいるのは感じていた。
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船で渦潮を見に行った。次の日は、その船着き場で、売り子のバイトだった。襟につけるオレンジの縞模様の蝶ネクタイがたくさんあったが、どれもボロボロで付けるのに一苦労だった。
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