diary
DiaryINDEX|past|will
出無精のくせに 急に思い立って、何処かに行きたくなることがある。 特に、春のこんな日には。
そんな私の気紛れを 小さかった子供達は、まるでイベントのように喜んでくれた。 私もそれが嬉しくて、子供達が喜ぶような所に行ったりもした。
子供達は私の喜びを、私は子供達の喜びを 自分のことのように と言うよりも、むしろ 自分の喜びそのものとして感じていたのだろう。
今ではもう、何処へ誘おうと 「行って来ていいよ」と言われてしまう。 「あーあー、イタリアに行きたいなぁ」と言っても 「行ってくれば?」で終わる。
いつの間にか 私の喜びを自分の喜びと感じなくなった彼らは成長したのだ。 もう、彼らのお楽しみワールドには、私の存在はない。
無事に育ってくれて良かった。
あとは、自分の成長を促すしかない。
先日の不幸の手紙(授業料の納付書)に始まって この時期は「払え!」の手紙がめじろ押しだ。
私は、口座振替が嫌いなので 健康保険料も年金も自動車税も この時期に、次々次々、これでもか!と納付書が到着する。 コンビニで払えるものが増えたので便利だが 喜んで払いますというほどの愛国者でもない。
しかし。 国民年金の支払いを怠っている人が、それほど多いとは知らなかった。 会社に勤めたこともなく、サラリーマンの妻でもなかった私は ずっとずっと『国民年金』の保険料を支払っている。 何故か?
義務だと思っていたからだ。 義務というのは「しなければならないこと」で かつ「そうするのが当たり前」だと思っていたからだ。
厚生年金の被保険者になる予定もなく サラリーマンの妻になる予定もない私にとって 国民年金というのは、とにかく『義務』だったのだ。 きっと今でも『義務』だろうが。。
その義務が頼りなく、将来どれだけ信用できるかわからないと 疑わなかったわけではない。
頼りない『義務』だけでは心配なので 大した額ではないが、民間生保の「個人年金」にも入っている。 ときどき「国民年金基金」などのご案内を頂くが もうこれ以上は『無』・『理』だ。 経済的にできない上、文字どおり『理』の無いことなのだ。
だから。 小泉さんもテレビのキャスターも もうこれ以上、小心者を心配させないで欲しい。
ホームベーカリーでパンを焼くようになって いつの間にか 朝食用にセットするのは、あやぽんの役目になっている。
今日は、「おやすみ」と言った後で 「あ、パン作ってないや。。」と、キッチンに戻ってセット。
それを聞いたかずぴー、しばらく笑い転げる。
「パン作ってないや」「ぱんつくってないや」「パンツ・・・」 ・・・あー、そういうこと、と私も気付いたが わざわざパン作りのために、眠いところを戻って来たあやぽんが そんなことで気を悪くするといけないので、目線で彼を制するも 彼の笑いは止まらず。しつこいぐらいに笑う。
「かずぴーって、ほんっっと、下らないね!」 と言い捨て、任務を終えたあやぽんは寝室に消えた。
どちらの気持ちもわかります。
|