ひとりごと日記
昔からひとりごとの声がデカすぎると周りに迷惑掛けてます。

2008年04月04日(金) 春が来た

暮らしの哲学
という本を買ってみました。
癌で急死された、晶子さんが最後の一年に綴られた本です。

最初の春のページに書かれている事に感銘を受けて購入。

なんとなく気持ちが理解していた、感じていた事が、文章になり的確に表現
されていると、納得する。



2008年01月21日(月) もう

そろそろ…だよね

声が聞きたかったんだけど

途切れるメール

不安な気持ち、哀しい気持ち

いらない想像、あてのない希望

楽しかった過去、失いたいたくない気持ち

いろんな心を抱えて、朝まで遠い夜を過ごす

やさしい心と、おもいやりの気持ちを

取り戻せたら、それで

ほんとはそれでいいのかも知れない



2008年01月13日(日) 生まれた日

先週の話だが、奈良の長谷寺へ出かけた。
とても暖かくて穏やかな、いい日だった。
やっばり独りよりは二人がいい。
今年も、穏やかに平凡に過ぎますように。
そして、どこかへ辿りつけますように。それが自分が望んでいる場所なら
最高ですが…

昨日は誕生日だったようだ。
花を代え、オヤジに酒を母にリンゴを、おじいちゃんおばあちゃんには、饅頭を
供えた。喜んでくれるかな。こんな事しか、感謝の気持ちを形にはできない。

メール
学生時代の彼女から、友人から、そして大切な人から。
覚えててくれてありがとう。

この歳になると、本人すら覚えいない時もあるのだから。
ただ、それは生んでくれた人に悪い。悪すぎる。
周りにいる家族は、すっかり忘れている人も居るようだ。
それはいい。忘れてくれている方が、後で思い出されるよりいい。
独りで誕生日を、祈りをささげて過ごした。穏やかなご生誕の日だ。
外は北風か強く寒い。

生まれた朝はとても寒く雪が降ってたと、母に教えてもらった。
祖父があわてて、俺のために新しい火鉢を買ってきたとのだ。
その火鉢は、父と母が2度目の引越しをする時まで現役だった。
たぶん、生まれた家を売っていなければ、今も現役だったかもしれない。
朱色の火鉢。

祖父はそこの火でよく、キセル煙草に火をつけて、三口吸ってはポンポンと
火種を落としていた。

不思議に小さな頃の記憶は鮮明に覚えている。

やれやれ、そういう歳になってきたか。



2008年01月05日(土) 新年

あけてたのでおめでとうございます。

今年の三が日はどこにも出かけずに、ただひたすら、おとなしくしてた。
動くと混むし、お金も使う。微力ながら世の中の渋滞を減らす努力をしてみました^^。
んなわけで、初詣にもまだ出かけてないのだ。
信心深くないね。
例によって新年があけてから、新たな気持ちで年賀状を書き、今頃投函しているのも通年の慣わしである。
それ以外にした事といえば、駅伝を見た事(これも毎年の事ではあるが)、DVDを鑑賞した事、と、我が家には珍しく、ホント珍しくTVの電源がつけっぱなしであった。

今年は特に目標というものを立てず、でたとこ勝負の年である。
ただの、怠け者という声も聞こえてはくるが。

宝くじは、例によって外れた。
紅白は良かったな…
あれそれ以外にホント何もしていない、何も感じない年明けであった。

どんな事が待っているのか
どんな奇跡が起こるのか

楽しみなようで怖い一年ではある。









2007年12月31日(月) 年の瀬

今年は年賀状も用意しなきゃね。
今頃かいっ!…??^^;

哲学の道
東大寺
あじさい寺
駒ケ岳千畳敷カール
京都西山
おわら風の盆
セントレア国際空港
郡上八幡
高山
飛騨古川
関宿
二見

夕日が浜温泉

地味だけど、いろんな場所に行けた事、感謝。






2007年11月28日(水) 紅葉

人にまぎれて、紅葉を楽しみに行って来た。
「バカヤロー、どんだけ来よんねん」と地元の人に言われるくらい
押し寄せた京都へ。

でも行ったのは、嵐山でも東山でも高雄でもない。

ひともまばらな静かなお寺、神社を4箇所回ってきた。
息を呑むほどの美しさで、しばし時を、すべてを忘れシャッターを切り続けた。
おみやげ物屋さんも、京都らしい食事も、喧騒もない。
京都の観光風情としては、ちょっと物足りないかも知れないくらいの京都。
でもいい。

本堂の廊下に座り700年前に歌人がみたであろうもみじを、静かにみる。
その頃、そこにあるもみじや銀杏はまだほんの100年の歴史しかなく、
今の大きな大木にはなってなかったハズではあるが。

ちょっと京都というイメージではなかったけど良かったこれで?
うん、満足。凄い綺麗だったもん。

傍らで笑顔でうなずいてくれた人
その笑顔が紅葉に照らせて綺麗に見えた。




2007年10月18日(木) 1年経っても

まだ泣ける
今はどこにいるのかな。

楽しい場所や行った事のない土地に、ふらっと遊びに行ってるのかな
それとも、近くでいつもハラハラドキドキさせてるのかな

なるべく思い出したくないのも事実
でも、1年過ぎてもまだ涙が出てくるよ

もし今ここに母が元気で居てくれたなら、思いっきり好きな物を食べさせて
思いっきり行きたい場所に連れていって、のんびりさせてあげるのに。

それが出来なくなってから、そんな事を考える俺

バカだ
ホントにバカだ

やっぱり呆れてるかな…

安心していいよ。俺なりにしっかり歩いてくから。


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