我が家には、ケガや病気になった時にかかる「ばあば医者」がいる。 もちろん本格的なケガや病気には対応できないけど、風邪のはじめや、腹の調子が悪い とか、痒いとか 初期症状に限定でかかれるのだ。 で、家族の誰かが調子が悪いと、「ばあば医者」は、押入れの中の救急箱から、また、自分の鏡台の引き出しから、または 電話台の引き出しから、時には台所の引き出しからといろんな所から、薬をひっぱりだして来る。
「ばあば医者」は、特に虫さされなどの痒みをともなう症状においては、なかなかの権威である。 うちの「じいじ」はしょっちゅう虫に刺されている。蚊、ブヨ、はもちろん、柿木に付くあの刺されると激痛の走る青ゲジゲジ虫や、 松に付くゲジゲジたちにも刺されまくる。 そんな時、「ばぁば医者」の薬はよく効くらしい。
私も正月早々ダニに食われたようだ。 なにしろ右胸の上、首筋に発疹がある。痒い、うえに痛い。というわけで「ばあば医者」の診察を受ける事になった。 さっそく鏡台の引き出しから、薬を持ってきてくれた。
何しろ今まで、腹痛にしろ、熱さましにしろ、ばあばが出してくる薬は、いつもまるで聞いた事のない名前の薬だ。 「ノーシン」「メンソレ」など有名な薬が出てきたことがない。
その最たるものが、今回初登場?の“ばあゆ”という名の薬だ。 “ばあゆ”。この聞くからに怪しげな響きの薬。「ばあば医者」最強にして最大最終兵器だ。
最初聞いたとき思わず「え゛」と唸った。 私の頭に中には、いろんな良からぬ想像がトグロを巻いた。 「まっ、まさか、ばあばの体からでた油なのではないか?。ばあば油、略して“ばあゆ”?(^^;)」 そっそんな気色悪い。
聞けば、何にでも効く万能薬というし、薬の容器にはラベル等何も貼られていない。
「ますます怪しい。落語なんかで出てくるガマの油と一緒だ。信じがたいがこれはきっとばあばの油なんだ。」(笑)
昔、子どもの頃あった「オロナインH軟膏」とか「タイガーバーム」といった万能薬と同じで、切り傷、すり傷はもちろん 湿疹にも火傷にも、なにでも塗ると効く、あの一家にひとビンの万能薬たちよりも更に強力な薬‥だそうだ。
「イヤ待て待て、ばあば一人でこんなに油が出るわけない。隣のトメさんとか、おかげ長屋(どこにあんじゃ!) のつねばあさん なんかの 油も混ざっているのでは?」
ますます思考がトグロを巻く。
「え?ははっ。これね?。ぬ、ぬ塗るんだよね。ははっ」 意を決して指先にとり、そっと塗ってみた。ベトベトしてる。かなりべとつく。 恐る恐る聞いてみる。 「これ何?なんの薬?。」 「ばあゆだよ。馬の油。」 「!うっ馬のあぶら!?。ああなるほど。それで“ばあゆ”っていうんだ。ははっ。」
ばあばの油じゃないことは分かったけど‥。うっ馬の油?
そっかあ。でもこれ油になる前は何号っていう名前の馬たったんだぁ? まさか、ハイセイコーや、シンザン、ナリタブライアンのような一等賞の馬? 「まずいぞ。ゲートが開いたら思わず走り出したり、ムチでお尻叩いて!なんて気分になったらどうしよう?。」
ところが‥ 次の日には痒みはおさまったけど、ピリピリ痛みが出だした。 ばあばの最終兵器も効かなかったというわけです。 なぜなら‥実は‥‥ この続きは後日。(笑)
2002年01月08日(火) |
友、遠方より何しにきたん? |
年末のとある日、懐かしい声を聞いた。 3年になるかな電話もしてなかったっけ。
大学の1年の頃それこそ、恋人よりも長い夜を幾度も過ごしてきた友人のGからだ。 余談だけとうちの大学、現在は知らないけど、伝統として、全学生にニックネームがついている。 母校は1回生からゼミがある。最初のゼミの自己紹介の時に命名された者、サークルでつけられた者、それぞれだったけど 必ずニックネームを持たされる。 そしてそのニックネームが大学4年間の呼び名としてずっと先輩後輩関係なく呼ばれる。 中には親友なのにそいつの本名を4年間、知らなかった、なんてケースはごくごく当たり前の話として 登場する。
このGも当然ニックネーム。大学2年の時中退してしまったけど、ずっと仲間として付き合ってきた。 コイツとは郷里も一緒ということで妙に気があった。お互い性格は反対なんだけど。
とにかく久しぶりに電話かけてきたG、こんどそっちに遊びに行くからという。 これまた、3回生、4回生と私と同じゼミ友だったY(千葉在住)と言う友人と一緒に。
で当日、午後4時に電話があった。「今からこっち出るからね!」 当然、新幹線で来ると思っていたらどうやら車らしい。 「じゃ7:30くらいだな。待ってるよ。」
ところが7:30にまた電話が鳴る。 「ごめーん渋滞でまだ滋賀県。実はYさ、9ヶ月の子ども連れてんねんな。だからそっち着いても もう遅くなるから、今夜は諦めるわ。でな、明日Yを昼ごろ駅まで送ってくから、明日昼でも一緒にどう?」
「おおいいよ。時間空いたら電話するよ。」 「私な、久しぶりに 味噌にこみ 食べたいんやんか、でなYは ひつまぶし が、ええんやって。どっか知っとる?」 「うーん、それが同時に食える店はないと思うぞ。」 「せやろな。ほなな、私をうどんやに連れて行って、Yをうなぎやに連れてって。」 「はぁ?お前ら別々に食べんのか?。俺はどうすればええの?」 「ん?アンタか、まず私をうどん屋に置いといて、Yをうなぎ屋につれてくやん。そしたら、またうどん屋 に私を迎えに来てぇや。私食べおわっとると思うから、そしたらY迎えにいこ!(笑)」 「‥‥。あのなあ‥。俺コンビニでおにぎり買って食いながらその間走るんかい?」 「いや、おにぎりやなくてサンドウィッチでもええよ。」 「ほな、ミックスサンドとおにぎりお願い!」 「いやー、うちらは、あんたに奢ってもらうんやから、贅沢はいわへんで(笑)」
万事コイツとはこんな感じのやり取りが続く。 コイツと話すると普段眠っている関西人の血が騒ぎ出す。 相手がボケかましてくると、ツッコミ入れつつ、相手よりもっとボケ入れないと気がすまない。(笑)。
で、結局この夜は会えずじまい。
翌日、昼間電話を一応入れてみた。 「いまどこにおんねん?」 「前下宿しとったあたりウロついてんねん。ごっつう懐かしいわ。もうちょっとしたら電話するわ。」
といいつつ時計はすでに3時前。 腹減った。せっかくコンビニでおにぎり買ったのに(笑)。
と、電話。 「今、名古屋駅。Y送ってきた。」 「なんや、もう帰ったんかいYは。お昼どうした?」 「さっき、きしめん食べたよ。領収書貰っといた(笑)」 そんなこったろうと思った。(笑)
おりしもこの日の天気予報、夕方から関西方面は雪。 私も仕事のミーティングの時間までもういくらも残ってない。 「まあ、ええわ、また今度ゆっくりコイヤ、もう行く時間ねーぞ。」 「うん、わかったごめんな。お騒がせして(笑)」 「まあそんなもんやろう(笑)」 「うん、ほなな。元気でやりや。今から帰るわ」 「おお。お前こそ気をつけて帰れよ。」
結局、そこまで来てて顔も見せずに帰っていった。本当に会いたかったんだろうかアイツ(笑)。
開けて新年。あいつから年賀状が来た。 「年末は失礼しました。あの日、君に今から名古屋でるわって電話切った後、車のバッテリーがいかれて 動けなくなりました。今度は会おうねっ」だって。
あのなぁ、そういう時こそ正直に電話してこいってば。(笑)
でもあいつ本当に何しにきたんじゃ(笑)。
2002年01月06日(日) |
猫まめお君のお仕事は? |
久々にじいや家、猫長男、まめお君のお話
毎日毎晩どこかに出かけていたまめお君について、家族で話している。 いったいどこへ行くんだろうか?何してるんだろうか?
まめおは仕事に行っている。どうやら夜勤のある職場らしい。という話が持ち上がってきた。
車の板金屋さんのお手伝い。 「まめお、朝までにやっとけよ!」とか言われてどこかで使われているらしい。
夜いなくて朝帰ってきて、ご飯食べたら寝て夕方また出て行く。
いや板金屋さんじゃなくて、この前開店した肉屋さんで場外整理していたらしいよ。 「へいへい、いらっしゃいニャー!広告の特選霜降り肉はこの列に並んでほしいニャー」とか言ってた。
ん?まめおってさぁ、夜な夜な猫バスになって、走り回ってるんじゃないの?‥とか。
ところが、まめお夜勤説が出て、しばらくすると、朝ご飯食べたら午前中だけ寝て、2時ごろから出て行って、夕方戻ってきて ご飯食べたらまた出て行くという状態になった。
この頃からいろんなうわさが飛び交うようになった。(なんて平和な家族) 勤務体系が代わったらしい、いや転勤で飛ばされたんだまめおドジばっかりやってるから。だの、
昼間は、近所の病院で場所取りの仕事してるらしいよ。 「おばあちゃんに医者の順番取るように言われたニャー」とか
いや、どうやら三交代制の工場のラインの中に入っているらしい‥とか。
いや、カーテン屋さんの配達していたのを見た(どうやって運ぶんじゃ)とか‥。 違う場所でコンビニの棚卸手伝ってたけど、かまぼこ盗み食いしてクビになったって言ってたよ (誰がいうんじゃ!)とか‥。
最近はジィジまで、まめおの顔見ると 「おっまめお今日は休みかあ」とか言っている。
しかし一説には、ただ、あっちこっちの家で、餌を貰ってるんでは?という話もある。 コンビニの前でじっと待っていて、家族が多いので物乞いしている‥とか。
いやうちのまめお君に限ってはそんなハズはない。 小さな頃、近所の台所に忍び込んで、「スポンジたわし」をいっぱい盗って来て集めてたその罪を 大人になった今、一軒一軒償っているらしい‥。
しかし、家族の誰ひとり、一度もまめおが給料貰ってきたところを見たことがない。 まめお、ただでこき使われたらかわいそうだね。
正月はどうやらお休みだったみたいで久々にずっと家に居て、小さい子たちの世話をしていた。 というより世話をされていた。おいおい。
まあ実際、ご近所の迷惑にならずに、体壊さずに毎日帰ってきて、ご飯食べてくれたらいい。 交通事故に遭いませんように。
2002年01月04日(金) |
船で行く九州はモルディブより遠い |
午後12時30分集合。私初めてのバスツアー。 人数は34人。バスのあいてる席は自由に使っていいとの事でかなり快適。 はっきり言って自分と会社の人間以外の運転は信用できない。たぶん長く運転を生業とする方は みんなおんなじだと思う、たとえプロの方でも。でもしっかり寝ました。(笑) 3時30分2回のトイレ休憩で予定通り泉大津着。ぜんぜん混んでないや。
久しぶりの船。さっそく探検。 4階から6階まで隅々まで。(笑) 共有フロワーの喧騒から離れて部屋でのんびり。と思いきや、室内アナウンスが‥ 「まもなく明石海峡大橋の下を通過します」 あわててカメラもって甲板へ。ドアが開かないくらいの強風。さむう。 はぁ、うまく撮れなかったなぁと再生してるとまたアナウンス。 「まもなく瀬戸大橋の下‥」 ダァーッ、再びのダッシュ。さむう。
しかし、大晦日に、こんなに平和で世間に申し訳ないなあと思うくらい、のんびりゆったり気分。 いい加減酔っ払って紅白を見る。ベーヤンやるじゃん!
2001年のうちに就寝。午前4:20起床。しまった!四国大橋寝過ごした(笑)。 身支度を済ませて5:30新門司着。下船。スゲー風。すぐさまバスに乗り込む。 初日の出は7:21らしいが、バスの中。当初ハウステンボスの帰りに寄るはずの大宰府へ、道が空いてる今のうちに ということで向かう事になった。 明け方でも7度ある。暖かい新年の朝。 なつかしいなぁ、22年ぶりの大宰府。 なんとなく見覚えがある。大宰府といえば梅が枝餅に甘酒で決まり!。おいしかった。 でも私この後、露天で売ってた「はしまき」も食し、挙句喫茶店でコーヒーとクロワッサンまで 食べた。ほんとこの旅はよく食べた。参拝後激しい雨。あーあやっぱ降ってきたか。 高速で1時間30分、長崎といえば‥カステラ工場へ(笑)。雨があがった。頼まれた分6本を買う。 15分後ハウステンボス着。滞在時間は5時間。 9年前に来た時と同じように、施設内バスでまず、バレスハウステンボスへ。 今回の目的の一番は9年前買いそびれた写真集を買うこと。 でも、さすがに同じ物はもう売ってなかった。(苦笑)だよね。
この頃船酔いの揺れが少しやってくる。よってアトラクションは全部不参加。だって船ものが多いんだもん。 これ以上、船に乗りたくないもんね。(笑) でこれまた同じパターンでオークションハウスへ。ご存知とは思うが、ここのオークションだんだん値下がりしていく というパターン。前来たときは、奥様がなんに使うのかそんなもの要るのか?という「鍋敷き」を落札したことがある(笑)。 なんだか11万の時計が8万5千円まで下がっているが買い手なし。だよね。
昼食はホテルヨーロッパでカレー。どうしてもカレーが突然食べたくなったんです。お正月はカレーですよね!!
デジカメで写真撮りまくって、一応満足(笑)。 でもやっぱ一眼レフ持って来れば良かったかな。
以前、ここの舞台、実は知り合いが仕切っていたのでK君やM君を探してみるがもう居ない。
正月だからか人手少ないね。以前とは印象がだいぶ違うなあ。 あっ3日に杏里のライブがあるじゃん!うーん3日に来たかった。
おみやげ買うこともなく3:30バス集合。一路福岡へ戻る。 ここでまたおみやげ屋さんへ。辛子レンコン、明太子、明太子プリッツと紫芋ポテトを買い求める。 まるでおみやげ観光ツアーだぁ。でもこれバスの中に置いといて大丈夫なでしょうか?ちと不安(^^;
20:30新門司発。またフェリーだぁ。今朝、この船から降りたような気がするのは気のせいか? ご飯食べておとなしくベッドへ。バイオに撮った画像取り込んで寝る。 7:45朝焼けの明石海峡大橋を撮る。風で飛ばされそう。この旅で撮った写真約120枚。 朝レストランで朝食。「おぞうに」するか「洋食」にするかなんて平和な問題に悩みつつ、ふと隣を見ると朝からおじさんたちはビールだ。 昔、まだ20代前半の頃、大学の先輩が言っていた格言を思い出した。 「オヤジはよぉ、旅とか行ったら、やっぱどこへ行っても何やるにしてもまずビール。これが基本だて!!」‥だね。
9:30泉大津着。またバスの人になり一路名古屋へ。箱根駅伝が気になって(^^;)添乗員さんに TVつけてもらいました。なんてわがまま(笑)。 途中で雪が舞ってきたけど無事に、予定通り12:30到着。船酔いもほとんどなし、今のところ‥。
初めてのバスツアーはなかなか快適でした。年末というと、いつも慌しいか風邪ひいて調子悪い かのどっちかだったけど、ゆったりできてよかったなぁ。
ただ、無理はわかってたけど、九州に友達の多い私。 せっかく行ったのに誰にも会う時間がなかったのは残念でした。 (そんなのツアーじゃ無理だってば(笑)) 感想‥‥船で行く九州はモルディブより遠い(笑) でもいい旅でした!!!。運転手さん添乗員さん、奥様に感謝!。
2001年12月31日(月) |
今年もいろいろありました |
5大ニュース
1.痛風発病 まじで痛かったなあ。おかげで痩せたし。
2.HP開設 なんども移転して今の所にやっと落ち着いた。
3.ネット仲間 今年はほんとうにいいネット仲間に囲まれていい1年でした。
4.青い海青い空 今年もインド洋へ戻れてよかった!
5.XP購入 これがニュースになるなんて平和?
今年も家族みんなおおきな病気ケガもなくこれました。 猫たはたくさん生まれたけど、その分いなくなったりして少し寂しい1年でした。 仕事はともかく(笑)個人的にはとても充実したいい1年だったと思います。来年は仕事でもいいことあるといいなあ。
あっそうだ1日3回、3セットの効果、もし明日当たったらご報告しますね必ず。(大笑)
では一応皆様よいお年をお迎えください。 来年も元気でありますように!
今年の年末から新年は豪華に船旅行‥ということになりました。(汗) 夏休みはこのところ毎年海外へ出かけてたけど、冬は直前の仕事の疲れから ダウンしてることが多いが、今年は一枚のチラシが奥様の目に留まったらしい。とにかく安いということで(笑)。
しかし、この日程というのが私にとっては自殺行為かも。
31日の昼名古屋出発のバスツアー。バスに乗るのなんて何年ぶり? で一路大阪へ。夕方からフェリーに乗って九州は新門司へ。 元旦の朝6:00ごろ港に着いて、またバスに乗って目指すは長崎ハウステンボス!。 以前、一度宿泊してとっても良かった記憶があるのですハウステンボス。 で、ハウステンボスをゆっくり見てその日はホテルヨーロッパに泊まって新しい年を楽しむというはずもなく(涙)、なんと滞在時間はわずか5時間。 で、5時間経つとまたバスに乗って大宰府へ連れて行ってもらって、勉強ができますようにとお願いする暇もきっとなく、夕方、新門司からまたフェリーに乗る。 で、2日の朝大阪に着いてまたバスに乗って名古屋へ帰るという旅です。
まあ若くもないのによくもこんな旅を探してくれたものだ。 今年は箱根駅伝も見れないなあ。
で何が自殺行為かというと、実は私、船に酔います(笑)。 大体、大好きなダイビングの時でさえ酔い止め飲まないと大変な事になる。 あ!酔うといっても吐くと言うのとは違って平衡感覚がなくなるのだ。 (ダイビングは薬飲まないと確実吐きます・笑)
環境に実に反応しやすく、すぐに適応してしまう私の三半規管は、揺れる物に乗った瞬間からもうその揺れにシンクロナイズする。 これが、今度大地に立った時が大変。すぐに適応するはずが、感覚が戻るのになぜか時間がかかる。 常に体が揺れてフラフラ状態になるのだ。 中学の修学旅行。今回と似ていて神戸からフェリーで九州へ行った。船中1泊。たったこれだけで旅行終了後1週間、ずっとフラフラが続いた。 今度は2泊。 果たして、新年明けてから、仕事になるかのか(笑)。 なんで「いいよ」って言ったのだろうか(笑) 今年の年末みんなが紅白歌合戦を見てる頃、私は三途の川ならぬ三途の海を渡っているかも(笑)。
地元の消防団に入隊させられてはや9年。 そんな年じゃないのに、ここの自治組織というのは、変わっている。 毎月、第1土曜日が出動日になっている。ただいま団員は85名ほどだが3分の1は私のような幽霊団員(笑)。 サラリーマンにはなかなか勤まるものではない。 その土曜日の警戒は用具点検と広報。約1時間と少し。 「こちらは○○消防団です。ただいま定例の巡回を行っております。おやすみ前には…」って昔で言う「火の用心マッチ一本…」のようなもの。
で、その定例の出動は勘弁してもらえても、必ず出ないと行けない行事が、市長の観閲式(2年に一度)と、この年末特別警戒。 もちろん火事の時は出動しないとマズイのですが、これがなかなか車両火災とか、川の土手か燃えてるとかそういうのが多くて、行くと大概は消えたあと。 家の火災にはまだ2度しか出たことが無い。家屋以外の火災時にあと3回くらいは出たのだろうか?だいたい火災というのは、長く休みの無かった月とかの、今日は休みだ!って日の午後や、飲んで帰ってきた日の深夜から明け方という時間帯ばかりを狙って発生するんだからイヤになる。 まあ出なくてもいいという状況が一番いいんだという事には違いないですが。
この前なんか、サイレン鳴って、まあどうせ管内じゃないだろうと思っていたら、すぐ地元の工場から出火したらしい。消防活動服に着替える前に消えるだろうくらいに思っていたら、どんどんサイレンを鳴らした消防車はくるは、挙句ヘリコプターまで来ていて、気づいた時はすでに、今更出動できないぞ状態になっていた(苦笑)。 大体こんな調子で1年のうち出動する日は、大体6日くらいではないだろうか。 春と秋の全国火災予防週間の広報に一日づつ、夏の地元の盆おどりの警備に一日、2月の火災共済の集金に2日と、あとはこの年末特別警戒の時期だけ(苦笑)。 ごくたまに定例の広報にも出るけど…。 ってこの日記かいてたら、広報の声が消防車とともにやってきた。
あさってと30日は出るからね(苦笑)。
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