あることないこと
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2004年04月18日(日) |
キャトルミューティレーション |
もう1週間も前になるのですが、祖母のお見舞いのため、盛岡のおばの家に行ってまいりました。
見舞いついでに叔母家族、祖母の介護にきている二戸の伯母などとしばし談笑していたのですが、そこで僕がキャトルミューティレーションされていたことが発覚しました。 キャトルミューティレーション;宇宙人が調査目的で地球にきて牛の臓器などをありえない方法でもって行くとかいうやつ。ここでは宇宙人による記憶操作の意味。(うろ覚え) 僕より2週ほど前に北海道から兄が来て行ったのですが。そこでこんな話が出たそうです。…僕が高校生、兄が大学生の頃、僕が「お兄ちゃん」、兄が「まーちゃん」とお互いを呼んでいた頃。北海道から久しぶりに実家に帰ってきた兄が「まーちゃん…」と呼びかけた時、僕はこう言ったと言うのです。
「兄さん、お互いもういい年なんだし『まーちゃん』もないんじゃないかなぁ」
それからというもの兄はぎこちなさを覚えつつ、「まさのり君」と僕を呼んでいると。 あれれ、ちょっと待って下さいよお兄さん。僕そんなの言った記憶ないんですけど。いや、言ったのかな?でもね、僕の記憶だとね…久しぶりに北海道から帰ってきたあなたが、開口一番「まさのり君」と言い出した気がしているのよ、変に緊張した感じで。そして僕はそれをとても居心地悪く感じつつも「あんまり久しぶりすぎて、弟との接し方忘れちゃった?お互い”ちゃん付け”って年じゃないかなって意識してる?」って心の中で思ったってことになってるんですけど。
これはあれだな、キャトルミューティレーションだな。 目的は知らんけど、宇宙人の考えてることは分からんしな。
わざわざ日記に書くことじゃないですが、
最近はずっと夜勤で、帰宅するサラリーマンを横目に出勤し、通勤で電車が混む前に帰宅する日々です。快適。 最近の東京はいい天気で、今朝も 快晴! です。天気がいいとそれだけで心がはずみ、わくわくしますね。 何か脳内麻薬出ますね。 これから何をしようか。 まぁ、まず帰って眠るのですが。
トロンとしたまぶたの下で目を輝かせていると、 高田馬場で買って飲んだ缶紅茶が効いてきて、下車する3駅前に便意を催してきました。ふいー。でも3駅我慢して下車して我慢歩きして駅トイレに向かういます。が、その僕の目の前をサラリーマンが歩いていて、嫌な予感とともトイレに入ります、そして唯一の個室に…。 わずかな迷いも見せず僕は引き返し、さっさと改札を抜けると、駅からちょっと離れたコインランドリー前に(違法)駐輪した自転車へ跨がります。そして立ちこぎでゴー。 加速するペダル。ギッシャギッシャいう錆びたチェーン。朝の光を浴びて進む自転車。わけも分からず盛り上がる気持ち。あれ?便意なんか青い空に吸い込まれちゃったよ。 大きく息を吸ったところで、ガチョンとチェーンが外れました。ペダルは歯答えなくぐるんと空を切ります。そのせいで変な体勢になった僕と自転車がそれでも進みます、というか止まれません。無限の時間が頭の中を流れました。ねぇ、走馬灯職人は死ぬ瞬間、走馬灯のことを走馬灯のように思い出すのかな。 そしてゆっくり体勢は崩れていき自転車と僕が転びます。転んで数十センチ滑ります。無様に数十cm進みます。
考えてみると、すっごい我慢している状況でトイレで先をこされる、いきなりチェーンが外れて派手に転ぶ、など自分の不幸に嘆きまくってもいい状況だと思うのですよ。でも今朝の僕は少しも凹むことなく、ホント少しも凹むことなく、チェーンの外れた自転車で地面を蹴り蹴りコンビニまで行ってトイレを借りたのです。転んだ衝撃でもらしたりせず、こうしてトイレを借りれたことに感謝し幸せを感じたのです。 幸福感が人を包んでいると些細なことは本当にどうでもよくなるものですね。不幸中の幸いも、結局不幸にはかわりなく、幸福中の災いは笑い話なのですね。 幸福などというものは、その事実事象によってのみ量ることはできないというのを身をもって学んだ朝でした。
ま、わざわざ書くことじゃないんですが。
模様替えは遅々として進みません。
昨日こねた小麦粉を今日は食べます。 冷蔵庫で寝かせたらどうにかなるかと思ったのですが、冷たくなっただけでブチブチ切れるのは変わりませんでした。 これで何を作るか決めていないけど、とりあえず踏むことにしました。 昔、うどんを作る時、僕もギュッギュと踏まされたと、また祖母のこと祖母料理のことを思い出しました。
フリーザーバッグなど適当な袋がなかったので、やむなく東京都のゴミ袋に入れて踏みました。新品といえ衛生的にちょっと不安だったので余っていた小麦粉で共洗い(ともあらい)してからです。共洗いは近所の理系大学生に聞いて下さい。 足の下で無抵抗に延びていく小麦粉。 びろびろに延びたのを畳んでまた踏んでも、やはり無抵抗の小麦粉。 お前のグルテンだか何だかは2年の歳月でどっかに行ったのか小麦粉。 かと思いきや、だんだん弾力らしきものを見せる小麦粉。 一矢報いたと思いきや、弾力を少し見せたままそこがピークでしたと、やはりほぼ無抵抗に延び広がり続ける小麦粉。 10回くらいやったところで飽きたので、いいかげん過熱することにしました。
まずピザ。めん棒がないので指でむにむにつぶし延ばし丸くしていきます。 ピザ職人のようにクルクルピョンピョン延ばしたかったのですが、えー無理です。むにむに延ばすしかないのですよ、お母さん。 そしてその延ばし方では薄くならないから焼くと大変なのですよ。 フライパンで焼いたら、こげ具合といいボコボコ感といい、まるきりナンなのですよ。 イタリア人ターバン巻いたらカレーピザですぜ。 固さがせんべい並みのピザなのですよ、しかもパリッといかない、むぢむぢっと切れるせんべいピッツァなのですよ。 お薦め度-50!
次にうどん。やはりむにむに延ばして、さっきよりもっとむにむに薄く延ばして、つづら折りして、包丁でとんとん切って、茹でました。 これも固い。腰ありすぎなのですよ。いやさ、腰の強さに対して麺が太すぎるのですね。ね、先生。 包丁で等間隔に、かなり細く切ったつもりではあったのですが、延ばした状態がボコボコ、もしくはボッコボコであるため、太いところがかなりあったのですよ。しかもつづら折りして包丁でぐいぐい押し切ったから、くっついたりそれを無理矢理線状に直したりで、例えるなら幼稚園児に作らせた粘土のミミズかあるいはミミズの粘土だったわけで、未体験の噛みごたえなのでした。 でもめんつゆと生たまごで食べ切りました。自分で作るとどんなでも食べれますね。 お薦め度-20。
次のチャレンジはすいとんとミミコモチです。お楽しみに。
部屋の模様替えを企んでいます。
整とんの極意は物を捨てることにあり、と台所の箱の中を覗いたら 一昨年の夏で賞味期限の切れた小麦粉が1キロ一袋ほぼそのままありました。 ソースにとろみをつけるのに1回使ったきりっぽい感じで。 というわけで 暇と貧乏にまかせて、その小麦粉を思うままこねて使うことにしました。 9割方袋に残った小麦粉の9割方をボウルに移し、目分量で水道水を投入。 うろ覚えで塩も入れてみました。
料理はそこそこする方なのですが、小麦粉をこねるのは実は初めてで、 大胆にして小心で臨んだのですが 水を少し足し、小麦粉を少し足し… 存外小麦粉は簡単にまとまり、いい感じで練られていきました。
練られた小麦粉というと思い出すのは祖母の料理で、 よく台所を白くしながらすいとんを作ってくれました。 僕が小さい頃はうどんを作ったりもしていました。
さて小麦粉。 いいかげんこねるのに飽きたところで試しにラーメンのように延ばそうとしたら、 案の定指先でぶすぶす切れる始末。腰もへったくれもない感じでした。 お腹も減っていなかったのでボウルに戻して料理終了。 中途半端な小麦玉はラップをかけて冷蔵庫に入れられました。 丸まってボウルに納まってる姿だけは祖母のすいとん生地と一緒でした。
今晩も銭湯の湯舟の中で指ストレッチをやっていました。
今日は桜湯(?)の日だそうで、湯はピンク、というか多少毒々しい赤紫色でした。ピンク色の湯の中で、単純計算で5分、指を引っ張りまくり。 4才くらいの女の子が、湯舟に入りたくなくて、びー泣いているのを見ながら。
湯舟からあがると具合を悪くしてしまいました。 水を浴びてべったり座っていましたがなかなか回復しません。過呼吸で手足は痺れ、ストレッチしてた指はくくくと丸まってきます。吐き気もしましたが、幸い胃は空で、空気しか出ませんでした。 というか胃が空だったから具合が悪くなったのでしょうねえ。
どうしようかと考え、そこから人生について多少考え、高校時代を思い出した辺りで楽になってきました。あー良かった。
4才くらいの子が、びー泣きながらも全身彫り物のおじさんの背中に目を奪われていたのが印象的でした。
2004年04月03日(土) |
遺伝に少し抗う(あらがう) |
今朝、 久しぶりに北海道にいる兄と電話で話をしました。 正月にも帰省先(岩手)から北海道へ電話はしたのですが、お互い元気であることを確認したくらいで、あまり「話した感」はありませんでした。だから今回の電話はとても久しぶりに感じられたのです、が、お互い元気であることを確認したくらいでした。 どちらも積極的に連絡をとる質ではないのです、仲は悪くないのですが。
そんな兄は高校の水泳部では「鉄人」とあだ名されていたらしいです。 からだが硬く、柔軟体操が不得手だったかららしいのですが。
比べたことはないですが、僕も負けず劣らずからだが硬いです。 芝居を続けているくせにストレッチはさぼりがちなのです。 今 そんな僕が風呂に入るたびストレッチをし続けるようになりました。 指。 指のみなのですがね。 湯舟につかりながら手の指10本を30秒ずつ後ろに引っ張り、反らせ続ける。まだ2週間ほどしかやっていませんが欠かしていません。でもやっぱり2週間しかやってないので明らかな効果は出ていません。 目標は日本舞踊の人のような、ぐっと反る指先です。 使い道はあまりないですが、腕ウェーブをするとききっと効果的でしょう。
きらくプロデュース公演客演、無事終了いたしました。 (もう数日過ぎていますが) 来ていただいた皆様ありがとうございました。 共演の役者、スタッフの皆様ありがとうございました。
公演に向かっている最中って言うのは、感受性が豊かになっているものですね。というか端的に言えば涙腺が弱くなりまする。 小説を読んでは泣き、ドキュメンタリーを見ては泣き、お酒の場では人の言葉がやたらとしみ込み…。稽古中に脳内のニューロンが発火しまくって、普段のちょっとの刺激でも脳内を電気が走りまくるのでしょうね。 で、仙台公演中 個人的にえらく落ち込む夜があったのですが、そんな時に早老症のアシュレーちゃんのドキュメンタリー(フジ)を見たものだから、ただもう泣けました。服を脱ぎながら見て、風呂の中で泣きました。 しかし、まぁ勝手なものでアシュレーちゃんがかわいそうとか偉いとかで泣けるのではなく、アシュレーちゃんに比べ自分がただもう情けなくて泣くのです。短くもしっかりと命を燃やすアシュレーちゃんと、ぐじぐじと小さく悩む自分。 と思ったら 翌日はいかりや長介さんの訃報。普段だって泣けるだろうにこんなときだから余計に泣けてしまいました。そしてまた勝手な話ですが、長さんに比べ自分がただもう情けなくて泣きました。長さんに比べ自分はどんなに妥協しまくって芝居しているか、芝居しかないだろうに。
なんてまぁ、重そうなこと書いてても普段からずっと悩んでいるわけではなく、 胃が重くなるほど悩む夜があっても、寝て起きるとすっきりしてるから便利な自分です。痛みを残さない丈夫なぼく、もっとがんばんなさい。
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