あることないこと
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2003年11月04日(火) ジテンシャニッポン!

最近はワールドカップ・女子バレーに釘付けです。

今日の仕事は、キッチンなどのリフォームのための解体。
めずらしく近所の現場で、練馬区内、なので自転車を40分走らせていきました。

駐車場の車は2台ともBMWのちょっといいおうちでして、
リフォームのために出たゴミの中からオイルヒーター(?)をいただいちゃいました。
そのヒーター、重さはせいぜい20kgくらいなのですが、大きさが65×40×16cmとちょっと大きいのでした。(2つ折りのバスタオルを18枚分重ねたくらい、、、かえって分かりづらいかも知れないけど)

いろいろ試したあげく、(自転車の後ろに荷台がないため)前カゴの上に寝せて右手でおさえながら左手でハンドルをきるのが時間、労力的に最適と判断して出発。しかし後ろブレーキしか使えないし、急ブレーキをかけるとカゴの上のヒーターがずり落ちるので、最徐行で夕闇の帰り道を進むのでした。
僕の自転車の手入れしてないチェーンはゆっくり漕ぐとやたらとギッギと音をたて、カゴの上のヒーターはずれる度にゴガッ、ゴガガッと音をたてます。

後方から聞こえてくるギッ…ギギッ、ゴガッ…ゴガガッという音。
しかもそれが徐々に徐々に近付いてくる、のに追いこしていかない。

歩道の先をいく人は「えっ?」という顔で道を譲ってくれます。
2人連れのサラリーマンは5.6メートルも先なのに道を分けて、僕が追いこすのをじっと待ってくれましたし、
補助輪がとれたばかりであろう自転車に乗った小学生女児、というより自転車に必死にしがみついてたような女児は、これまた必死に自転車から降りて歩道のはじにギュッと寄り、心配そうな顔で見守ってくれました。

思えば荷台のない自転車でいろいろ運んだ我が人生。160cmくらいの姿見を小脇に抱えて走った夏、もう1台の自転車を片手でおさえて併走させた公演前の冬…、自動車欲しいなあ。

結局、往路40分の道のりを復路90分かけて帰宅しました。
ヒーターは動きませんでした。どこか断線している様子です。

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2003年10月29日(水) 明日に向かって撃て!

警官の制服を着ました。

もちろん衣装としての偽物ですが。
いやいや偽物も本物も違わんだろうと言う方がいらっしゃると思いますが、なぜって僕はそう思ってましたから、どっこい明らかに偽物でした。

話が前後しますが、今日は2時間ドラマのエキストラのお仕事。
放送局、放映日、何も分かってない状態で撮影に参加してまいりました。
場所は世田谷区成城の東宝撮影所。
でも設定は埼玉。鑑識の人たちの背中にもパトカーにも埼玉県警と書いてありましたもの。

で、偽制服。
貴重品は携帯して行くように言われ、尻ポケットに財布を突っ込もうと手を滑らせても滑らせても自分の尻をなでるばかり。なぜってポケットの場所にはポケットっぽい縫い目がついているだけでした。上着の胸ポケットも同様。
しからばと、上着のポケットに入れたらそのまま床に落下。ポケットは袋状になっておらず、上着に穴が開いているだけの状態でした。

ただし上着ポケットがただの穴なのは、内側につけたベルトからぶら下がる拳銃、無線機などのホルダーがポケット穴を通過して、ポケットから出ているように見えるための仕掛けでして、もしかしたら本物もそうなのかもしれません。

衣装は可能な限り省略されてるのですね。(感心)

さて、撮影所といっても敷地一帯がそうなのではなくスタジオやら何やら複数の建物が近くに点在している感じでして、死体のあった歩道は普通に公道でした。だからジョギングする人や自転車がしょっちゅう死体の横を通り抜けていきました。
公道なのだけどもう照明用のタワーが常設されているのがいかにもな感じでしたが。

肝心の撮影に関しては、別事務所の年輩ベテランエキストラっぽい人たちが微妙にいい位置をとっており(といっても五十歩百歩でしょうが)僕はやじ馬整理の、立ち入り禁止テープ前の警官になりました。カメラの位置からいって確実に背中しか映っていません。いや、背中が半分映っていればまだいいほうかも知れません。

3年前のauのCMが背中半分。いや1/3。
背中役者道、邁進中です。

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2003年10月23日(木) 平成中村座in浅草

くにひさ
の日記を真似て、
というわけでもでもないですが、僕も一緒に観てきたので
この歌舞伎観劇の日記を。
いろいろ説明を省くので、くにひさの日記を先に読んでいただくとありがたいです。

やはり一番楽しめたのは夜の部一番最後「人情噺文七元結」
これは歌舞伎のいろいろな形の中でも現代の芝居とほとんど同じ形式で、唄による筋の展開などもなく、「お江戸でござる」感覚で楽しんでいただけます(?)

個人的には、博打好きの駄目親父のために自ら進んで廓に身を売る娘・お久役の坂東新悟がよかったのでした。(涙)
なんだか12歳で、だから見る前は全然知らなくて、それなのに筋書き(パンフレット)で一人前に紹介に1ページ使われていたりして、えー、なんだよー、このガキーとか思っていたのですが、(役者としてのいがみと焦り混じり)
なんだかもうせりふがよくて…新悟のせりふ1ヶ目から既に涙目になってしまってました。

芝居の始まる前に読んでいた紹介によると、最近芝居の面白さに目覚め、ぜひ女形をやっていきたいと思っていたのに、父親譲りの伸びをみせ(背の)、12歳にして身長170cmになってしまったと(父親の弥十郎は180cmはあったはず)。あとさらに変声期。

それでもがんばって娘を演じるいじましい姿と、父を助けようと若い身空でがんばるいじましい姿が妙に重なってしまったのか…、
もうそのシーン、そこの新悟のせりふ、新悟の眉間のしわ、全てツボみたいになってしまいました。

そして涙のコップが表面張力でこぼれるのを踏ん張っているところに、勘九郎さん演じる駄目親父の情けない返事→爆笑→涙だー

いいなあ、歌舞伎
いいなあ、勘九郎さん(←新悟はどこにいった?)

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2003年10月22日(水) 徒然なるままに(徒然してる場合じゃないんだけど)

無国籍公演が終了して10日程経ちます。あっという間です。

お金がなくてなくて大変ですが、なかなか質素な暮らしというのもできないものです。
久しぶりの東京のアパートに戻ってきて、貧乏気分で食料箱(食器棚下段)を開けたら、中にはうどん800gとそば1kg、きしめん1kg、スパゲッティ約2kgがあって、あまりに豊富な乾麺につい一度に2人前食べてしまいました。
しまいましたというか、今、一食に2人前ずつ食べています。
しかし、仙台行きの前に僕は、何を考えてこんなに乾麺を買い込んでいたのでしょうか?

まぁ2ヶ月前の自分の気持ちなんか分かりません。

仕事中や何か中のときに、脚本のすごいいいアイデアが浮かびつつ、メモできる状態じゃないけどこんないいアイデア忘れようがないからと思って放っとくと、忘れてしまいます。
メモしていても、キーワードしか書かないから後で読んだとき意味が分かりません。

思わず総立ち!!
爆発
ケータイ

それぞれの言葉は分かるけど…なに考えて書いたんだか思い出せません。

1時間前の自分の考えすら思い出せないんですから。

そのくせ高校時代に、久しぶりに里帰りした兄貴と枕を並べ、「これからは特許だと思うんだよ」「そうだな」なんて話して、
あげく行き着いたアイデアが、「こたつの足の部分を空洞にしてみかんを入れておけるケースにする」「あったまると甘味も増すし」という話は忘れないんだから不思議なものです。
しかも「いいアイデア」という単語を聞くたびにそのことを思い出してしまうのだから、やっかいなものです。

その兄が結婚してもう1年経つはずですが。
あれ?結婚してからの兄貴に僕は会ったんだろうか?

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2003年09月25日(木) 徒然なるままに

かったるい日記になりそうで申し訳ありませんが、本当にただ記録的な意味で書かせていただきます。
Glitter KingdomなるHPのluvmarさんの日記を愛読してるのですが、前回9/8の日記がその影響受け過ぎであるとあきさんにおこられたので、ちょっとあらゆる場所の力を抜いて書きたいと思うのです。
”あきさん”というのも以前から説明無しに登場させて申し訳ありませんが、知り合いしか読んでないと思うので許して下さい。

仙台に来てから3万円くらいしか稼いでおりません。
パソコンによるデータ入力事務→2日
大手引っ越し屋さんの補助→1日

最初に入った派遣バイトはまるで仕事が回って来ず、
堪え性なく引っ越し屋さんに登録しました。

大手引っ越し屋といえど、こんな時期の月初めには仕事も少なく、
やはり仕事が回ってこず、
しかも芝居の稽古しに仙台に来てるのに、バイト終了時間があいまいで、
堪え性なく辞めました。

結局、
人間としてダメになりそうな気がしたので時給が安いと思いつつ、むかし働かせていただいていた緑のコンビニで働くことにしました。

そう言えば大手引っ越し屋で働くため、みどりと青の靴下を買いました、
結局まだ履いてないですけど。
午前→みどり、午後→青と履き替えるはずでしたが、
朝に履いていった黒い靴下で一日過ごしてしまいましたので。

久しぶりのコンビニはなかなかきついものでした。
サービスの進歩におろおろしたり、
あてどなくうろうろしたり、
とにかくいろいろ。
コンビニ業務から離れている間に「弁当に割り箸同時包装」がなくなり、いちいち袋詰めのとき改めて入れなくちゃいけないのですが、つい忘れてしまいがちです。数人のビジネスマンさんたちごめんなさい。

あと、せんだいメディアテークを利用し始めました。
なかなかすごい所です。
亀姉さんにも再会いたしました。(説明省略)
ただし閲覧、休憩ブースが受験生に占拠されてるのが難でした。
みんなもっと紅い頬で、すすけた顔してればいいのにと思いました。

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2003年09月08日(月) …。

こっちに来て今日が初仕事でした(泪)

派遣バイトFに登録して一週間、まるで仕事が回ってこないので腐りかけていました。こらえ性ないですから、腐るの速いですから、鯖か大典かってぐらいですから。
ですから、今度は引っ越し屋さんにも登録しまして待ちましたが、やはりなかなか仕事が回って来ません。みんなもっと引っ越そうよ。この中途半端な季節にも引っ越そうよ。田中麗奈もびっくりする早さで引っ越そうよ。って腐り始めました。

そしたら諦めて登録を辞めた会社Fの方から急に話が飛び込んで来まして、めでたく仙台初仕事とあいなりました。純粋に嬉しいけど、同世代が億単位の仕事とかとってるかもしれないときに、6000円くらいの仕事でこんな喜んでるのは少し恥ずかしいよね。

「どんな仕事だって貴いよ」


派遣先は販促グッズや郵便物の代理発送とかしてるらしき会社、
で仕事は某企業による募集作文のリスト作り

ひたすら小学校名、学年、名前、作文の題名を打ち込んでいく作業なのですが、危なかったですわ。ほら、自家製ヨーグルトか大典かって話だから、午後からどんどん醗酵して、初仕事だっていうのにウトウトしちゃいました。


で、みんなに一言

ちょっと難しい漢字を使ったぐらいの名前は逆に平凡!命名するときは命懸けで考えてあげて!

入力してて眠くなるからホントお願い。あと同じ理由で。

"旅の思い出作文"募集に「旅の思い出」って題名の作文書いてくるようなこどもに育てないで!
「○○に行ってきたよ!」も不可、「楽しかった○○の思い出」も不可。
第一、審査員が喰いつかないよ!
最低でも「地獄の野口○世記念館で、錆びた夏休み」「ディズ○ーリ○ート・虚栄の光」ぐらい書くように育てて。
伏せ字もそのままだよ。タイトルに伏せ字だよ。
旅っていったらみんなバカみたいに楽しい楽しいって書いちゃって…、まずタイトルで暗さを出して審査員の心を掴んで、中身で苦労したひとときとそれによって成長した自分の姿なり友情なりを表現して涙誘えばいいじゃないの。こどもだからって甘えてるんじゃあないよ。


かく言う自分がそういう作文を書く子でした。原稿用紙3枚書いてと言われれば、1枚半しか書かないような。
おためごかしっ子。
もっと書くことを楽しんで苦労してれば、今もっといい文章が書けるのに。

という訳で、気の利いたタイトルが浮かばない今日の日記でした。

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2003年08月29日(金) 意外と暑いじゃない、仙台

十月の仙台での公演に参加するため仙台に来ております。
このまましばらく仙台暮しです。

今日はこっちの派遣バイトの事務所に登録。
こっちでの住所を証明するものがなく、(証明も何も居候なのだが)
登録できるのできないのと電話でぐちゃぐちゃやってましたが、
強引に事務所に行ってみればなんてこともなく、あっさり登録。
ここでもまた
あっちこっちへと働きに行きますぜ。

電話で登録できませんと言われたときは、
働き口もなく、ひたすら人の稼ぎに頼る自分を想像してしまい、
やたらリアルに想像してしまい、真っ暗くなってしまいました。
口元に笑みが張り付くくらい暗くなってしまいました。

主婦は貴い職業ですが、
働きに出たがる奥様方の気持ちも痛いほど分かります。
いや、全部は分かりませんが。
女性の方が痛みに強いって言うし。


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